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俳諧師:近江不忍コミュの五、歳時記に就いて 『發句に於ける季語の象徴性による普遍論』

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     發句に於ける季語の象徴性による普遍論

 この作品を讀む時に、この音樂を聞きながら鑑賞して下さい。
 これは自作(オリジナル)の

 『Motion1(Metamorphose・cembalo) 曲 高秋 美樹彦』

 といふ曲で、YAMAHAの「QY100」で作りました。

 映像は東北の山形懸にある、

 『立石寺』

 へ出かけた時のものです。

 雰圍氣を味はつて戴ければ幸ひですが、ない方が良いといふ讀者は聞かなくても構ひませんので、ご自由にどうぞ。





     五、歳時記に就いて


 發句が短詩形で有り得た理由は季語にあると筆者は語り、それを解析する爲にこれを書いてゐるのだが、今囘は季語の集大成とも言へる『歳時記』に就いて述べてみたい。
 その理由はいふまでもなく、詩の表現として季を立ててそれを題材として創作するといふ事はあらゆる文藝に於いて有り得る可き事であるが、發句に限つては季を外して表現しないといふのが基本となつてゐて、他の部門(ヂヤンル)の作品のやうに季節とは無縁のものを題材とするのは、極めて稀な事であると言へるからである。


 その季を集めたものが『歳時記』であるが、調べてみると現存する最古のものは六世紀の中国の年中行事を月毎にまとめた『荊楚歳時記』があり、奈良時代に日本に傳來(でんらい)し『歳時記』という呼稱(こしよう)が知られるやうになつたとある。
 日本獨自の『歳時記』は貝原益軒(1630-1714)の『日本歳時記(1688)』が始まりとされ、
 それ以前にも季語を蒐集(しうしふ)した『季寄せ』が連歌のころから存在してゐて、兩方の要素を組合せた北村季吟(1624-1705)の『山の井(1647)』がある。
 これ以降には、瀧澤馬琴(1767-1848)の『俳諧歳時記(1803)』があり、これは明治になつても増補版が出版せられてゐたといふ。


 狩獵から稻作文化の發達によつて、それらの収穫の爲にそれに伴ふ気候、例へば秋刀魚の獲れる時期だとか稻の種を蒔く時期、旱魃の時に雨を願つたり、苦勞の末に得られた時の収穫の喜びなどといふ精神的なものを祭事として一定の時期に集團で行ひ、それが年中行事(ねんちゆうぎやうじ)として纏められ、それが『季寄せ』や『歳時記』のやうなものに結實(けつじつ)するといふのは想像に難(かた)くないだらう。


 その『歳時記』にも一八七二年十二月に日本が太陽暦を導入し、陰暦との季節のずれで『歳時記』の内容に大きな混亂(こんらん)が生じ、四季とは別に新年の部を立て、立春を二月にする事で陰暦から一箇月の遲れを調整したが、抑々(そもそも)、それにしたところで日本は南は沖縄から北は北海道に到るといふ縱に細長い列島なので、櫻前線ひとつ考へてみても解るやうに、一箇月の遲れをどうにか出來るやうなものではない。
 そこで日本標準時が子午線のある明石としたやうに、季語も京都を基準として編纂されてこんにちに到つてゐると言つていいだらう。


 これまで述べたやうに連歌の發句に季語がある第一の理由は、和歌に「母」や「山」の前に「たらちね」とか「あしひき」のやうな枕詞があるやうに、手紙で本題に入る前に氣分を和らげる爲の枕のやうな挨拶として季節の事柄から述べたのが原因であらうかと思はれる。
 勿論、親しい者や緊急の時などには、近況やそれを略して本題から入る『前略』といふ簡略化された冠省もあるのだが、正式な書翰の冒頭には『拜啓・謹啓』から結語として『敬具・敬白・謹啓・頓首・恐々頓首』を用ゐる作法が基本であらうが、そのあと直ぐに本題に入るといふ無粹な事をせずに、季節の挨拶を前においてから始めるといふ手續きで緩衝(くわんしよう)の役目を與(あた)へてそれを嗜(たしな)みとしたのであり、それ故にこそ「客發句」と言はれる所以(ゆゑん)なのである。
 因みに『前略』の場合『草々・匆々・不一』で結ぶ事になる。


 發句に『季語』が取入れられたのはさういふところに起因すると思はれるが、その源流をたどれば日本最古の和歌集『萬葉集(まんえふしふ)』の「部立て」にあるものと考へられ、その『萬葉集』では、

 「相聞(恋慕や親愛の情を述べた歌の事)」
 「挽歌(中國で葬式の時に柩を挽(ひ)く者が死を悼む爲に歌つた歌の事)」
 「雜歌(中國の『文選(もんぜん)』の雜歌・雜詩・雜擬の分類にならつたと考へられてゐる)」

