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Erwin Schulhoffコミュのシュールホフの生涯【1919-1921】

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シュールホフの精神に深く刻み込まれた戦争の傷跡は、焦土のただ中に突然噴出した前衛運動へと彼を駆り立てる。

破壊と精神の熱狂を志向したダダイズムだ。

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[1919年(25歳)]


1月初め:姉のヴィオラとドレスデンへ行く。ヴィオラはその地の美術工芸学校に通っていた。彼女の同級生の多くが、エルヴィンの友人となる。その中には、「明らかにプロレタリア的な主張を含」 みながら「労働者を共感的に描いた絵や、売春斡旋業者や売春婦を冷酷に描いた肖像画」 を世に問うたオットー・ディックス(Otto Dix)もいた。そのほか、表現主義の作家、テオドール・ドイプラー(Theodor D?ubler)や、ドレスデン州立歌劇場の楽長、ヘルマン・クツシュバッハなどにも姉のアトリエで頻繁に出会った。このサークルでの激しい議論の中から、新たな芸術上の理想が生まれた。その中でシュールホフは、「進歩的音楽」のシリーズを作ることを構想し始めた。シュールホフはオットー・ディックスやゲオルク・グロッス に多大な影響を受け、ダダイズムの美学に乗っ取ったプログラムを模索し始めた。

3月1日:〔5つのユモレスク 作品27〕(F?nf Humoresken f?r Klavier op27:WV45)をズージー・エルスラーに献呈。

3月10日:ドレスデン「芸術家の家」にて、ズージー・エルスラーと「舞踊・色彩・響きの夕べ」を開催。シベリウス、ショパン、レーガー、ドビュッシー、スクリャービンなどを演奏。

5月25日:クツシュバッハとともに、1919-20年のシーズンに連続コンサート「時代のワークショップ」を開催する事を検討。彼はこの時新ヴィーン楽派の作品を強く評価していたので、ウェーベルン、ベルク、シェーンベルクらの作品を、大幅にプランに組み込んだ。

6月8日:ベルクの影響を受けた作品〔5つの歌 作品32〕(F?nf Ges?nge mit Klavier op32:WV52)を作曲。ベルクとの文通がこれから一年間、集中的に続いた。

8月18日:「5つのピトレスク(絵画的小品)作品31」(F?nf Pittoresken f?r Klavier op31:WV51)この曲はフォクストロット、ラグタイム、ワンステップなどのリズムで楽章が構成されているが、中間楽章“In Futurum”は、一音も発しない休符だけで構成された、ジョン・ケージの「4分33秒」を先駆けしたような楽章となっている。「我が友にして、ダダイストのゲオルグ・グロッスに捧げる」。

9月1日:「8拍子のテーマによるオーケストラのための32の変奏曲 作品33」(32 Variationen ?ber ein achttaktiges eigenes Thema f?r Orchester op33:WV53)のスケッチが完成。一ヶ月後、オーケストレーションも終了。

12月:「10のテーマ 作品30」(Zehn Themen op30:WV50) を作曲。この曲は、キュービストでもあり、未来派でもあったオットー・グリーベル(Otto Griebel)のリトグラフへの伴奏曲として書かれた。


--〔5つのピトレスク〕を契機として、シュールホフは徐々に当時ヨーロッパを席巻していた「ジャズ」のイディオムを多用することになる。彼は、新ヴィーン楽派の作品よりも、もっと顕著に、ジャズのリズムと音色のなかに反ブルジョア的な志向の芸術的な反映を感じ取った。更に言えば、ジャズは彼にとって、アヴァンギャルドとブルジョワジーの文化的な相違を際だたせるための挑発的な手段であったのだ。以降1930年まで、ジャズのイディオムを用いた作品は、様々な楽器を用いながら作られていく。



[1920年(26歳)]

1月7日:「すべての怒りっぽい人々へ!」の献辞を掲げた〔4手のピアノのための6つの小品「皮肉」〕(“Ironien”Sechs St?cke f?r Klavier zu vier H?nden op34:WV55)が完成。

3月4日:〔4つに区切られたピアノのための音楽 作品35〕(Musik f?r Klavier in vier Teilen op35:WV56)

3月10日:「革命と音楽」と題したレポートを書く。

9月:ザールブリュッケンに15日間滞在。ボルンシェイムス音楽院の上級クラスでピアノを教える。

11月19日:日記より。
我がモットー!ダダを学べ。そして我を信じよ!ダダは勝利する



[1921年(27歳)]


5月11日:〔室内オーケストラのための組曲 作品37〕(Suite f?r Kammerorchester:WV37)のスケッチ完成。

8月6日:ベルリン生まれのダンサー、アリス・リボホヴィッツと結婚。二人はジャズ・ダンスの催しで知り合った。

コメント(1)

--雑感

☆ズージーとはこじれてしまったんでしょうか。別のダンサーと結婚しちゃいました!
☆ダダとジャズの相関関係については、整理して一考する必要がありますね。
破壊と興奮のダダ。弛緩と愉楽のジャズ。ブルジョアとプロレタリアートの対立項、身体と観念の対立項。
☆シュールホフに影響を与えたゲオルグ・グロッスですが、かれは30年代以降はプロレタリアートから転向し、アメリカへのあこがれを強めます。作風も前衛的なものから、ふつーの風景画的なものにガラリと変化したりして。のちにシュールホフがソビエトに理想を見いだすのと対照的ですね。

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