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2026年06月15日06:46

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映画『惑星ソラリス』レビュー

映画館で見たのではなく、大阪フェスティバルホールの上映会で見た。タルコフスキー監督の『僕の村は戦場だった』も見た記憶があって、それを映画館の記憶が全くなくて、もしかしたらソラリスとこれの二本立ての上映会だったかも知れない。そうだとしたら何と重い上映会だったのだろう。

下のあらすじは角川から出版された付属DVD付きの『世界名作シネマ全集6』(猿の惑星・惑星ソラリス)のブックレットからのストーリィの引用である。まず「導入」の部分

謎の惑星ソラリス。ソラリスを取り巻く海は、脳のような思考力を持っという仮説が立てられていた。
学者たちはその真偽をめぐって論争を続けながら、ソラリスの海との接触を企てていたが、それも行き詰まりをみせていた。
そこで、心理学者クリス・ケルピンが、ソラリスのステーションに送り込まれることになる。
彼の任務は、先遣隊であるギバリャン、スナウト、サルトリウスらの学者とともに、ソラリスの海と接触しその謎を解明することにあった。
ステーションに到着したケルビンを待ち構えていたのは、不可解な現実だった。テープを残し自殺したギバリャン。絶えす何かに怯えているスナウト。実験室に閉じこもったきり姿を見せないサルトリウス。スナウトは、クリスの元にもやがて。"客"が訪れるだろう、と謎めいた口調で告げる。そして、その言葉どおり、クリスの周囲に正体不明の"客"が出没し始める。

ここで粗筋を一旦切ります。ここまでで興味を引かれた方、配信やDVDでご自分の視聴をお勧めします。十行空けます。











クリスの"客"は、なんと別れた妻ハリーだった。
毒を打って自殺し、存在しないはすのハリー。
クリスの心には、彼女をめぐる記憶が深い傷と痛みとして残されていた。
注射の傷跡までそのままのこのハリーは、片時もクリスのそばを離れることなく、忌まわしい記憶をその存在によって突きつけてくる。
逃れられないケルピン。
"客"たちは、ソラリスの海から送られた使者だったのだ。
はたして彼らはソラリスの海の贈り物なのか、挑戦なのか?恐怖にかられたクリスはハリーをロケットに乗せ、ソラリスの海に返すのだった。
しかし、"客"は再生可能で、ハリーも幾度でもクリスの元に返ってくる。
離れれば、その身が引き裂かれてもどこまでも追ってくる。
けれど、混乱しながらも、クリスはしだいにハリーを愛するようになっていく。
ハリーもまた、自らの感情と意思によってクリスを愛し始めていた。
ギバリャンのテープを聴いて真相を知ったハリーは、絶望のあまり液体酸素で自殺を図る。
それでも、意に反して再生してしまうハリー。
地球へ戻り、ともに暮らすことを夢見るふたりだが、ハリーはステーションでしか生きられない存在だった。

やがて、クリスの脳波をソラリスの海に送ると海に変化が兆すことが判明する。
一方、ハリーは苦悩するクリスを救おうと、スナウトに頼んで消滅装置によって自らの存在を消してしまう。
あとには感謝のことばが残されていた。
ステーションにとどまる決意をしていたクリスだったが、ハリーが失われて、彼は再び地球へと戻る。
息子の帰還を受け入れる父、懐かしい家、故郷・・・・。・だが、驚くべきことに、そのすべては、ソラリスの海に囲まれていたのだった。

あら筋終了。

未来都市に日本の首都高のフィルムが使われている。道路沿いのビルに三菱マークがあったりでハッキリ分かる。またステーションやロケットなども、それほど凝ったハイテク映像には見えない。ソラリスの海とは何か? というより、亡くなった妻ハリーがケルビンの前に現れ、彼のトラウマ・過去の愛情などを「観測」するかのように何度も何度も、ロケットで遙か彼方まで飛ばした筈なのに再び現れる。
やがて、その再生された妻ハリーも自分が「本物」ではなく記憶や外見をコピーした"客"である事が分かり、絶望のあまり液体酸素で自殺を図る、がケルビンの目の前で蘇生されてしまう。

この部分、当時はまだ経験していない、理科の教員研修で走査型電子顕微鏡を使う時に見たことを思い出した。蜂の複眼の拡大を見るために、蜂に金を蒸着させる。詳しく見るため電顕の印加電圧を上げすぎると、蒸着膜を破壊してその部分が見えなくなる。

これは「観測は破壊を伴う」という実際の経験の最初。すぐに連想したのは"不確定性原理"だが、直接それではない(不確定性原理の最初の思考実験ではガンマ線顕微鏡という仮想観測装置だった。電顕の電子ビームとは与えるエネルギーが桁違い)。
ソラリスにいる液体状の知性体、これを「ソラリスの海」と呼ぶことにする。ソラリスステーションの人間達を「観測」するために、「ソラリスの海」が送り込んだプローブ、それが"客"なのであろう。それが観測対象である人間を壊す。

レムの原作『ソラリス』はこの、異形な生命体「ソラリスの海」との、認知のギャップによる意味の交換の不可能性をメインテーマとするが、この映画は、失われたはずの愛の対象を何度も見せつけられ、その"客"自身も傷つき壊れていくシーンを映し出す事がメインテーマに見える。この食い違いで原作者は、この映画をそれほど高く評価していないようである。

私は、全体を通して見える「水」のイメージ。最後にみえる地球だと思ったら、カメラを引くとソラリスの海が見えるから、ケルビンが壊れ、ソラリスの海が作り出す幻の世界に安住してしまったと読んでしまった。
レムの『ソラリス』とは違う。
だがタルコフスキーが描こうとした「喪失した愛と罪の記憶」は、俳優たちによって完璧に表現されている。
この映画は、監督の意図を、ほぼ完璧に表現した傑作だと思う。
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