つぶやきより昇格(一部加筆修正)
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私は他人の相談にのることが多い。自分より年少の知り合いが多いという立場上の条件、加えて自分の属する組織体の全体利益を最大化(損害の最小化)を旨とする身上による。本来は謙遜や謙譲抜きにして怠惰で面倒くさがりなのだが、身上によって「自然と動けるようにしている」と最近自己分析できた。
不可知から可知化した時点での早期対応が最終的に一番楽できると理解している。自己成長には興味や関心があるが、自己鍛錬にはあまり興味や関心を持てないのが悩みである。怠惰かつ楽観的であるが故に「現状でいいじゃん」と思ってしまうのだ。
基本的に相談に乗ってる場合の主役(主体者・君主)は相手であり、自分は「良き脇役」でありたいと思っている。相談してくれている時点で意気に感じているし、自分の提供できるもので問題を解決できるならそうしたいが、あくまでも手段なので自分の提案(手柄)には微塵もこだわるつもりはない。問題解決と言う結果さえよければそれでいい。まあ、自分の提案がことごとく役に立たないとなると存在意義が問われそうだが、幸い今のところそういったことはない。
脇役の中では将軍(実行)よりも参謀(提案)のポジションが性に合っているし、なによりラクだ(笑)。身体能力や技術者は秀でている人に任せて、「口先先行」「精神打撃無効」の特性を活かして貢献したいとは思う。
絶対的正解がある(わかる)問題の場合は比較的楽だ。あとはピッチャーキャッッチャーの関係を考えて相手が受け取れるアドバイスを投げればよいだけだから。
「絶対的正解がない問題」の場合。おそらく要求されるのは私個人の視点や価値観以上に、「君の決定、くだした決断が何であれ、私は全力で君を支援する」という意思表示だと思っている。ただし一定以上の高い能力を持ち、信頼関係にある相手に限定されるわけだが。
能力の低い相手(たとえば子供さん)ならその能力程度や緊急性、重要性に応じて「大人としての正解」や「考え方のヒント」を与える。信頼関係のない相手ならこちらの意思表示の前にウラをとったり探りを入れたりになる。途端にキナ臭くなるのだよなぁ(笑)。
結局、自分と相手の価値観は異なる。自分としての正解の提示はできる場合もあるが、主体者のそれ(正解)と一致するとは限らない。
ハウツー本をいくら読んでも成功しないのと同じだ。最終的に能力や条件が異なるのだから、ベストの方法だとか「事の本質」については自身で気づき、つかみ取るしかないのだ。
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