現実創造における勘違い
実在は在るがままである
そこには幻想はない
さて たとえば
お金がない
と信じているのは
欠乏感が心の底にあるから
と
説くスピーカーがいる
欠乏感とはなにか
それは
実在ではない
という空虚さの存在である
という状態である
では
満たされている
と気づけば
豊かさは 漏れ出す
そして豊かになるといえるだろうか?
いや
それはおかしくないか?
満たされている
とは
在るがまま
ということなのである
無条件 無努力 リアル
の在るがまま
ということだ
では
もどる 満たされることにより
漏れ出す
ということは矛盾していることになる
漏れ出す
とか
お金がある状態になる
だとか
は
在るがまま(満たされている)
に気づくことではなくて
そこから
努力(活動)により
現実想像をするということなのです
在るがままで 何もしないのに
なにかがあふれてくる
など
ありえないのである
スピリチュアルにおける
愛系のスピリチュアルでは
このような区別はなされていない
なぜなら
はじめから
愛系は
活動性が基盤だからである
それは
静寂が基盤であるとは信じないため
はじめから
活動を前提にしているため
必然的に活動があふれてくる
ことにもつながる
静寂系ノンデュアリティ
と
愛系スピリチュアル
のちがいは以上である
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