空母はしばしば国威の象徴として語られるが、実際には象徴である以前に、きわめて高価な軍事システムである。建造費だけでなく、艦載機、護衛艦、補給、整備、要員養成、ドック入り、更新まで含めて、巨額の維持費を長期にわたって呑み込む装置である。
アメリカは現在も原子力空母の大規模体制を維持しているが、これがいつまで無理なく続けられるのかは気になる。高価な空母と艦載機を維持し続けるコストに対し、他国がより安価な飛行型ドローンを大量投入する方向へ進んだ場合、費用対効果の面でどこまで優位を保てるのだろうか。高価な一単位と、安価な多数との競争になったとき、軍事的優位だけでなく、経済的持久力そのものが問われる。イランとの戦いのような局面では、その一端が見えてくるかもしれない。
中国についても同様である。空母三隻体制はたしかに大国的な外観を与えるが、経済の陰りが見え始めたとき、その維持がどこまで持続可能なのかは別問題である。空母は就役させれば終わりではなく、むしろ就役後にこそ金がかかる。経済成長が鈍れば、象徴的装備ほど重荷になりやすい。
フランスは原子力空母を一隻保有しているが、一隻しかないということは、ドック入りや大規模改修の期間には空母戦力が空白になるということでもある。逆に言えば、先進国であっても、一隻を抱えるのが財政的・運用的にほぼ限界だという現実がそこに見える。
日本の海上自衛隊の軽空母化構想についても、同じ目で見なければならない。これを国威の発揚として歓迎する向きもあるだろうが、本当に見るべきなのは維持費と運用費の負担、そして有事においてそれを失うリスクとの交換である。持つこと自体が目的化すると、象徴に酔って計算を忘れやすい。しかし、こうした装備は持てば自動的に国力が増すのではなく、むしろ平時から財政を圧迫し、有事には高価な標的にもなりうる。
結局のところ、空母保有を考える際に必要なのは、威容に見とれることではなく、財政的負担に耐えられるのか、運用上の危険を引き受ける覚悟があるのか、そしてそれがなければ本当に困るのかを冷徹に問うことである。軍事とはしばしば勇ましい言葉で語られるが、現実には予算、整備、補給、更新、損耗という地味で重い問題の集積である。空母はそのことをもっとも端的に示す兵器の一つなのかもしれない。
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