PR動画波紋、副知事「続ける」
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論理的、科学的な見方や態度ができるかどうかは自分の気に入らない結果を見た時に決まる。
どこにラインを引くか?
たとえばフランスのシャルリーエブド社のイスラム教指導者を揶揄する記事は私はやり過ぎだと思う。中国や韓国の犬肉を食べる文化自体を動物愛護団体が叩くのも余計なお世話だと思う。ただ、いずれも私自身は「イスラム教自体」や「食犬肉文化」を積極的に支持するものではない。「相手の領域に入って叩くのがフェアではない」という考えによる。
この手の「なんでもクレーム」な人々は、まず自分の気に入らない「結論ありき」で、その後に「理由を探す」という思考過程を取る。なので自説に反する証拠や事実を平気で無視することが多い。
論理的態度と言うのは「前提が変われば結論が変わるもの」だ。だから自分の最初の意見の正しさに頑固に頑なにこだわる人と言うのは少なくとも論理的とは言えない。
また、仮に主張内容や理論が正しい場合でも、「アプローチの仕方を間違えているケース」もある。(今回の記事が該当するわけではないが)たとえばスーパーで迷子を見つけたとして、「何とか一緒に来たお母さんに会わせてあげようしよう」と思うのは正しい。ただ、自分や相手の状況によって正解は違ってくる。たとえばやっと発見したお母さん自体が病気だったりした場合に迷子を押し付けて立ち去ろうとするのはあまり好ましくないということだ。
善意で正しい理論を唱えていても、結局相手が受け入れてくれなければ意味がない。私は「助言の押しつけ現象」と名付けている。この現象に陥ると「私の正しいアドバイスを聞かないならもう知らん!」と投げ出すわけだが、元々の目的は「アドバイスで相手に良くなってもらうこと」なんだから、そこで感情的になって投げ出すのではやはり「非論理的」だと思うわけだ。実際に、私のアドバイスに反して行動した結果、私の予想通りに失敗した友人でも私は助けるつもりで動いた事例がある。彼とは最終的に決別しているが、決別した理由は「私のアドバイスに逆らったから」ではなくて、「理由の説明をいくら求めてもなかったから」だ。
受け入れない相手とは、とりあえずその問題に関しては時間を置けばいいだけのことだ。
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