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2021年03月07日08:33

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不幸の2段階構造「落差」「境界」「比較」に注意 

ゲームのデータが消えて号泣する娘に何と声をかける? 「6歳児初めての絶望」描いた育児漫画にもらい泣きしそう
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=128&from=diary&id=6436388

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ストレス耐性偏差値76(2回目の検査。1回目は異常値が出た。ウン万人が自殺を選ぶ状況でも自殺しないメンタルらしい)私としては「不幸が起きた瞬間に割り切って受け入れる」のがストレスによるダメージを受け付けないコツだ。

すでに発生した不幸は仕方がない。ふっとんだセーブデータは大概復元できない。一瞬復元を考えるのはまったくの無駄ではないが、長時間それに思考を縛られるのは全くの無駄である。それよりも未来志向で「今後何ができるか」に切り替えるべきだ。私のストレス耐性の正体はこの瞬時の切り替えだ。以前まではストレスは受けても継続ダメージを避けるという表現をしていたが、違うことに先ほど気づいた。「不幸の構造」は「不幸な事象」があり、その後の「悲劇的選択」があるという2段階方式になっている。私は「悲劇的選択をしない」のが上手なのでストレス耐性が高いのだ。


不幸というのは総量よりも「落差の大きさ」「発生した瞬間の境界線」でこそダメージが大きく致命的判断ミスを起こしやすい。若干、不謹慎かもしれないが「架空の喩え(実在人物無関係)」「説明のため」のものであるのでご容赦いただきたい。言葉狩りもご容赦いただきたい。

�\犬泙譴弔�視力のない方(現在80歳)
�△發箸發隼詢呂呂△辰燭�徐々に落ちていき現在視力がない方(現在80歳)
��ずっと視力があったが80歳の誕生日に事故で視力を失った方(現在80歳)

視力のある期間とない期間の差を「不幸」だとすると「不幸の総量」は��>�◆筬�となろう。一方で「不幸の落差」は��<�◆祗�であろう。

もし私の身近にこの3名の方がいるとしたら、最もケアをするのは��の人物であろう。

�,諒�はいま改めて視力を失った不幸を痛感することはない。なぜなら「視力のない状態が日常」となっているから。�△諒�も視力のない状態に慣れる猶予期間、ソフトランディング期間が十分にあった。��の方は「落差」が大きい。ゆえに精神的落ち込みからさらなる「悲劇的選択」を選ぶ可能性が高い。

…説明はまだ必要でしょうか?(笑)

また、今回はいずれも80歳と仮定したが、これが全員生後8か月のお子さんならそこまでの大差はつかない。(生後8か月なら視力を失ってよいという意味ではないので、くれぐれも誤解のないように。世の中には書いてもいないことを極論化して攻撃してくる方もいるので一応書いておくが)「悲劇的選択」をくだすほどの判断力や行動力は世間一般の8か月児にはないからである。

全員20歳くらいの青春真っ盛りだと�´↓�いずれも危険度が上がるかもしれない(20歳の方なら視力を失ってよいという意味ではない)。同世代の友人知人と「比較」した結果、不幸の落差を感じやすいからである。

本記事のような「不幸」は全力で避ける努力をすべきだが、長い人生では不可避の不幸は続々と襲ってくる。「不幸な事象そのもの」は避けきれないことも多いが、その後の「悲劇的選択」は「自分の領域」にあるのだから確実に避けることが可能だ。

世の中の諸問題には「自分の領域」「他人の領域」「環境の領域」がある。明確に区分されるものもあれば、各領域の境目に存在する問題もあるが。解決できるのは「自分の領域」だけだ。私は「自分の領域の見切り」が上手ゆえに楽観的であり、ストレス耐性が高いのだろう。


課題を「自分の領域」と見なすとメリットデメリットは
�ー�分で変えていける、自己成長できる 
一方でデメリットとして支えきれない背負い込みをすると精神が病む
�∩蠎蠅坊�われない
�2歛蠅�解決する

課題を「相手の領域」と見なすメリットデメリットは
� 崋�分は苦労しない、裏を返せば成長できない」
�◆崛蠎蠅坊�われること」何でもかんでも相手の責任にしてたら嫌われるに決まってる。
�2歛蠅�解決する

課題を「環境の領域」と見なすメリットデメリットは
�ー�分は苦労しない、裏を返せば成長できない
�∩蠎蠅坊�われない
�2歛蝓覆遼楴繊砲�解決しない

全力で取り組むべきは「自分の領域の課題」だ。データの復元は検討の結果自分の領域にないと決まった瞬間に「割り切って諦める」のだ(もし、自分が天才的プログラマーで技術的復元が可能だとか、そういう知り合いがいて頼める関係性にあるなら自分の領域の課題となる)。自分の領域にない課題を精神的に損切できるようになれば「悲劇的選択」は避けることができる。
なお、「ある課題が『どの領域にあるか?』という判断」は「自分の領域」にある。一方で「ある課題が『どの領域に属しているか?』という事実」は「環境の領域」にある。禅問答みたいですな(笑)。
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