17歳の頃(ジャニス・イアン)は、私が英語の歌詞を丸覚えして今でも歌える唄の中の一つ(他はカーペンターズのTOP OF THE WORLD、JANISのYOU ARE LOVE:映画・復活の日のテーマ)。
そして、ダンシング・クイーンは今年のSax発表会に向けて練習している曲。ずっと前から知っている曲だが、あらためて歌詞を見ると、ジャニスの曲と17歳の少女について歌ってるのは一緒なのだが、立場といい、その情緒といい真逆なことに気づいた。
まず、曲を聴いてみて。
At Seventeen(Janis Ian)
https://www.youtube.com/watch?v=Yi-5tiHE48c
Dancing Queen(ABBA)
https://www.youtube.com/watch?v=xFrGuyw1V8s
次に、私の拙い訳よりこちらで歌詞を比べてみて、特に一番対照的な金曜日の夜(Friday night)を歌う部分を
洋楽和訳 Neverending Music(音時(オンタイム)さんのブログ)At Seventeen / 17歳の頃 (Janis Ian / ジャニス・イアン)1975 #3
https://neverendingmusic.blog.jp/archives/9246263.html
【歌詞和訳】アバ「ダンシングクイーン」、サイト「スタジオウェブリ」
https://studio-webli.com/article/lyrics/182.html
ジャニス・イアンの「At Seventeen」とABBAの「Dancing Queen」は、どちらも十七歳を歌っているのに、当てている光がずいぶん違う。
前者では、十七歳はかなり残酷な季節として描かれる。選ばれる子と、そうでない子がはっきり分かれてしまう年頃、という感じです。
恋愛や華やかさが、誰にでも自然に訪れるわけではない、目立つ子たちが光の中にいる一方で、そうではない側の子は、その外からそれを見ているしかない。
ジャニスの歌がすごいのは、その痛みをただの嘆きとしてではなく、青春そのものが持つ残酷さとして歌っているところだと思います。
それに対してABBAの「Dancing Queen」は、十七歳をもっとまぶしいものとして差し出してくる。
若くて、軽やかで、音楽に乗って踊ることのできる時間、夜はまだこれからで、人生もまた開いている。
ジャニスの歌にあるような痛みやためらいよりも先に、まず身体がリズムに乗って、少女は光の中にいる。
ここは視点の違いも大きくて、ジャニスが内側からその痛みを歌っているのに対して、ABBAは少し外から、その輝きを見つめているように聞こえます。
でも、この二曲はただ正反対というだけではない気がします。ジャニス・イアンを聴いたあとでABBAを聴くと、「Dancing Queen」の明るさが、ただの能天気な青春賛歌には聞こえなくなる。
十七歳には、踊りの輪の真ん中にいられる子だけでなく、その外に立ってしまう子もいる。そういうことを知ったうえで聴くと、ABBAの歌は、その痛みをなかったことにするのではなく、それでもなお若さの一瞬を肯定しようとする歌に聞こえてきます。理屈で慰めるというより、光のある場所そのものをそっと見せてくる感じで。
リリースの時期も近いです。ジャニスの「At Seventeen」が1975年、ABBAの「Dancing Queen」が1976年。もちろん実際に応答しているわけではないのでしょうけれど、感覚としては、「At Seventeen」が言葉にした青春の痛みへ、「Dancing Queen」が別の仕方で答えているようにも思えます。前者が十七歳の傷を歌った曲だとすれば、後者は、その傷があることを知りつつ、それでも踊ることや輝くことを肯定する歌、という感じでしょうか。
だからABBAは、ジャニスに反論しているのではないのだと思います。むしろ、ジャニスが見せた影をどこかで引き受けたうえで、それでも光を消さない。そういうふうに聴くと、「Dancing Queen」はただ明るいだけの歌ではなくなって、ずっと奥行きが出てくる。
十七歳という年齢が、美しいだけでも残酷なだけでもなく、その両方を抱えた一瞬として見えてくるんですね。
ログインしてコメントを確認・投稿する