(形而上学)自然からのオートマチックの終焉
ナチュラルスピリットによって
空想された個
そして
それにたいする主体化催眠がおきます
そして自律(催眠、自我)にハマることになります
つまり
自律していると錯覚するようになる自我は
さいしょの空想である
個を作ったのは
個ではなく
個を癒すのも
個ではない
そして
私(主体化、自律催眠)として
分離が現実化したこともまた、
それをしたのは
ナチュラルスピリットであり
私ではなく
それを癒すのも
私ではない
ということを否定する催眠だといえます
しかし実際には、
催眠前も、催眠後も、
ノンデュアリティからのオートマチックということになります
それは
ナチュラルスピリットが
分離の現実化の遊びをするためであり
誤った自律による
宇宙誤創造(想像)の遊びだったのです
自律という解離催眠により興醒めすることなく
現実化された個の世界を遊ぶためです
しかし、その空想努力は空回りで非実在であるために、ほんとうは無意味なことでした。
これらは神の試みの誤りだったのです)
その
神の試みの誤り(空想の個や、さらに催眠による探求心)
においては
分離を現実にする催眠をかけたあとに、
その自我主体に宇宙の脚本(シナリオ)を描かせていました。
主体という自我は、
好奇心だけではなくて苦しみの二元ストーリーの脚本を描きます。
自我は自律催眠にかかっている脚本家でもありプレイヤーでもあります。
表面上異なるようにみえる特別の欲愛と憎悪という自我の二面性を演じることになります。
ところが
ノンデュアリティ(非二元)オートマチックが恩寵により
主体化催眠を
解くと、
幻想はすべて作られてしまった自動的な空想とわかることになります
そしてじつは
ノンデュアリティオートマチックが
幻想の癒しのために
脚本も
目覚めのために修正していたとわかることになります
その訂正された脚本で
出会う最後のメッセージとは
わたし(探求心)を作ったのは
わたしではなく、
ナチュラルスピリットであり
わたし(探求心)をおわらせるのも
わたしではなく
ナチュラルスピリットである
というメッセージです
そして恩寵により
探求心は癒され
宇宙は終焉し
ピュアノンデュアリティへ帰還することがおきます
自然からのオートマチックの終焉です
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