mixiユーザー(id:68644421)

2025年12月18日05:05

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形而上学の説明 心理療法は煙幕である

一般的な心理療法においての
子が親に対する
怒り
というのは
子は親に守られてもいるため
子はその意識問題を抑圧(否認)し
投影していることになります
(学校でのいじめなど)
他者への怒りの投影です

もしくは
より巧妙に
他者(先生や同級生)が自分に対して怒っている
かのようにもみえます

しかし

心理療法で重要視されるような最初の

自分の親への怒りや親が怒っているということ

さえもが、

じつは

形而上の偽りの神(大自我)が自らの存在についての不自然さ、苦しみ、怒り
を
抑圧(否認)した
あとの

分裂した魂たちが投影のなかにみている他者というすでに代替(人間の親)という煙幕なのです

したがって、
幼少期のインナーチャイルドにおける最初の問題さえも
じつは
すでに形而上からこのように投影された煙幕でしかないのです

ナチュラルスピリット(ただ在る実在)においてのサブ性質(好奇であり不自然)からの
好奇の試み

それは

空想された個をうみだし

さらに
この形而上の段階で主体化催眠されたものが
大自我(I AM 我在り)

なのです

彼は主体化催眠という解離により
実在を忘却しています

つまり
「実在を覚えていません
それが解離だからです」

したがって
実在への怒りも
実在を自分が裏切ったという罪悪感もありません

そうではなく

得たいのしれない
好奇心と苦しみの存在として在る
という状態
にいたのです

ナチュラルスピリットにおけるサブ性質である好奇であり不自然性
は
空想された個をうみだし
さらなる主体化催眠をかけた存在ですから

解離状態を実在だとは信じはいませんので
実在にとっても罪悪感はありえません

ただ間違いだったという訂正可能なものとして
みるだけです

したがって

スピリチュアルでいうよくいうう神からの分離の「罪悪感」を感じることは
解離の前であろうと、
解離の後であろうと

そのような罪悪感というかたちで
感じている存在はいないのです

ただ
主体化催眠(解離)された大自我は
得たいのしれない好奇心であり苦しみ
としての存在として自らを認識しているのです

ナチュラルスピリット(メインの性質である在るがまま、や、サブ性質である好奇であり不自然性)
という実在のレベル
を
忘れた

その大自我(さいしょの主体化マインド)
は
探求や苦しみの抑圧(否認)により

投影をつくり
魂たちが経験します

投影が知覚をつくり
思考
感情
という好き嫌いのジャッジにより

マインドは悪循環をつづけ輪廻するのです

これは
実在におけるサブ性質から
空想(シャクティ)の力によりオートマチックにおきているので
ふたたび
好奇は不自然であるというもともとの認識(サブ性質)
にやがてオートマチックに
帰還する宿命にあります

そのあいだ
メインの性質(ただ在る)は
サブ性質のような流出はせず
永遠に実在でありつづけているのです
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