仏教の本をよんでますが
五蘊仮和合により
自我という錯覚がおきる
とかいてますが
?(違和感)
です
そもそも
無明
行
つまり根本存在に無知
(12因縁という幻想をしらないという
無知ではないことに注意 それは堂々めぐりになるだけ)
のため
行為者という自我信念が
すでにおきているのであり
さらに
形而上学的な大自我の意識(識)
のあとに
名色(魂とシナリオ)
がありそこでも魂(小自我)という信念が
おきています
したがって
魂がそのあとの六処(顕在意識や五感)
と同一視することで
私という日常的な錯覚がうみだされています
つまり
五蘊(六処のレベルの働きの説明、色受想行識)
の仮和合だけで
私という錯覚がうみだされるというわけではないのであります
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