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Erwin Schulhoffコミュのシュールホフの生涯【1894-1913】

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[1894年]

6月8日:エルヴィン・シュールホフ誕生。父は織物商のグスタフ、母のルイーズ(旧姓ヴォルフ)はフランクフルトの劇場オーケストラのコンサートマスターを父にもつ。


[1898年(4歳)]

3月13日:ピアニスト兼作曲家の曾叔父、ユリウス・シュールホフがベルリンで死去。


[1901年(7歳)]

アントニン・ドヴォルザークが、シュールホフの音楽の素質に折り紙をつけ、当時のプラハ音楽院の指導者、ハインリッヒ・カーンにピアノを教わることを勧める。それによりピアノの練習を始める。


[1902年(8歳)]

〔ブラスバンドのためのマーチ〕(Marsch f?r Blaskapelle: WV1)作曲。また、ストロモフカのバウムガーデンで開かれたプラハ・プロムナード・コンサートで、自身の処女作を指揮し、成功を収める。


[1903年(9歳)]

〔ヴァイオリンとピアノのためのメロディ〕(Melodie f?r Geige und Klavier:WV2)作曲。シュールホフが故郷のプラハで師事したエドゥアルト・シュッツへの献辞を持つ。実際のところはどこまで彼自身の手で仕上げられたのかは定かではない。息子の才能を世に知らしめたかった母親の存在も語られている 。


[1904年(10歳)]

秋:プラハ音楽院のピアノ科に入学。教師はハインリッヒ・カーンとヨーゼフ・イレネク


[1906年(12歳)]

5月5日:新ドイツ劇場にてR.シュトラウスの歌劇『サロメ』のプラハ初演。それをみたシュールホフは深い感銘を受け、晩年に至るまでこの上演のことを思い出していたという。
秋:ヴィーンのホラクス音楽学校に転入。ヴィル・テルンに師事する。エミール・フォン・ザウアーやアルフレッド・グリュンフェルドに教えを乞うべく試験を受けるも失敗。


[1907年(13歳)]

秋:ヴィーンの偏った音楽教育に不満を持ち、ライプツィヒの音楽院へ赴く。そこではピアノを習う(ローベルト・タイヒミュラー)だけでなく、マックス・レーガーに作曲も習う。楽理科の教師はステファン・クレール。


[1910年(16歳)]


6月:一年の中断を挟み、ライプツィヒでの全課程を修了。

10月9日:ベルリン、ブリュートネル・ザールにて、ピアニストとして初めてのコンサート。曲目は、ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番ハ短調。伴奏はエドムント・フォン・シュトラウス指揮のブリュートネル管弦楽団。プラハの新聞“Prager Zeitung Bohemia”によれば、その日の演奏は「とてつもない」成功だったという。

10月11日:ライプツィヒで、コロラトゥーラソプラノ歌手のエナ・リーとともに、「ピアノの夜」に出演。プログラムはベートーヴェン:ピアノ・ソナタ ハ長調 作品2-2、ダルベールのスケルツォ、ショパンの夜想曲などのほかに自作の曲、〔牧歌〕 (Idylle )と、〔ピアノのための協奏的小品「きつね火」〕(Die Irrlichter:WV8)なども演奏される。

11月の間、シュールホフはドイツの幾つかの都市をまわり、同様の演奏会を行っている。


[1911年(17歳)]


9月6日:母とケルンに赴きさらなる研鑽を積み始める。ピアノをラッザーロ・ウズィエッリとカール・フリードベルク、対位法をフランツ・ベルシェ、オーケストレーションをエヴァルド・ストラッサー、作曲法と指揮法をフリッツ・ザインバッハに教わる。


[1912年(18歳)]


12月14日:ケルンにて。トーマス・マンに捧げられた、〔ピアノ・ソナタ第1番 作品5〕(1.Sonate f?r Klavier op5:WV69)のスケッチが完成。


[1913年(19歳)]


1月21日:ドビュッシーに強い影響を受け、〔ピアノのための4つの映像 作品6〕(Vier Bilder f?r Klavier op6:WV22)を作曲。ケルン音楽院の他学生に強い印象を与える。

6月2日:〔ヴァイオリン・ソナタ第1番 作品7〕(Die Sonate f?r Violine und Klavier op7:WV24)完成。時を置かず、卒業試験の準備をしながら、〔オーケストラのための陽気な序曲 作品8〕(Lustige Ouvert?re f?r Orchester op8:WV25)を作曲。

6月末:音楽院を素晴らしい成績で卒業。

7月4日:引き続き二つの作品が完成。〔バリトンのための歌曲 作品9〕(Lieder f?r Bariton und Klavier op9:WV26)、〔自作の旋律による変奏曲 作品10〕(Variationen ?ber ein eigenes Thema f?r Klavier op 10:WV27)。

夏休み:パリにドビュッシーを訪ね、教えを受ける。けれどもその指導には満足せず、パリの雰囲気にもなじめないともらしていた(このエピソードは本人が語ったこととして知られているにすぎず、記録は残されていない)。

10月4日:メンデルスゾーン賞(ピアノ部門)受賞。1500マルクを獲得する。

コメント(1)

--雑感--

☆母親がかなり子煩悩な感じ。
☆まあ絵に描いたような天才エリートですな。
☆ドボルザークに一目置かれた話はあまりに有名ですね。まあその後、二十歳過ぎればなんとやら、な状態に本人的には陥り、思い悩む人生なわけですが。
☆ドビュッシーを訪ねた話は新鮮ですね。アーバンでエスプリむんむん(?)なパリとドビュッシーに馴染めなかったというのも、プラハからでむいたシュールホフのおのぼりさん気分があらわれています。
☆ここに登場する曲で、音源を見かけたのはヴァイオリンソナタくらいかしら。〔ピアノのための4つの映像 作品6〕なんか聴いてみたいですなあ。

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