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2026年06月01日05:10

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ワーカーホリック−−教員限定のリアルと、フィクションの中での構造−−

私は一年と少し前までは教員だった。
今は少し変わっているのかもしれないが、長いあいだ教員調整手当は4%のままだった。
これは、家庭訪問や部活動の付き添いなどで正規の勤務時間をどれだけ超えても、残業代を個別には出さない代わりに、一律で4%を上乗せするという仕組みである。
言い方は悪いが、かなり「定額働かせ放題」に近い構造だったと思う。

こうした仕組みが、教員の職場はブラックだという評判につながってきたのだろう。
そして、その評判はたぶん噂ではなく、かなり実態に近い。
教員採用試験の競争率が下がっている背景にも、こういう事情はあるのだと思う。

私はそこそこのところで切り上げて帰るほうだった。
けれど、この構造は、仕事にいくらでも凝りたい人にとっては、ある意味で都合がよかったのかもしれない。
普通の会社なら、残業代の予算もあるし、管理職から「もう帰れ」と言われることもある。
だが教員の仕事は、授業準備や教材研究、学級経営の工夫など、探そうと思えばいくらでもやることが見つかる。
しかも、どれだけ学校に残っても、それ以上に財政負担が増えるわけではない。
だから、誰よりも早く出勤し、誰よりも遅く帰り、土日に学校へ行ってもたいてい居る、という教員が実際にいた。

もちろん、あまりに学校滞在時間が長い教員には、産業医の面談や管理職からの注意が入ることもあるらしい。
ただ、勤務時間は自己申告の部分もあるので、本当にそれで労働時間が減るのかというと、かなり怪しい。
少なめに申告してしまえば、それで済んでしまう面もあるからだ。

こういう構造の中では、ワーカーホリックはむしろ温存されやすい。
本人に承認欲求があり、しかも仕事そのものが趣味に近い場合、本人はそれほど苦痛を感じない。
周囲からは「熱心な先生」と見られ、生徒や保護者から感心されることもある。
だからなおさら、止まりにくい。

さて、こういうワーカーホリックの構造は、フィクションの中にもよく出てくる。
たとえば「なろう」系の小説では、主人公が領主に転生し、現代日本の知識や技術を持ち込んで領地を大発展させ、周囲から「立派な領主さま」と賞賛される、という話がよくある。
そのために主人公は身を粉にして働き続ける。
もちろん物語だから、過労で倒れたりはしない。

けれど、読んでいて時々ひっかかる。
その領主に心酔している部下たちは、「少し休んでください」とは言わないのだろうか。
もし本当に忠実な部下なら、主君が働きすぎている時には止めるのも役目ではないか。
それをせず、ただ能力ある領主に寄りかかっているだけだとしたら、忠誠というより寄生に近いのではないか、とも思う。

現実の教員のワーカーホリックは、結局のところ、その人の中で「やりたいこと」と「使える時間」の配分がどうなっているかで決まるのだろう。
仕事に重みを置く人は、どうしてもそこへ時間を注ぎ込む。
ある意味では、本人の需要と供給の交点のようなところで決まっているのだと思う。

一方で、フィクションのワーカーホリックは、作者が作中人物に何を優先させるかという設計の問題になる。
周囲からの賞賛や承認を第一に置くと、主人公の過剰な労働は美談として描かれやすい。
その結果、本来なら見えてくるはずの「搾取ではないか」とか、「周囲が主人公に依存しすぎていないか」といった醜さが、作者の視界から抜け落ちてしまうのかもしれない。

ワーカーホリックは、一見すると献身や情熱に見える。だが、その情熱が個人の善意だけに支えられている時、現実では制度の歪みを隠し、フィクションでは周囲の依存を見えなくしてしまう。だから私は、熱心に働く人を見るときほど、その人を支える仕組みや周囲との関係を考えたくなる。

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