批判を受け止められないのは「打たれ弱さ」のせいではない
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160204-23086803-woman-life
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記事中にある「批判は相手からの情報源」というのは良い理解だと思う。相手の価値観や優先順位がわかるわけだ。
大前提に「人の考えは千差万別十人十色」というのがあれば、批判単体で致命傷になることはない。批判の受け止め方を間違えることで自ら傷口を拡げる人、ある種の「自爆」があってはじめて致命傷になる。「言葉が人を傷つけることは多々あるが、言葉単体で物理的に人が死ぬことはないのだ。「言葉が人を殺す」という誤解は「言葉の受け止め方を間違えて自殺のトリガーにしてしまう人が多い」ということだ。
あくまでも批判と言うのは「相手の価値観で自分を見た時の一意見に過ぎない」。一定の事実ではあるので完全無視するのは現実逃避である。かといってそれがさも真理であるかのごとく重視しすぎるのも間違いだ。「1意見」に過ぎない。
私はいちいち真に受けないし一喜一憂しない。というか他人の評価は他人の評価でしかない。ある程度は受け止めるが、自分が受け止めきれる量を超えたら「受け流す」。
「ああ、あなたはそう思うんですね」で終わりである。
自分のコンプレックスを指摘されて傷つくというのは理解はできるが、共感はできない。事実は事実としてとっとと受け入れたほうが的確に最善手を打てる。私もコンプレックスは多く、「全身これ弱点」だが、ありがたくもその指摘をしてくれる人には「で、どうすれば直るんですかね?」と聞くようにしている。感想や評論はわかったから、どうしたら直せるのかを具体的に教えてくれってなものだ(笑)。
私は弱点が多いと自覚しているが、それらも含めて自分が大好きなのであまり傷つかないのだろう。映画や小説でも欠点だらけだが愛すべきキャラクターと言うのはいる。最初から大きな期待を自分自身にはしていないので失望することもない。とはいえ野心だけはそれなりに持っているという「理想の状態」だ。私は死ぬまでに大したこともできずに終わる可能性が高いだろうが、まあそれも人生だ。生きている間は自分なりに自身や周囲に利益をもたらし、楽しく生きていきたいものだ。
というか事実把握もできないで二流は戦えない。弱点も事実の一部だ。だったら弱点を武器にする図太さや強かさこそが「希望」なのだ。
事実と解釈に分けるのは私もメインで用いる手法だ。とかく事実でもないことを事実であるかのごとく判断する人は多い。事実を変えてしまうとそれは改竄やウソとなる。だが解釈を変えるのは何も悪いことではない。
人間の運不運には大差がない。発生する事実には大差がない。運不運はその事象の受け止め方、解釈の差が大きい。解釈を変えても事実が変わるわけではないが、心持ちはまるで変わってくる。だったら、事実は事実として認識した上で(現実逃避はせずに)、かつ解釈については自分に都合の良い「前向きな解釈」を用いる。自分相手のご都合主義だが、自己愛こそ自分が人間らしいという証明のように思う。まあ一部の天才ならいざしらず、凡人が生きていくにはこれで十分だ。
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