 これを三大部立てといふとある。


 『萬葉集』では相聞(さうもん)・挽歌(ばんか)以外の總(すべ)てを雜歌(ざふか)としてゐて、行幸(ぎやうかう)、遷都、宮廷の宴會(えんくわい)などの公的な場の作品が多数あり、

 「春の雜歌・夏の雜歌・秋の雜歌・冬の雜歌」

 といふ四季も勿論含まれてゐ、また相聞・挽歌の前に配列される事から、雜歌こそが和歌の基本だと考へられてゐるやうだ。
 それが『古今集』以降になるとそれまで一緒だつた、

 「春・夏・秋・冬・賀・離別」

 から分かれて、「雜」といふ部立ての一つとなり、卷末に配されるやうになつて完全に「雜」の扱ひとなつてゐる。


 この分類が進んで、

 『四季・賀・離別・羇旅・物名・戀(相聞)・哀傷(挽歌)』

 といふ部立てから、連歌の

 『神祇(しんぎ)・釋經(しやくけう)・戀(こひ)・無情(むじやう)・名所』

 へと變遷(へんせん)し、これらに屬さない「雜」ものを俳諧では無季及び附句の事を指すやうになつて行つたと考へられる。



 この中の、

 『四季・賀・離別・戀(相聞)・哀傷(挽歌)』

 これらについては説明の必要はないものと思はれ、また、

 『羇旅(きりよ)』

 についても旅の事であるといふ推察が出來、

 『名所、舊蹟(きうせき)』

 と同じものであると諒解(りやうかい)出來るだらう。


 恐らく解らないのは、

 『物名(ぶつめい)』

 の事であらうかと思はれるが、これは平安以降に歌の意味に關係なく物の名を詠み込んだ歌の事で、

 秋ちかう野は成りにけり白露のおける草葉も色かはりゆく

 この歌の二文字目から八文字目までに「きちかうのはな」と詠み込んでゐて、「きちかう」とは「桔梗」のことで、このやうに物の名を詠み込んだ歌の事を、『物名歌(ぶつめいか)』とも『もののなのうた』とも言はれてゐると辭書(じしよ)にあるが、これは『mixi』上で筆者が誕生日にマイミクの名前を折込んだ發句を贈つてゐるので、氣がつかれる人もあらうかと思はれる。

 マイミクの方の誕生日(二〇一〇年七月から十二月にかけて)に送つた發句
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=59016419&comm_id=4637715


 さうして、これらは後に俳諧の世界で花開いて、

 『雜俳(ざつぱい)』

 として實(み)を結び、

 「前句附け(川柳)・笠附け(冠附け)・沓(くつ)附け・折句(をりく)」

 として遊びの世界を擴げてゐる。

 雜 俳 考 『廻句』、『廻歌』の投稿を受附ます
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=48707422&comm_id=4637715


 敍事短歌『初稿版 愛二飢タル男 第一部 「ゆきずり」』
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=48334002&comm_id=4657977

 かうして『季語』と『雜(ざふ)』の棲み分けがはつきりとして、連歌から發句、さうして芭蕉から蕪村や一茶を經て、明治期の俳句となつたのだが、これについて正岡子規(1867-1902)が『俳諧大要』でこんな事を言つてゐる。

 「俳句四季の題目の中に人事に属し、しかも普(あまね)く世人に知られざるものには季の感甚だ薄きを常とす。例へば筑摩の鍋祭の如き、夏季に属すといへどもこれ詠ずる人、またその句を読む人多くは夏の感を有せず。いはんやその四月なるか五月なるかの差異に至りは殆どこれを知らず、故にこの題を詠ずる者は甚だ苦吟し、はた古来これを詠じたる句も無味淡白を免れず。これ時候の聯想なきがためなり。(岩波文庫)」


 これを現代風に言へば、

 「『季語』があつてもその季語が珍しい題材で詠む人が少なく、一つの作品しか見當らない場合だと季節感が喚起されず、むしろそれを讀んだ人は「雜」の句を讀んだのと同じ感觸を持つのではないか」

 といふ事になるがここで問題になるのは二つあつて、一つは『季語』を詠み込んでも讀み手にその知識がなければ、『季語』とはならないと言つてゐる事で、子規はこの後も例を示してこの事に言及してゐる。
 けれども、ここで子規が述べてゐる事は『季感』があるかないかといふ事であつて、『季語』がどのやうなものであるかについて解明してゐる譯ではない。


 二つある内のもう一つ目がそれについて語る事になるのだが、それは後に譲るとして、ここでは『季語』がどのやうにして決定されて來たのかを考へてみたい。
 といふのも、長い歴史の中で繰返されたものが定著して『歳時記』として纏められたには違ひないのだが、最古のものと言はれる中國の『荊楚歳時記』にしても一人若しくは數人で書き殘されたものだと考へられるし、それ以降の『歳時記』も貝原益軒や北村季吟、また瀧澤馬琴などの個人によつて編纂されたものが主流であつたものと思はれる。
 これは各國の辭書(じしょ)が編纂された状況と似てゐて、獨逸の場合でもグリム兄弟(1785-1863・1786-1859)で作られてゐるし、『大言海』の大槻文彦(1847-1928)や『廣辭苑』の新村出(しんむらいづる・1875-1967)と極めて少數の人が携はつて成果を上げたものである。



