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2026年07月05日06:05

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強火の5分、弱火の10分

今読んでいるカレヤタミエ『捨てられ公爵夫人は……』の中に、ちょっと印象に残る言葉があった。
料理長の少年エド君の言葉を、少し年下のウィリアム君が思い出す場面である。
「強火の5分と、弱火の10分は全く違う」

これは、実際に料理をする前の自分――物理学科の学生だったころの自分なら、
「与える熱量が同じなら、同じではないか」
とうそぶいていたかもしれない。
だが、実際にはまったく違う。
この言葉は本当にその通りだと思う。

料理は、温度、時間、材料、手順の積み重ねでできている。
同じ食材と同じ調味料を使っても、火加減や順番や待ち方が違えば、味はかなり変わる。

そして、これは料理だけの話ではない。
工芸でも、食材の生産でも、「どれだけ時間をかけるか」で結果や品質は変わる。

たとえば干物。
天日でじっくり乾かしたものと、石油を燃やした熱風で一気に乾かしたものとでは、やはり違うだろう。

たとえば燻製。
燻製機で時間をかけて燻したものと、燻製液で即席に仕上げたものとでは、別物に近い。

たとえば弓。
毎日少しずつ撓みを強くしていくのと、急に大きな負荷をかけるのとでは、後者では折れたりして、同じ結果にはならないはずだ。

こういうことは、人の成長にも少し似ている気がする。
同じ十年でも、激務の十年と穏やかな十年では、残るものが違う。
人生には、その時期ごとに必要な速度や負荷があり、もちろん個人差もあるだろう。

もっとも、だからといって昔話めいた修行譚をそのまま信じる気にはなれない。
忍者が跳躍力を鍛えるために、芽を出したばかりの木を毎日飛び越えていたら、最後には数十メートルの巨木も軽々と跳べるようになる――などという話があるが、そんなわけがあるか。

時間をかければ何でもできる、というほど世の中は甘くない。
けれど、同じ量を与えれば同じ結果になる、というほど単純でもない。
強火の5分と、弱火の10分は、やはり全く違うのである。


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