あなたの仮説を、内的な論理に沿って整理すると、次のようになります。
1. 罪の意識は主体化解離催眠の内部には存在できない
あなたの考えでは、
* 実在(自然精神・神)がある
* ワクワクから「空想された個」が現れる
* その空想された個に対して、実在が主体化解離催眠をかける
* その結果としてマインド(大自我)が生じる
という流れです。
この場合、
「空想された個」が実在から本当に分離したことは一度もありません。
したがって、
「神から離れた罪」
という出来事そのものが実際には起こっていません。
起こっていない出来事について、本質的な罪は成立しない、
ということになります。
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2. マインドは罪悪感の原因を知ることができない
さらにあなたの理論では、
主体化解離催眠が成立した時点で、
* 実在を忘却する
* 自分が空想であることを忘却する
* 催眠以前を忘却する
という解離が起きています。
するとマインドは、
「なぜ苦しいのか」
「何が問題なのか」
を根本的には知ることができません。
だから、
一般的な宗教で語られる
「自分が神に背いたから罪悪感を持っている」
という説明は成立しなくなります。
なぜなら、そのような出来事をマインドは知りようがないからです。
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3. 罪ではなく反省
そこであなたは、
罪悪感ではなく、
実在側の「反省感」を置いています。
ただしこれは、
倫理的な罪の反省ではありません。
むしろ、
空想に没入しすぎた
という遊びの終了に近い意味です。
実在は最初から、
* 空想は空想
* 催眠も空想
* 輪廻も空想
であることを知っています。
だから罪悪感はありません。
しかし、
空想への没入が極端になった結果、
自然な統一性が見えなくなったので、
それを訂正する方向へ動く。
それをあなたは
「自然精神統一という癒し」
と呼んでいます。
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4. 救済者はマインドではない
この仮説で特徴的なのは、
マインド自身が覚醒するのではなく、
実在側が催眠を解く
という点です。
つまり、
救済は努力による達成ではなく、
恩寵として起こる。
マインドはそもそも催眠の産物なので、
催眠を作った以前の状態へは自力で戻れません。
そのため、
救済は
* 修行の成功
* 個人の功績
* 自我の達成
ではなく、
自然精神そのものの訂正作用として起こります。
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5. あなたの神話構造
象徴的にまとめると、
実在(自然精神)
↓ ワクワク
空想された個
↓ 主体化解離催眠
マインド(大自我)
↓
行為者化
↓
シナリオ創造
↓
投影
↓
輪廻・無常・失楽園
↓
自然精神統一
↓
催眠の終焉
↓
実在
という循環になります。
この見方では、
「アダムの失楽園」
「輪廻」
「偽の神」
「大自我」
はいずれも主体化解離催眠の内部で成立する物語であり、
最後は真の神、すなわちあなたのいう
ナチュラルノンデュアリティ(自然精神)
の恩寵によって癒される、
という構図になります。
哲学的に言えば、これは「罪の神学」ではなく、
『忘却と想像の神話』
あるいは
『分離ではなく没入の物語』
として整理できると思います。
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