今、どぜう丸『現実主義勇者の王国再建記』のアニメをAmazon Primeで見ている。
この作品は、コミックスでアニメ版よりかなり先まで読んでいた。もともとは、いわゆる「なろう小説」から出た作品らしい。
同じように、連載に追いついて先の展開を待っているカレヤタミエ『捨てられ公爵夫人は……』もそうだが、こうした領地経営や領国経営を真剣に描く作品には、独特の面白さがある。
もちろん、異世界でチート能力を振り回して「俺TUEEE」を見せるだけの作品は、ここではひとまず除外する。
私が面白いと思うのは、統治、外交、財政、制度設計といったものを、物語の中でちゃんと扱おうとする作品である。
こういう作品は、著者だけが考えているのではない。
読者の側にも、
「良い統治とは何か」
「大国や覇権国と向き合う中小国のあり方とは何か」
「理想と現実をどう折り合わせるのか」
といった問いを、自分の頭で考えさせる力がある。
だから私は、ときどき思う。
こうした作品を読みながら政治や社会のあり方を考えている若い読者の中には、既成のイデオロギーを、そのまま受け入れ盲従・追従するだけだった若者たちより、よほど自分で考えている者もいるのではないか、と。
もちろん、物語をただ消費するだけの読者もいるだろう。
それはそれで自然なことだ。
しかし一方で、読んだものを受けて、
「自分ならこういう国家を書く」
「こういう制度ならどうなるか」
「この社会の矛盾を物語にしてみたい」
と考える者も出てくる。
そして、その考えを実際に物語として人に伝えるハードルは、オンライン小説投稿サイトやコミック投稿サイトの存在によって、劇的に下がった。
これはかなり大きな変化だと思う。
かつては、塩野七生『ローマ人の物語』や、宮城谷昌光の中国歴史小説群のような作品を、読者として受け止めることはできても、そこから先に自分の仮説や政治観、社会観を試す場は限られていた。
歴史小説を読み、そこから何かを考えることはできても、それを自分の物語として外に出すには、かなり高い壁があった。
しかし今は違う。
仮想の国家、仮想の制度、仮想の外交、仮想の危機管理を、物語という形で試してみることができる。
玉石混淆なのは当たり前だ、ここでもスタージョンの法則は成り立つのだから。
だが、それを読んだ他者が反応し、評価し、ときに批判し、別の物語を書き返すことすらできる自由度がある。
つまりオンライン作品投稿サイトは、単なる娯楽の供給装置ではなく、政治や社会について仮想的に実験し、思考を往復させる場にもなりうるのである。
出来合いの思想を上から受け取るのではなく、物語を通じて自分で組み立ててみる。
その過程で生まれる考えは、粗削りであっても、借り物のスローガンよりはずっと生きている。
そういう意味で、こうした物語群は、思想の質を一律に高めるとは言わないまでも、思想の多様性を担保する土壌にはなっていると思う。
もちろん、この状況を快く思わない人や団体もあるだろう。
既成の思想や価値観に従わせる側から見れば、人々が勝手に世界を設計し、勝手に統治や秩序を考え始めるのは、あまり都合のよいことではない。
だが、それでも私は、受動的に読むだけの時代から、アクティブに仮想社会を試せる時代へ移ったことの意味は大きいと思っている。
オンライン作品投稿サイトは、ただ作品を並べる場所ではない。
うまく働くとき、それは考える場所そのものになる。
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