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2018年03月03日08:10

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セルフブラック企業「責任と権限は比例すべきもの」

■公立小の副校長が「若い教師が午後5時に帰る」「やる気がない」と投書 「長時間やること=素晴らしいは本当にやめて」と疑問の声
(キャリコネ - 03月02日 13:41)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=210&from=diary&id=5009865


昨日書いたボクシング山中選手とネリ選手の試合についての見解を一部改変しただけでほぼ同じ対応となる=共通の真理に近いのではないか?と自分で勝手に思っている(笑)。
*****「昨日記事の自己引用」**************

この手のニュースが出るたびに思うところがある。

ルールの不備について、より責められるべきは選手ではなくて「ルール制定者」ではなかろうか? ということだ。

少数派で炎上気味の青木真也選手や元衆院議員の上西小百合の意見に同調するわけではないし、別に彼らを擁護するつもりもない。

「白鵬のカチ上げ」にしても「ネリの体重超過」にしても「強打者への連続敬遠」「カット打法」にしてもルール上の制約が不適当という印象がある。

むろん気分の良いものではないし、ほめられたものではないし正々堂々とは程遠いが。

それでも選手はルール内で最善を尽くすものだ。場合によっては「ルールの穴を突くこと」も含まれる。選手にルールを作る権限はないのだから。

権限がないことで責任を責めるのはフェアではないのだ。

ルールの不備を突く気持ち悪さについては彼らが嫌われる要因にはなる。だがルール制定の権限がないにもかかわらずルールの不備の責任を選手に負わせるのは違うと思う。

個人的見解としては、カチ上げは命中部位などの条件をより明確にし、腕に包帯を巻いた状態での使用は禁じる。ボクシングについてはファイトマネーの9割を没収してもよいだろう(試合放棄の可能性があるがそれはそれで違約金を加算する)。甲子園の敬遠やカット打法などは特に変更せずとも良い気がする。(現時点の見解なので即座に変わる可能性もあります)

あらためて、ルールの不備について責められるべきは「選手」ではなく「ルール制定者」ではなかろうか?

***********************************

「その時点の基準やルールで問題なしとされていることを個々の選手や労働者の立場に依存してはならない」

過去の事実を見る時に、現代の基準では残酷で原始的な行為があったとしても、当時の基準や国際法で合法とされたことならば「過去に悪いことをした」と責めるのはフェアではないのと同じことだ。(たとえば現代の歩きスマホあたりが30年後に死罪に相当する刑罰になったとして、未来の人間に断罪されてもフェアではないわけで。現時点で存在しないルールで判断されること自体がおかしいのだ)

やっと本題。やる気のあるなしで責められるべきではない。自発的にやる気を出して「セルフブラック企業」をやるのはその先生の自由なら、同様に「勤務時間を守ってきっちり帰宅する」のもその先生の自由だ。

「残業すること」や「やる気を出すこと」をこういった言葉で投げかける手法自体がナンセンスではないか。もともとやる気があった人は既にやってるだろうし、帰宅することを権利と思っている人は「は?そんなこと強要されても困る」となるだけだろう。

元記事の投稿者は「ルールを変えること」に動くべきであって、「やる気のない若手教師」を責めたところで筋違いだと認識したほうがよかろう。


・ルールの中でやることは基本的に自由でなければならない。(好き嫌いとは別)
・選手としてはルールの穴を突くことも含めて許容される行為(くれぐれも好き嫌いとは別)
・ルールの不備について責められるべきは制定者なので競技者を責めても筋違い
・権限なくして責任なし、責めるべきはルール制定者、変えるべきはルールであって競技者ではない
・善悪と好き嫌いを同列に語ろうとするから問題がややこしくなっている

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