 それが明治以降から文明の發達によつて世界の交流が飛躍的に活溌になり、動物や植物は無論のこと、食べ物や日常の生活に到るまで激變(げきへん)と言つて良い程の變化が起き、日本古來の生活環境は地方へ出かけたとしても滅多とお目にかかれなくなつたしまつた。
 更に、技術の進歩によつて野菜もハウス栽培で収穫の時期に左右されないものも出來るやうになり、魚なども養殖が盛んになつたので以前のやうに季節感が決定的なものとはならなくなつて、『季語』の中にだけそれが殘つてゐるといふ逆轉の現象が生じるといふ皮肉な結果となつてゐる。


 それに機器の發達によつて新たな用具の出現で廢(すた)れてしまつた器具などもあつて、それは例へば「砧(きぬた)」などがあるが、さうかと思ふと「スモツグ」や「檸檬(レモン)」などもあつて、「檸檬」については『Twitter』で、

   洗ひたてのレモン手にして梅雨曇 不忍 

 といふ句を發表したところ、「レモン」の『季語』は秋だとの指摘があり、筆者も國語辭典(じてん)や歳時記を調べたが簡易な辭書だつた所爲(せゐ)か見當らず、昔『歳時記』であつたと記憶してゐる冬の季語の「スモツグ」も見當らなかつた。
 手元にあつた「広辞苑 第三版」にも「レモン」の季語はなかつた。
 早速、インタアネツトで調べ直してみると、「レモン・スモツグ」のどちらもあつて、「スモツグ」は冬で「レモン」は秋だつた。


 再度、筆者の電子辭書「SHARP papyrus PW-AT770」でコンテンツが99もあるものと、マイミクの蒼鳥女史の「casio」のEX−wordを比較してみたところ次のやうな事が解つた。

   「古語辞典(旺文社)」
   「合本 俳句歳時記(第三版)」
   「國語辭典(大辞林第三版)」

 これが筆者の電子辭書で、

   「casio」のEX−word
   「古語辞典」
   「広辞苑(第六版)」

 これが蒼鳥女史の電子辭書で、これを調べてみると、「古語辞典(旺文社)」は「檸檬」の輸入された時期とは合はないので省き、「國語辭典(大辞林第三版)」も比較の仕樣がないので省くしかないだらう。
 そこで「広辞苑 第三版」と「広辞苑(第六版)」の比較となるのだが、ここにこそ「檸檬」が秋の『季語』として認定されて辭書に収録されたのが最近の事であると推理出來る手掛かりが見つけられる。
 恐らく「広辞苑」の「第四版」から「第六版」のいづれかの時期に採用されたのだらう事が解る。


 では、『季語』は誰が認定して『歳時記』に収録してゐるのだらうかと思ふのだが、さう考へた理由として、『萬緑』といふ夏の『季語』があつて、

   万緑の中や吾子の歯生え初むる 草田男

 この昭和十四年の作である中村草田男(1901-1983)の有名な句によつて『歳時記』に定著させられてゐるのであるが、『萬緑』の出典は兔も角、歴史といふ時間に吟味された上でのものとは思はれず、そこには俳壇と言ふ官僚的な力が働いてはゐるのではないかといふ危惧が感ぜられる憾(うら)みはないだらうか。
 それが筆者の思ひ過しだとしても、『季語』はこれからも増えて行くものと思はれるが、それがさうなる爲(ため)の手續きをどうするかといふのは大きな問題點となるやうに思はれる。
 勿論、それはそれを『季語』と認識して句作する人が増える事によつて、讀者に自然に浸透して行つて『歳時記』に掬(すく)ひ上げられるといふ手續きを蹈むのが、一番穩當(おんたう)だとは思ふのだが、子規の述べた問題とも鑑みれば、更に『季語』の役割とは何かといふ問題の根は深いと考へられる。


     二〇一二年八月十一日正午十分自宅にて



     續きをどうぞ

六、「季重なり」について 『發句に於ける季語の象徴性による普遍論』
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=73210830&comm_id=4637715



     關聯記事

五、調べ 『發句雜記』より
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=51655472&comm_id=4637715


參考資料

Wikipedia
俳諧大要 正岡子規著 岩波文庫
廣辭林 新訂版 昭和十年度發行 三省堂
広辞苑 第三版 昭和五十八年度發行 岩波書店
SHARP papyrus PW-AT770


これからの豫定として、次のやうに發表したいと思ひます。

六、『季重なり』に就いて
七、『無季』に就いて
八、文學的表現と日記的表現の差に就いて




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