映像表現として、公開当時の1968年には画期的だった。
それは間違いない。
ただ、物語の構成として見ると、直線的で、考える余地が限定されすぎているように思う。
この映画では、モノリスによる「昇天(アセンション)」が描かれている。
途中で人類とAIの闘争も描かれてはいるが、人間の選択、言い換えれば実存の選択の余地は、ほとんどない。
HAL9000については、ミッション指示そのものが曖昧で、しかも矛盾をはらんでいたという欠点があった。
ただし、それはクラークのノベライズで語られていることであって、映画だけを見ている観客には分からない。
映画だけ見ていると、「次の進化」を担う資格があるのは人類なのか、それともHALなのか、そんな問いが立っても不思議ではない。
スターチャイルドになるべきなのは誰か、相応しいのは人類なのか、それともAIのHALなのか、そういう闘争があって然るべきだという予断を持って見てしまうことになる。
同僚四人を一瞬で失った船長ボーマンが、怒りのままにAIのアルゴリズムを解除した。
だが、その選択は本当に正しかったのか。
ボーマンは、モノリスによって知能などを飛躍的、不連続に増大させられる。
しかし最後のスターチャイルドの場面から私が読み取ったのは、希望よりもむしろ、一方的な価値観による人類の選抜と切り捨てという、好ましからざる未来であった。
だから、この映画をどうレビューするかは少し迷う。
映像表現の画期性は、今なお疑いようがない。
しかし、モノリスが一方的に進化を与え、人類を選別するという世界観には、私はどうしても共感できない。
だから『2001年宇宙の旅』は、傑作であることは認めながらも、私にとっては最後まで距離の残る作品なのである。
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