民主主義の社会で差別問題、少数者、少数意見にどこまで配慮するか?
歴史を紐解けば古代になればなるほど弱者への配慮は少ないという事実がある。
少数意見や弱者に配慮できるというのはそれだけ社会が豊かになり、配慮できるだけの余裕ができた証明であろう。
ただ、社会的資源が有限である時点で「無制限の配慮」は不可能だ。
絶対的正解などはなく、私の現状の感覚になるが。
たとえば男性用トイレと女性用トイレ、そして車椅子でも使えるトイレまではよいように思う。
だがその先、「男性の心の女性」とか「女性の心の男性」に配慮したトイレを別に設けるまでいくと
本来多数派である男性用トイレや女性用トイレに与える影響が大きくなりすぎるという「感覚」がある。
弱者が自分の都合だけを重視して「配慮されて当然」とふんぞり返ってたら反発心を覚えるのは私だけではあるまい。
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