「結婚は生殖のため」国の主張に“同性婚映画祭の実行委員長”が反論
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多様性の強制とは「自分と異なる価値観も認めること」なわけだが。大前提として「様々な人種、性別、生い立ち、立場、知識量がある時点で価値観は異なる。
私個人の「価値観」でよく「自由・平等・博愛の順序で考える」というのがあるので、まずはそれを当てはめてみよう。
まずそれぞれの権利としての自由が尊重されるべきというところから始まる。次にそれぞれが権利としての自由を主張するとぶつかり合う状況が生じるので平等という概念で調整解決を図る。「自由と平等」だけでは救われない社会的弱者を努力目標として救済しようという努力目標として「博愛」があるという感じだ。
今回の記事は「博愛」の概念で考える。
社会的に少数派や弱者とされる方々が「平等に扱ってほしい」というお気持ちや立場は理解している。ただ、「多数派と少数派の差」というのは明確に存在しているわけで、これは差別とか区別とかいう以前の「事実」だ。
そして社会的資源は有限である。それを人数比率を考えて分配するのは当然のことだ。たとえば「トイレや更衣室の設置」などがわかりやすい。多数存在する男性や女性のためのトイレや更衣室の「予算」や「面積」を削り、少数派のための更衣室やトイレを同じ数だけ設置すると。当然多数派の男性や女性は少数派に対して反発心を覚えるだろう。
少数派こそ多数派に配慮して主張するほうが良いと思う理由だ。
少数派というのは多数派を敵に回すと潰される確率が高い。自分に利害がない間はある種無責任に応援していられる。だが自分の既得権益を削られるとなればほぼすべての人物が抵抗を示すだろう。なので、むしろ多数派を説得して味方にしていく方法が最適だろう。
これは昨今のコロナワクチンの主張などでも散見されるが、なぜか異なる意見の他人に対して、上から目線の喧嘩腰で説教や罵倒をする方を見ても思うことだが。「仮に主張が正解でも方法が間違ってると失敗する」と思う次第だ。
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