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2016年01月21日23:22

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あほくさという草

伊勢谷友介、過熱するSMAP解散報道に「あほくさ」
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=17&from=diary&id=3814082

私もSMAPやらベッキーやらの報道に関する意見の方向性としては伊勢谷氏に近い点は認める。

だが、本記事では主題はそういった自分の見解を発表することの意義に置くとする。

SMAPやらベッキーやらの報道を「あほくさ」と思うかどうかは人それぞれだ。人は年齢も性別も生い立ちも価値観も所有する情報や知識も立場も様々である。

伊勢谷氏はあるニュースを「あほくさ」と思う人がいる一方で重要視する人もいるという大前提の理解をした方が良いように思う。伊勢谷氏も私も「あほくさ」とは思う。だが、それを表明してわざわざ
それらに価値を見出す人々を不快にすることにどれほどの意味があるのか? 実際に伊勢谷氏のこの発言を受けて「そうだな国会審議の方が大切だ」と意見を転じる人が果たしてどれだけいるか。

イスラム教を信じる人々にとってはムハンマドは神聖にして犯すべからざるものだ。それをフランスのシャルリーエブドはそれを不必要に貶めた。むろんテロ行為は論外だが、それとは別にわざわざ他人が大切にしている者を傷つけることのメリットと反発を買うデメリットくらいは考えたほうが賢明であろう。

シーシェパードが身勝手なのは他国の食文化を攻撃し、自国の文化や価値観を押し付けるからだ。彼らの食文化に同様に意見すると彼らは間違いなく反発するだろう。

ISISが全世界と敵対するのは彼らの同志にならないものすべてを許容せず、排斥対象とするからだ。服従か敵対しか選択肢がないのだ。

要は意見や価値観を自分の内部で抱えている間は大した問題とはならないし、それこそ「内心の自由」は絶対不可侵であろうと言う事。一方でそれを外部に表明する場合は相応に配慮が必要だし(私のこの記事は相応の配慮をしているつもりで記している)、自分の意見と異なる人々を不要に攻撃的な表現で攻撃する(伊勢谷氏やシャルリーエブド)のは同等の反発を受ける覚悟がいるだろうし、もっとひどく犯罪行為に及ぶ(シーシェパードやISIS等)ならばあきらかにケンカを売っていると言う事だ。

要は自分の領域から発信し、他人の領域に強制をするつもりなら同等の反撃を受けても文句は言えないし、反撃を認めなければ不公平だと言う事だ。

「自分は正しいから、間違っている相手には何を言ってもいい」というのは間違いだ。

と、散々述べた上で私の意見の方向性自体は、実は最初に記したとおり伊勢谷氏と近しいのだが(笑)。ただ、一連の報道に関心を持ち、心配した人々を無用に軽んじたりバカにしたりするつもりは一切ないことはご理解いただきたい。

「あほくさという草」はむしろ伊勢谷氏にこそ送られるものやもしれない。
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