SAXの先生からは、直接教わったことも、間接的に教わったことも、本当にたくさんある。
教員を退職してから、ようやく「先生」という存在の必要性が、別の角度から分かってきた気がする。
そしてまた、「先生」にもいろいろな形があり、多様な先生から教わること自体に意味があるのだとも思うようになった。
私が習っている先生は、音楽教師としても、アーティストとしても、かなり長い経験を積んできた方で、とても柔軟な教え方をしてくれる。
私が吹きたい曲にも幅広く付き合ってくれて、ジャズのあとにアニメのテーマソング、その次にクラシック、さらにアメリカのポップスや映画音楽、という具合に、たいていの曲をレッスンに取り入れてくれる。
例外的に、久石譲はあまりお好きではないらしいけれど、それもまた先生の個性なのだろう。
こういう柔軟さは、やはり長く教えてきた人ならではのものだと思う。
音大を出たばかりの先生だとしたら、演奏の力はあっても、音楽の素人に教える面白さや、相手に合わせて教え方を変えることの意味までは、まだ実感しにくいのかもしれない。
もちろん、そういう若い先生に習う良さもあるのだろうけれど、年季を積んだ先生とはやはり違う。
これは学校の勉強でも同じなのだろうと思う。
大学を出たばかりで、手探りで教師になっていく人に習う意義も、もちろんある。
私自身も最初は新人教師だった。
けれど、経験を重ねた先生だからこそ見えること、できることも確かにある。
中学や高校では教科ごとに先生が違うけれど、小学校では基本的にほとんどの教科を一人の先生が受け持つ。
考えてみると、これはかなり大きな役割を一人に託すことでもあって、少し怖い賭けのようにも思える。
それでも長いあいだその形が続いてきたのは、やはり経験的に見て、それが子どもにとって最も自然で、全体を見渡しやすいやり方だからなのかもしれない。
教える側にいた自分が、久しぶりに教わる側に回ってみると、そこから間接的に分かってくることがいろいろある。
SAXのレッスンの十年は、音楽だけでなく、「先生」というものについて考え直す時間でもあったのだと思う。
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