土曜日は、午前中にかかりつけのクリニックに行き、その後、水槽の水替え。
アーリーの稚魚も大分大きくなって来たな……
40cm水槽の水替え時、上部フィルター用のポンプが詰まっているのに気づき、その解消にちょっと手間取った……この調子だと、午後の映画に間に合わない、と90cm水槽の水替えは明日に先送りし、40cmと60cmの2本だけ水替えして出かける。
川崎駅地下で、チキンカレーで昼食を済ませ、チネチッタに駆け込んだのはもう時間ぎりぎりだった。
そんな今日の1本目は、
「ハヌ・マン」。
これは、インドの叙事詩「ラーマーヤナ」に登場し、広く信仰されている猿神・ハヌマーンから着想を得たスーパーヒーローアクション。
監督はテルグ語初のゾンビ映画「Zombie Reddy」で注目されたプラシャーント・ヴァルマ。
古い風習の残るインドの地方の小さな村に住むハヌマントゥは、気の強いしっかり者の姉アンジャンマと暮らしている。
ハヌマントゥは身軽だけど、腕っぷしは弱く、決闘で揉め事に決着をつける風習のある村の男たちからは小馬鹿にされていた。
そんなある日、幼馴染のミーナークシが盗賊に襲われ、その危機を助けようと駆け付けたハヌマントゥだが、盗賊に逆襲され、手傷を負わされて海に突き落とされてしまう――だが、海中で、神秘的な体験をしたハヌマントゥは……
これは、インド版スーパーヒーロー映画。
そのヴィランとなるのが、スパイダーマンやスーパーマンに憧れ、やがてバッドマンのようなマスクヒーローになった男、と言うのはいささか洒落がキツいように思う。
映画は、無力な青年が、スーパーパワーを手にし、その力で自身と、周りの社会――とりあえず、この映画では育った村の、悪を正して行く……と言うスーパーヒーローものの王道ストーリー。
その中で、力を持つ者の責任が問われ、寛容さを示して仲間を作り、そして、ロマンスと……まぁ、この辺りも定番の内容だろう。
ただ、この映画、とにかく展開が冗長で、勿体ぶって話を進めないのにはもどかしい思いにさせられた。
映画は158分もあるのに、漸く猿神・ハヌマーンと出会い、世界を滅ぼす邪悪な敵に臨む、と言う所で、「続く」となってしまっては、さすがに消化不良の感じだ。
間を置かず、終了後5分で本日2本目は、
「花嫁はどこへ?」。
これは、「きっと、うまくいく」などで知られるインドの名優、アーミル・カーンがプロデューサーを務め、元妻であるキラン・ラオが監督したラブコメディ。
2001年、インドの農村で、妻の実家での結婚式を終えたディーパクとプールと新婚夫婦は、列車でディーパクの家に向かっていた。
吉日のせいもあり、列車内には同じような新婚夫婦が幾組も乗り合わせていた。列車は遅れ、目的地着が深夜となった事もあり、暗い車内で、ディーパクは花嫁を取り違えてしまう。
家に戻り、ベールを外した新妻を見たディーパクはびっくり。そこに居たのは見知らぬ女性、ジャヤだったのだ。
一方、プールは列車内に置き去りにされ、慌てて列車から降りたのは見知らぬ駅……農村生まれで文字も読めず、村の外の事は何ひとつ知らないプールは、たったひとり、おろおろするばかりだったが……
この映画、2組の新婚夫婦が、新妻を取り違える、と言う、殆どコントの設定にしかなりようがないアイデアを、20年前の古いしきたりの残る農村を舞台とする事で、実際にあり得る説得力を持たせている。
2人の花嫁も、プールは受動的で、無学だけど純粋無垢で裏表がなく、ジャヤの方は、能動的で、知識も教養もあるけれど真意が読めない、と言う対照的なキャラクターとし、物語の方も、プールの方は家と村以外の、彼女にとっての新たな世界で居場所を作る、心温まる物語にする一方で、ジャヤの方は警察を絡めて彼女の隠された目的を明かして行くサスペンスとし、そのふたつの物語を並行してテンポよく描いている。
歌と踊りのインド映画としては珍しい事に、本作は歌が印象的に使われる場面はあれど、それは回想シーンや心理描写として使われるのみで、ダンスシーンはなく、この辺り国際的な作りと言えるだろう――と言うか、前半をコミカルに、笑い重視で描き、後半、シリアスなドラマを描いて感動の大団円に向かう展開はむしろ韓国映画のようでもある。
そんな中に、女性の自立や権利の獲得、社会進出を描き、伝統的な封建的家族観の中で起きがちな家庭内の女性におけるDVについても、法が裁くとする、社会性も盛り込むのは、さすがアーミル・カーンと言う所だろうか。
最後は思わぬ逆転劇もあり、収まるべき所に収まった物語は、予定調和かも知れないがやはり気持ちのよいもの。
これは面白い映画だった。
映画の後、夕食はインドカレーの店へ……まぁ、今日は5時間もインドに浸っていたので、当然でしょ、と。
今日の夕食はビリヤニにした。
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