■「意識高い系」で失ったもの ボランティア・政治参加、阻む無力感「この言葉で、どれほど心を折られたか」
(ウィズニュース - 04月02日 09:51)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=220&from=diary&id=3927661
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意見は人それぞれであり、表現の自由以上に強い「内心の自由」があるということだろう。
つまり内心に秘めているうちは誰にも何にも文句を言われる筋合いすらないが、そういった活動をしていると自分の外に表明すれば周囲から何らかのリアクションがあるかもしれない。ましてその活動に他人を誘えば当然リアクションがある。それが強引な勧誘であれば大概反発をされるということ。
この記事のスタンスは「意識高い系」と言う言葉による攻撃、そういった活動に興味を持つ若者を守れという方向性だが、私は真逆かな。
「その程度の反対で潰れるんならやめて正解じゃない?」と言う気がする。
そりゃ犯罪的だったり暴力的だったりの反対には明確な抗議は必要だが、この記事に書かれているケースでは「ひかれた」「なんで行くのと聞かれた」と言う程度でしょう?
「意見は人それぞれ」「大概の場合、他人が自分と意見が異なるのは当たり前」という事実すら受け止められない精神で社会に働きかけようと考える点、むしろ驚嘆に値する。
「自分の軸もしっかりとしていないのに他人や社会を変えようという発想を持つことの自由」はある。ただ目指す目的に対しての手段、方法が明らかに「間違っているなぁ」と思うだけだ。
まず自分の軸じゃないの? 自分も溺れそうで足掻いているのに他人を助けようとするみたいな「あやうさ」がある。ミイラ取りがミイラというか。
類似関連したケースで9条信者のお話で。彼らの掲げる「理想」は別に間違いではない。「理想論だから」と言う理由だけで彼らを批判しようとは思わない。
「戦争を無くしたい」
「話し合いで解決したい」
ただ「手段」が間違っているのだ。それならデモするのはウイグル・チベット・モンゴル・東シナ海で活動中の中国の北京、ミサイルをぶっ放す平穣、ISISの居るシリアだろう。安全な東京でデモをすることは彼らの掲げる理想(9条の先の平和が欲しい)と言う目的)とは筋違いだ。そもそも9条信者と意見が異なる人々との話し合い解決すらできない彼らがISISと話し合いで解決できるイメージがまるでわかない。
内心の自由はあるし、理想を掲げるのは大いに結構。ただ現実をどうするか? 多少の意見の違いがあるという現実は把握しよう(むしろ意見の異なる人々を説得して意見を変えるんじゃないのかね? あくまでも強制ではなく論理的にだ)。そして理想に対する手段や方法は本当に合ってるのか?そこまで考えたほうがよかろう。
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