神からの分離という信念
つまり
主体化解離催眠
において
罪の意識
はどこにもありえません
理由はかんたんです。
空想された個は
つまり
その個という想念は源をはなれていません
そしてさらに
空想された個に主体化解離催眠をかけることができるのも神だけです。
なぜなら、主体はまだいないからです
そして
主体化解離催眠をかけられた
つまりは空想を強化された個すなわちマインドは
催眠をかけられたあとですから、
その解離忘却した自律化信念であマインドが、それを解除することはできません(そもそも、それ以前を忘却しているので、罪の意識もわかりません)
このため、
罪悪感があるとすれば、じつは
催眠をかけたほう、つまり神にあります。
しかし、神は、
空想や、もう一つの空想である空想の強化(つまり催眠)が
空想でしかないと完璧にわかっていますので、
その空想は、行為(リアル)ではありませんので
罪悪ではないとしっています。
神が感じているのは
つまりは反省感です。
それゆえ、
自然精神統一という癒し(訂正)により、空想を帰還させます
もともと空想だった主体化解離催眠(大自我)の状態であるマインドは
空想努力の行為者化
であり
好奇心そして
努力を現実にしつづけて、シナリオ創造とその投影(行為)により
無常(生、住、滅、変化)という物語を経験します。
大自我と輪廻(あるいは、偽の神とアダムの失楽園)という妄想
は
真の神(ナチュラルノンデュアリティ)の恩寵により救済されるのです
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