真の神(基盤 真の自己)からの分離(距離)がないので
動くこと(活動)は終わる
真の自己は内側にもなく、外側にもない
純粋いしきは分割(分離できない)
誰が何に瞑想するのか??
それは
架空の存在が架空の存在に迷走することである
架空の存在が自らの不満さにより、架空の存在を求める
客体意識に何を妄想する?
完全な活動をする何かである神をか?
あるいは
客体意識にシナリオを描き
魂たち(相似 フラクタル)を作り
シナリオ(多次元のボディや環境)を投影したものを経験するのか?
それらは
実在(在るがままの存在)のサブ性質における無邪気なワクワクからオートマチックに空想されたエネルギー
空想されたもの(個)に主体現実化催眠(私)をかけ
基盤からの分離(距離)があると信じこんだ
その無智な架空存在による産物である
実在からのオートマチックにより
催眠は解除(真のいやし)され
私(分離)は空想された個でしかなく
その空想エネルギーは
私が誤想像した神や宇宙とともに
実在に還る
もはや
個を現実化した好奇心であり苦しみである私
(肯定であり否定でもある空想存在)
つまり大自我(無明)
や
大自我が置いた
完全な活動をする特別な愛である神
(その神は大自我が作ったため私の否定性もまたもたざるをえないため閻魔のような裁きという性質をももつ)
や
大自我が描くシナリオ(天界から地獄界)
や
魂たち
や
投影
は
私とともに
実在にいやされる
分離(距離)は起こっていないので
空想の誰かがどこかへいっていたわけではなかったからだ
私はいないとは
たんに自然(無条件 無努力)であること
自然のなかのオートマチック(空想)があっただけであり
空想は実在を増やすことはできず
空想は希薄であるため
実在より幸せになるわけではない
ナチュラルスピリットにおけるワクワクによる試みは
このように終焉する
以上
NAC(つまりナチュラルノンデュアリティオートマチック)による仮説でした。
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