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2026年08月26日05:46

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「未然に防ぐ」ことの価値、だが評価されにくい

何か問題が起きたとき、それを素早く処理できる人は目立つ。
けれど本当は、問題が起きてから対処すること以上に、起きる前に防いでしまうことのほうが、ずっと価値が大きいのではないか。
ただ、この「未然に防ぐ」有能さは、どうしても見えにくい。

学校でいえば、たとえば二人の担任がいるとする。
一人は、生徒同士のトラブルが起きるたびに、すばやく的確に処理する。
もう一人のクラスでは、そもそも大きなトラブルがほとんど起きない。
多くの人は前者を有能と見て、後者はたまたま平和なクラスに当たっただけだと思うかもしれない。
けれど、実際には逆かもしれない。
後者の担任は、日頃から小さな違和感や不満の芽を拾い、表面化する前に摘んでいるのかもしれない。
その有能さは、結果として「何も起こらない」という形でしか現れないから、目を引きにくい。

似たことは、歯科衛生士にも言える。
歯磨きや歯茎のケアについて、ある衛生士の指導が本当に行き届いていて、その人の指導を受けた患者が虫歯や歯周病をほとんど起こさなくなったとする。
すると、その患者はむしろ歯科医院の世話になる回数が減る。
このとき、その衛生士の働きは、医院の中でどれほど正当に評価されるのだろうか。
来院回数や処置件数だけを見れば、むしろ数字には表れにくい。

警察や消防でも、同じ構造はある。
日頃の巡回や点検、地域との連携がうまく機能して、犯罪や火災の芽をかなりの程度まで抑え込めているとする。
すると、その町は「治安がよくて平和な場所」と見なされる。
その結果、かえって人員や予算が削られる、という皮肉すら起こりうる。
成果が「事件が起きなかったこと」である以上、その成果は数字としては見えにくいからだ。

さらに言えば、これは橋や道路、鉄道などのインフラにもそのまま当てはまる。
たとえば橋の設計において、タコマ橋の崩壊のような失敗を繰り返さないよう、見えないところで安全率を積み上げ、振動や疲労や想定外の条件まで織り込んで設計している人たちがいる。
道路や鉄道でも、事故が起きないように日々点検し、劣化や異常の兆候を拾い、何事もなく運行や通行が続くよう支えている人たちがいる。
だが、その仕事の価値は、たいてい事故が起きなかったという形でしか現れない。
だからこそ、社会はしばしばそれを「何も起きていない」としか見ず、正当に評価しない。
「無事これ名馬」という言葉があるが、それを体現している人たちもまた、派手な成果の陰で見えにくいままになりがちである。

考えてみれば、これは名探偵の評価にも当てはまる。
事件そのものの構造をあらかじめ見抜き、起こる前に解体してしまうような超一流の探偵がいたとしても、その人は世間から「名探偵」とは見なされにくい。
なにしろ、目に見える事件が起きないのだから。
むしろ、不穏な気配を感じながらも事件そのものは防げず、何人か死んだあとで、古い因習や犯人の意図を見事に解き明かす探偵のほうが、名探偵として喝采を浴びる。
金田一耕助などは、まさにその型にいちばんよく当てはまる気がする。

もちろん、現実の警察や消防が、巡回だけで完全に犯罪や火災を防ぎきれるわけではない。
インフラの設計や保守も、絶対に事故をゼロにできるとは限らない。
それでも、未然に防いだ功績が、その大きさに比べてあまり報われない、という構造はたしかにある。
そして、それは「そういうものだ」で済ませてよい話なのか、少し引っかかる。
目に見える手柄ばかりを評価して、何も起こらなかったことの背後にある努力を見落とす社会は、どこか大事なものを取りこぼしているのではないか。


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