スピリチュアル研究レポート2
実在は
ただ在る(メインの性質)、そしてワクワク(サブ性質)
であると仮定するなら、
(なぜなら、実在が
ただ在るだけの純粋一元、静寂だけだと、
変化する空性が生じてくる
ことは
ありえないためです。しかし、日常生活においては、変化は感じられます。
実在純粋一元では、それすらおこりえない仮説ですが、それは
矛盾するからです。
また、ブッダなどの聖者により、
ニルヴァーナの説明がこの世界にもたらされていることにより、
実在がワクワクのみの存在であることも、矛盾します。
したがって、仮説は
実在は
ただ在る(メインの性質)、そしてワクワク(サブ性質)と仮定します。
そして
ワクワク
から
空想がおき
空想された個に
解離催眠をかけ
(イエスのアコースインミラクルズの形而上学)
無明の大自我となります
解離無明の大自我は
自我の枠のなかに、客体をつくり
客体の中に、シナリオ、そして、
主体化催眠をかけた魂たちをつくりだします。
日常生活においては
魂は、シナリオ(多次元ボディや環境)という映画を観察しています。
魂自体は無意識になって
映画を観ているのです。
したがって仏教では
五蘊(色受想行識)は
我ではない
我は空である
といいます。
大自我、魂たちは空想、空性の産物だからです
しかし
五蘊は
どこからか生じてなければ
それが癒されて、帰還することはできなくなってしまいます。
したがって
五蘊は
魂という小さな我(空性)という統一者
によっておきたのではなく
大自我という空性
から
誤創造
つまり
無明から誤創造された
12縁起という三世の空縁起なのだと
仮説できます
そして
大自我という無明つまり
空想にすぎないものが
癒され実在に帰還するとき、
大自我からの諸行(業)つまり五蘊、そして魂たちも
すべて癒されるのです
実在
すなわち
ただ在るというメインの性質、(そしてワクワクというサブ性質)
の
ただ在るというメインの性質により、
無邪気なワクワクというサブ性質
からの空想を制御し、
空想エネルギーを帰還終焉させます。
空想というもの
そして、大自我も
努力であり
その生まれたものは滅びますが
また、
生まれる可能性があります
したがって
ただ在るというメインの性質により
封印する必要があるのです
大自我は
解離主体化催眠であり
努力を現実にした状態です
つまり苦しみを現実にした状態であり
癒される必要があります
また、
解離催眠前の
空想された個という発想もまた
努力です
その努力は現実化されていませんが、
努力は現実化されていない苦しみ
ともいえます
しかも空想は
実在の量をふやすこともできず
その意味で、無意味な努力だといえます
したがって努力、苦しみ、という空想も
必要ありません。
このようにして、空想は終焉するのです
大自我以前には
主体や客体という概念はありませんでした。
したがって
以上のような
空想(試み)は
実在(ただ在る、そしてワクワク)
から
ただ試しにおきてみたという
オートマチックな
現象と癒し
そして終焉
といえるでしょう
ログインしてコメントを確認・投稿する