自然である平安な存在いしき
が
実在である
存在いしきは
内側や外側へ分割されない
内側や外側へ分割するという想像努力は
実在ではない
私という主体化現実による創造活動はすべて無意味(非実在)である
内側や外側
や
私という主体化現実である催眠は
実在(ただ在る)からの試みによるものである
私という大自我(好奇心であり苦しみ)は
大自我の枠内に客体を作りだし
客体にシナリオを描く
シナリオ(多次元の世界つまりは特別の愛である天界や特別の苦しみである地獄界まで、や多次元ボディ)を描いた場を虚空(アカシャ)の蔵とする
また、
それらのシナリオを経験するための主体たち(魂たち)も作る
そして
シナリオが投影されるのである
これらの非実在の想像は
実在(ただ在る)における試みからオートマチックにおきるのであり
それを終わらせるのも
実在である
努力(想像)
や
努力(想像)の主体現実化(私)は
実在の量を増やすことができず
想像状態は
実在性が希薄であるエネルギー状態であるため
無意味な努力(苦しみ)である
このため
試みである
無意味な努力は
終わり
二度とくりかえされることはない
以上がナチュラルノンデュアリティオートマチック(NAC)仮説である
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