ケリー・ライカートという名前は、これまでまったく聞いたことがなかった。アメリカの女性映画監督で、独立映画の世界では知られた人らしいが、日本ではその作品が上映されたことがなかったらしい。今年、過去作4本を集めた「ケリーライカートの映画たち 漂泊のアメリカ」と題する特集上映が各地を巡回中だ。
関西では、京都の出町座で7月末から上映されていたが、これから大阪のシネ・ヌーヴォと神戸の元町映画館で開催の予定だ。私は8月に2日に分けてこの4本を見た。
ライカートの映画は、今まで見てきたアメリカ映画とは確かに違う。
クロエ・ジャオの描いた「ノマド」の世界にも通じる、まさに漂泊と呼ぶにふさわしい異質なアメリカがそこには映し出される。以下、内容に触れています。
最初に見たのが1994年の「リバー・オブ・グラス」。
マイアミの田舎町に暮らす退屈な主婦コージー。あたりは「リバー・オブ・グラス(草の河)」と呼ばれる、草だけが生い茂る沼地。何もかもがつまらなくて、草ぼうぼうの湿地を歩いて辺鄙なバーへ。そこで、やはりヒマを持て余している男、リーに出会う。リーはひょんなことから拳銃を手にしていた。深夜のドライブで、金持ちの邸宅に忍び込み、プールではしゃいでいるところに人の気配。リーが撃った銃弾が当たってしまった。「殺人を犯してしまった!逃げるしかない」
思いもかけず、巻き込まれた犯罪、そして逃避行に、これまでにない胸の高まりを覚えるコージー。モーテルで不安な一夜を過ごし、警察の目をかいくぐって、州境に向かう・・・。しかし、ハイウェイ警察の訊問を受けてわかったことは・・・何のことはない、殺人は起きておらず、指名手配もされていなかったのだ。なんというオチだ。
紹介文にある通り、「ロードの無いロード・ムービー、愛の無いラブ・ストーリー、犯罪の無い犯罪映画。いや、こんなに拍子抜けする映画ってありかい。また退屈な日々に戻ってくしかないコージーの憤懣はリーに向かう。それにしても、ほんとに変な映画、というのが第一印象。
2本目に見たのが「オールド・ジョイ」(2006)う。「悲しみとは使い古された喜びに他ならない」という格言かなんかが元になったタイトル。
二人の男が森の中の温泉をめざすロードムービー。結婚して定職もあり、もうすぐ第一子が生まれるニック。旧友のカートは今もヒッピーの暮らし。その淡々とした旅のあいだ、カーラジオからはずっとニュースが流れ、その当時の政治社会状況を浮き彫りにする。途中、寝てしまったので、わからないところもあるが、ともかく、ふたりは森の温泉に辿り着き、粗末な小屋にしつらえられた浴槽に浸かる。旅が終わり、またカートは一人雑踏に紛れるヒッピーに。なんてことないんだが、なぜか寂寥感の漂う映画。寝てしまったのが惜しまれるので、今度、大阪で上映される時にもう一度見たい。
3本目は「ウェンディー&ルーシー」(2008)。これも、何かとうまく行かないことばかり起こる話で、主演は、自らケリー・ライカートに売り込んだミシェル・ウィリアムズと、「オールド・ジョイ」にも登場した犬のルーシー。踏んだり蹴ったりの目に遭いながらも、一人旅立つウェンディーが愛おしい。
4本目が「ミークス・カットオフ」(2010)。これぞ、開拓時代の悪夢のようなロード・ムービー。オレゴン・トレイルと呼ばれる砂漠の中の道を幌馬車で西へと向かう三家族。彼らは、近道を知っているという流れ者のミークを雇うが、にっちもさっちも行かなくなってしまう。そこにネイティブ・アメリカンの男性が通りかかり・・・。他の3本よりもお金をかけて昔の幌馬車やら、18世紀風コスチュームなどを作り上げており、圧巻の作品。開拓時代というのは、西部劇に描かれてきたような冒険活劇の世界ではなく、こういう何もかもがどん詰まりみたいな旅の連続だったんだろうな・・・。ここでもミシェル・ウィリアムズが圧巻の演技。以前、京都ヒストリカ映画祭で上映された「ホームズマン」とか、「ダムゼル とらわれのお嬢さん」などと同様に「語り直された西部劇」の系譜につながる作品だと思った。
アメリカにもこういう映画があるんだ、と発見した気分になる特集。万人向けではないだろうが、ハリウッドの娯楽大作映画が好きじゃない私には、とても楽しめた。
写真は、「ウェンディー&ルーシー」の一場面。
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