私と相方は楽天的と悲観的、アドリブ的と計画的、「大胆不敵なバカ」と「繊細臆病な子ウサギ」というくらいなので良く話し合いをする。自分が好きな度合いでも私は90点だが相方は30点らしい。これはゆゆしき事態だ(と言いつつ私自身はアドレナリンやらドーパミンやらが出てくるわけだがw)
とはいえ、うちの相方もなかなかの頑固者な「ネガティブ大将軍」なので一筋縄ではいかない。
私「昔の成功体験が自信につながり、自己肯定につながる」
相方「私の場合そうはならない。むしろ昔はここまでやれたのに今は何でダメなのかと情けなくなる」
私「なるほど。『過去にコレだけやれたから今回もがんばろう』ではなく、『過去にコレだけやれてたのに今回は何で情けない』なるわけか。ある種論理的で間違いではない。・・・ただね。同じようにこちらの考えも間違いではないんだ。両方とも正しいんだろう。だとしたらどっちの考えを選べばより幸福になりやすいかという好みの問題じゃないかね?
その考えは間違いとは言わないが、少なくとも『幸せ』にはなりにくいと思うよ」
なんとか相方の思考の転換をはかり(洗脳?w)こちら側の幸せな世界に引きずり込もうと呻吟している。
そんな記事。
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ハナー「ある覚悟を一つ決めて、はじめて貴方はより幸福になる権利を得る」
(「幸福になる」ではない。あくまでも「幸福になる権利を得る」だ)
ご存知の通り、ハナーは「天使」でも「悪魔」でもない。おそらく立ち居地的には「小柳」だ。(小柳については「天使と悪魔と小柳」でググってください)
そんな「小柳的な立場」であるにもかかわらずけっこう大胆な提唱をしていると思う。
視点を変えよう。
ハナーは「意識ある限り自分の領域について考え続ける覚悟」を決めた。
ゆえに不幸にはならない。
「論理飛躍」「バタフライ効果」「風が吹けば桶屋が儲かる」
なのだが、なぜそうなるのかを説明していこう。
幸福であるための最優先かつ必要最小限の条件がある。
「自分が好き」ということだ。
どれだけ
2人間関係
3才能
4健康
5資産
6容姿に恵まれていても、
「自分が嫌いだ」という時点で幸福にはならない。
幸せになりたいのならまずは自分を好きにならなければなるまい。2番目にあげた「人間関係」も「周囲の人にどれくらい好かれているか」だからやはり「本人の魅力」に起因するものだ。
では自分、そして他人に好まれるだけの魅力を自分に感じるにはどうすればよいのか?
3番目以降にあげたもので自然とカバーされればよいのだが
才能も健康も資産も容姿もさほどではない二流以下の私は生きてる限り不幸であり続けるしかないのか?(いや私が二流以下なのは事実だが、自分が幸福なのも事実なのでこんな自問自答は演出でしかないんだが)
我々は人間だ。ゆえに想定外、予定外の外的要因など生きている限り無数に発生する。
外的要因の発生時点で不幸を感じる精神構造は「間違い」とは言わないが
不幸だろうなとは思う。自分で自分が幸せであることを「決められない」のだから。
ここで映画や小説、マンガの魅力的なキャラクターを思い返してみよう。
むろん、3番目の才能以下の能力に恵まれたキャラクターも並ぶが、そうではない二流三流のキャラクターでも魅力を感じたキャラクターはいなかったか?
彼らに共通するものに「覚悟・姿勢」があるように思える。苦痛や困難に遭っても戦う覚悟を決め、少なくとも精神的には負けない。
つまり、幸福であるためには自分を好きになること。自分を好きになるためには苦痛や困難に遭っても屈しないと覚悟を決めることだ。
その時点で幸福になるためのトーナメントに出場する資格が得られる。自動的に幸福になるわけではないが、少なくとも幸福になる機会は得られる。
全人類に発信することはできないが、少なくともこの文章を読んだ人には「意思有る限り戦う覚悟」を決めてもらえたらなとは思う。
覚悟の無かった人が覚悟を決めたのなら、世界が違って見える。それは世界という外的要因が変わったのではなくて、自分自身と言う内的要因の変化によるものだ。
「困難に負けずに立ち向かう戦意」をもったら次は「方針を決める戦略」「戦い方を決める戦術」「具体的な方法に落とし込む戦法」の順に考えていけばいい。
あ、戦う覚悟と言うのは「前向きに生きることから逃げない」ということだ。くれぐれも「個々全ての困難からまったく逃げない」と勘違いしないように(笑)。逃げるべき相手は見極めて逃げましょう。むしろその方がしぶとくしつこく戦える。
ちゃんと「戦意」を失わず、戦略的な指針が有るのならば、戦術的に手段としての「逃げ」が有効なことも多い。二流三流なら、格上の困難と遭遇するので逃げることで延命維持をはかるのはもちろん、一流とて超一流と遭遇時は逃げなければつぶれる(私が知る限り精神的に参ってしまう人はこのタイプが多い。むしろ責任感がありすぎて能力以上の戦果を挙げようとして格上相手にも逃げずに突っ込んでいき、ウツになってしまう。能力の高低は無関係というか、むしろ能力の高い人に多いように思う。問題をそれだけ拾って抱えてしまうわけで)。
確かに全てに立ち向かう姿勢はカッコイイし、私も好感を持つ。だが自分がつぶれては元も子もない。もし逃げずに戦わなければならないとしたら、それは「自分の身より大切なもの」を守る時とか私の将棋のように「格上と戦うことを試したい」と言う時に限定したほうがよかろう。
【長くなったのでまとめ】
「まず意識ある限り考え続ける覚悟を決める」⇒「自分がそれなりに好きになる」⇒「多少の課題や困難、予定変更後時に負けなくなる」⇒「幸せに近づく権利を得る」
・・・なんだか小学生のようなまとめだが、現状自分自身を見るとこんな単純な構造で幸福感を得ているようだ。私は「ゾクゾクするほど俗物」なので「3番(才能)以下の諸々」は無論欲しいんだがw
自分の領域にあり考えて何んとなかることをあきらめずに考え続ける、逆にどうにもならんことは考えるだけムダだから考えない。
雨が降らないように祈るのではなくて、雨が降るなら傘を準備するとか、出かけるのを延期するとかを考えるということだ。
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