これも一種の反実仮想。
ヴェルサイユ体制があれほどまでドイツに苛烈でなく、ワイマール共和国がもう少し穏当に運営され、さらにオーストリアでアドルフという名の画家がそこそこの成功を収めていた世界線では、少なくとも MAD などという MAD なものは存在せず、核も兵器ではなく原子炉として、事故のリスクはあるにせよ主として平和利用されていたのではないか、と思う。
第一次大戦までのドイツには、3B政策のような対イギリス戦略はあったにせよ、ホロコーストに至るような病的要素が主流だったかというと、そうは見えない。
むしろ、ヴェルサイユ体制の苛烈さの方に、その後の歴史を大きく歪めた原因があったのではないか、と感じる。もちろん、その反省が後のマーシャルプランなどにつながったのだろうけれど、仏英の戦時賠償の発想には、自分たちの政治的責任を棚上げした面がかなりあったようにも思える。どうなのだろう。
また、サラエボ事件が引き金だったにせよ、あの時代のヨーロッパには火種が十分にあった。
だとすれば、あの戦争そのものを回避しつつ、各国の利害をもう少し穏当に調整する可能性は、本当になかったのだろうか、とも思う。
第一次世界大戦が起こらなかった場合、その後の世界は今より技術的に遅れていたかも知れない。
・人類の月到達は二十一世紀に持ち越されていたかも知れない。だが、それでもこちらの世界線の方が未来としては豊かに感じられる。
・共産主義国家は机上の空論のまま終わっていたかも知れない。ただ、その巨大な失敗の実例がなければ、別のかたちでもっとひどい失敗が後に現れた可能性もある。もっとも、スターリンや毛沢東級のそれをさらに上回る失敗となると、なかなか想像しにくいが。
・ニューディール政策や独占禁止法のような、資本主義の欠陥修正も遅れただろう。
・二十一世紀になっても格安航空会社は存在せず、あるいはまだプロペラ機中心で、海外渡航は今よりずっと敷居が高く、船が中心のままなのかも知れない。
・植民地の独立も全体としては遅れ、二十一世紀に入ってようやく独立した国々もあったかも知れない。
・LLMとしてのAIも、まだ研究段階に留まっていたかも知れない。
・両大戦による大量死がなかったとしても、2026年時点の地球総人口は五十億人を超えていたかどうか、という程度だった可能性もある。これは乳幼児死亡率などの劇的改善が遅れるだろうという事から。
いろいろな面で遅れが目立つ時間線だが、それでもこちらの世界線の方がましだったのではないか、と私は思う。
技術の進歩が多少遅れたとしても、二つの世界大戦とその周辺で失われたものが大きすぎるからだ。
だから、お節介タイムトラベラーが「人類の未来をより豊かにする」という目的で歴史に介入するとしたら、まず全力を注ぐのは第一次世界大戦の回避ではないか。
第二次大戦やホロコーストや核兵器開発のような個別の惨禍に後から介入するより、その上流にある第一次大戦そのものを止める方が、介入の効果ははるかに大きい気がする。
その意味では、アメリカ、そして少しだけ日本のような欧州外列強が、第一次大戦の前段階でヨーロッパの利害調整にもっと深くコミットしていたら、とも思う。
もちろん、そんなことで本当に止められたかは分からない。だが、反実仮想として「どこが歴史改変の最大のボトルネックか」を考えると、やはり第一次世界大戦はかなり有力な候補に見える。
ただ、そのお節介タイムトラベラーたちの時間線はそのままだろう。
これは、多世界(マルチバース)全体の樹形から、ある枝を剪定し、別の枝を伸ばし太らせる。そんな盆栽のようなイメージを想像している。
お節介タイムトラベラー達がいるなら、まずそこへ向かうだろう。
介入のコストパフォーマンスが、あまりにも大きいから。
ログインしてコメントを確認・投稿する