mixiユーザー(id:282502)

2019年04月15日01:33

132 view

映画「岬の兄妹」

 これも「洗骨」と同じ日に最後に見た映画だけれど、見た順序としては正しかったと思う。「洗骨」が家族内でいろいろあるけど、まあ、想定内のできごとで最後は丸く収まる人情物であるとすれば、こちらはすべて、想定外というか、こういう状況はあってほしくない、やっちゃダメだろの連続で、いったいどこに行くのかわからなくて目が離せないという話。とても悲惨な話のはずなのに突き抜けたユーモアがあり、とにかくそのエネルギーに圧倒された。

 「障害を理由にリストラされた兄が、自閉症の妹に売春をさせる」というこの設定を聞いただけで、拒否反応を起こす人もいるかもしれない。私も、これが何か鬼畜のような話だったら見たくなかったと思うけど、どうも、なんか気になったのだ。マイナスかけるマイナスがプラスに転じるような、なんか、すごいものが出てくるんじゃないかという予感がした。
 で、見に行きました。以下、内容に触れています。


 とある港町。勤め先の造船所が不況で、足の障害を理由にリストラされた良夫。妹の真理子は重度の自閉症で、知的障害がある。良夫の留守中に行方がわからなくなった真理子は、夜になって見知らぬ男に送られて帰ってくる。
真理子は「海鮮丼、海鮮丼」とはしゃいでいる。「お腹空いているって言うんで、いっしょに食べにいって」という男に、良夫は恐縮して食事代を払おうとするが、男は受け取らずにそそくさと姿を消す。自宅に帰り、真理子を風呂に入れる。真理子の服のポケットに1万円が入っている。「どうしたんだ、このお金!」「海鮮丼」。どうやら、真理子は行きずりの男性と性行為をして、海鮮丼をおごってもらい、金ももらって帰ってきたのだ。何もわからない真理子にそんな行為を働いた男に対し、激しい怒りを覚える良夫。

 障害のため、なかなか仕事に就けない良夫はポケットティッシュに宣伝の紙を挟む内職を始めるが、ろくなお金にならない。「真理子、これ1個やっていくらになると思う?」「いちまんえん」「1円だよ」。家賃も滞納し、電気も止められる。親しい友人の警官、肇に借金を申し込むが、家賃にも足りない。真理子がもらって帰ってきた1万円が目の前にちらつく。これしか、ないか。体当たりで、にわか女衒となる良夫。深夜ドライバーが仮眠する駐車場で「いい子がいるんですけど、どうですか?」。
 繁華街で客引きをしていると、シマを荒らしたとヤクザに痛めつけられる。
 そこで思いついたのがチラシのポスティング。携帯に電話をもらったら派遣するというデリヘルだ。この方法はうまくいった。真理子は「おしごと」と喜び、二人はようやく食べ物にありつく。部屋のすべての窓に貼り付けていた段ボールを剥がし、明るい光が差し込む。
 真理子の客はいろいろだ。妻に先立たれた老人。いじめられている高校生。そして、たびたび真理子を呼んでくれる小人症の男性に真理子は恋をする。「私のこと好き?」。
 しかし、ある日、真理子の妊娠が発覚する。産婦人科に連れて行くと人工中絶をすすめられる。費用はかなり高い。良夫は真理子を肇に預け、常連客の小人症の青年の住むアパートに行く。「真理子と結婚してくれませんか?」「オレなら結婚すると思っていたんですか」「真理子、好きでしょう?」「好きじゃないです」「・・・」「ゆするつもりなら、警察呼びますよ」
 
 こんな風にあらすじだけを並べてもこの映画のエネルギーは伝わらないだろう。というのも、私は意図的に、めっちゃくちゃ面白かった部分をあえて書いていないからだ。
 なぜ、福祉が出て来ないんだ、福祉があるだろうに、と批判する人がいる。そういう人は、こんな兄妹が自分の視界に入ってくることが気に入らないのだろう。福祉さえあれば、こんなものを見せられなくてすむのに、というわけだ。でも、あえてその「醜悪」などん底に落ち込んだ二人を、衆目の元に晒し出すために、本来ならさしのべられるべき福祉の手を消去して描いたんじゃないか。それを、無理やりにでも目をこじ開けて、見なくちゃいけないのだ。良夫を演じた松浦祐也、真理子を演じた松田光沙、二人とも体当たりの熱演である。そしてすごくうまい。良夫のバカバカしいまでな愚直さ、「ぼうけん」「おしごと」をしているときの真理子の生き生きとした姿。そして、少ない語彙ながら、巧まざるユーモアや皮肉を感じさせる言葉を吐くところなど。

 何年もかけて脚本を完成させ、四季を見せるために1年間かけて撮影し、自分の思い通りの作品にするためにクラウドファンディングもせずに、自分のポケットマネー300万円で作ったという片山慎三監督。
 映画を見終わって、すごく気になって、ネットで映画評や監督インタビュー、映画評論家の森直人氏が監督、主演の二人を相手に1時間のトークをする動画などを見て、やっぱり、練りに練って作ってるんだなあというのを感じさせられた。
 片山監督は、ポン・ジュノ監督の「シェイキング東京」、「母なる証明」で助監督を務め、とくに後者を韓国で撮影する際、脚本や撮影にたっぷり時間をかける丁寧な映画作りの現場を体験したことが糧となっているという。しかし、この障害と貧困と売春という強烈な設定から、同じ韓国映画でも、ポン・ジュノ監督よりはイ・チャンドン監督の「オアシス」や「ポエトリー」といった作品を思い出させるというレビューも少なくない。今、ちょうど「オアシス」の上映をやっていることもあるだろうが、「オアシス」との関連を指摘する人もいる。
 私もそんなことを見る前には少し考えた。そして、実際に見ているときも、自閉症の真理子を演じた和田光沙さんは、脳性マヒのコンジュを演じたムン・ソリに匹敵する演技力だなあと思った。
 でも、見終わって少し時間が経ってからの私の受けとめ方はだいぶ「オアシス」とは違ったのだ。何というのか、この映画が描く現実はこんなにひどいのに、見た私はすごく力をもらった気になったのだ。彼らのがむしゃらに生きようとする姿に感銘を受けたというのもあるけれど、こんな映画を作って、公開してしまった監督にも感銘を受けた。すげーもん、作りやがって、という感じだ。暗く重い部分も確かにある。しかし、全体の印象としては、なぜか暗くない。かんかん照りの夏の日の水のないプールの上の青空とか、段ボールをべりっと剥がしたときに差し込む光のまぶしさとか、良夫が夢の中ではしゃぐところとか、とても明るいシーンが効果的に挟まれているからかも知れない。時間があれば、もう一回、一つ一つのシーンを味わいながら見たい映画です。

1 7

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2019年04月>
日 月 火 水 木 金 土
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
282930    

最近の日記