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俳諧師:近江不忍コミュの一、發句集『白い秋』二〇一一年(Twitter を通じてmixiやFacebookに發表)

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この作品を讀む時に、この音樂を聞きながら鑑賞して下さい。
 これは自作(オリジナル)の

『Motion1(Mirror) &(Substance) 曲 高秋 美樹彦』

 といふ曲で、YAMAHAの「QY100」で作りました。

映像は伊丹にある、

『柿衞文庫』

へ出かけた時のものです。

 雰圍氣を味はつて戴ければ幸ひですが、ない方が良いといふ讀者は聞かなくても構ひませんので、ご自由にどうぞ。






     發句集『白い秋』二〇一一年(Twitter を通じてmixiやFacebookに發表)

 
8・8
   湧きあがる雲を背負ひて喰ふ西瓜 不忍
小學生の時から七月下旬から八月末までが夏休みだつたので、八月の初旬で「立秋」になつてゐても、感覺的に夏の氣分が殘つてしまつてゐる。
「花火」と共に「西瓜」は秋の季語である。


8・9
   吹く風に青田波打つ初秋かな 不忍
残暑に參つてしまひさうな身體(からだ)を操つて店に出かける午後――いつもの道を通つて田を眺めてゐると、そこを通つて來る風が心地よかつた。
「青田」は夏の季語だが、かういふのもありかと思つてゐる。


8・10
   ひぐらしや硯(すずり)の墨で見舞ふ文(ふみ) 不忍
病院に通ふやうになつてから文人墨客のやうになれたらと、兼好(1283頃-1359頃)法師に倣(なら)つて殘暑見舞などを認(したた)める。
夕暮に晩蝉(ひぐらし)を聞きながら……。


8・11
   垂れこめる雲山にゐて秋(あき)白雨(はくう) 不忍
夕方の出勤の時、遠くの山に黒い雲が垂れこめて覆ひかぶさつてゐるのを見たと思つたら、雨が激しく降つてきた。
初案から「夕時雨」と改めたが元に戻した。黒と白の對比に魅かれたので。


8・13
   朝露が穗となるみのりの證(あかし)なれ 不忍
朝の仕事歸りの途中、いつものやうに田の側を通ると、まだ青い稻の先に露が宿つてゐると妻に言はれて、近寄つて屈んで見たら、きらきらと命が煌(きらめ)いてゐるやうだつた。


8・13
   ゆふぐれに鐘の音聞く墓參り 不忍
父が亡くなつて十年になんなんとする。
天竺川の堤防に墓があるので出かけると近くの正業寺から入相の鐘が聞えて來た。
まだ暑さは頂點(ピイク)を迎へてはゐないからか人が多かつた。
「墓參り」は秋の季語。
莫差特(モオツアルト(Mozart)・1756-1791) 『ピアノソナタ 第8番 イ短調 K.310 第1楽章』 YAMAHA QY100
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=64396600&comm_id=4663861


8・15
   仰ぎみて生きたればこそ月清し 不忍
今宵は綺麗な滿月で、幾度も店の外へ出て眺めてしまつた。
この句は中句「生きたればこそ」の後に、知る事が出來たといふ「知る」といふ言葉を省いた句で、發句なればこその省略法である。


8・16
   階(きざはし)と見まがふ雲やビルと月 不忍
昨日に續き今日も綺麗な月で、かすかに雲がかかつて月とビルの間をたなびいてゐた。
それが月への階段のやうに見えた。
かぐや姫ならぬ……王子にもなれはしない。

8・16
   送り火を間近に見たり闇の空 不忍
今年の始めに二度ほど金閣寺に出かけた時にお世話になつた石田珈琲さんに行き、「送り火」を見る絶好のポイントへ案内された。
生まれて初めての事だつた。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=64457390&comm_id=4663861

金閣寺(Kinkakuzi) 2011/1/27(木) 『Air』艾里克(グリイグ・Grieg)
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=59711509&comm_id=4663861


8・17
   我が影を月に照らされ見る田舎 不忍
京都から三時間をかけて岡山の美作へ着く。
夜中の一時なり。
月は天空に美しくあり。
都會では考へられぬが如き月の明るさ。
我が影は地に張りつきたるなり。


8・18
   気がつけば蝉の聲なき晝の風 不忍
あれほど朝方は鳴いてゐたのに、ひと眠りして十一時に目を覺ますと、照りつける太陽の中に蝉の聲はなく、風だけが通り拔けてゐた。
「晝」は「昼」の正字。


8・19
   なきさうな蝉のかはりや曇り空 不忍
疲れてゐた所爲(せゐ)か、昨夜は十一時から朝の七時まで寢てしまつた。
なんだか雨が降りさうな空模様だ。
涼しくなるかな〜。


8・2011年8月20日
   樂しみがいまだにつづく百日紅 不忍
それほど華麗な花とはいへないが、六月の終り頃から今も咲き續けてうるほひを與(あた)へてくれてゐる。
地味である事が却つて靜謐な味はひがあるやうに思はれる。


8・21
   花も人も景色溶け込む秋のあめ 不忍
昨日は車で店に行つたので、今日は雨が降つてゐるけれども健康の爲に歩いて行く事にした。
灰色の背景に全てが雨に閉ぢ込められたやうに見えた。


8・22
   雲間より月の見透かす浮世かな 不忍
夜中の一時過ぎに氷を買ひに出ると、雨を孕んでゐさうな雲の脇から月が覗いてゐた。
折しも角の店で宴が酣で笑ひ聲が聞えて來た。
月見をしてゐる譯ではない。
もしかしたら月が人見をしてゐるのかも……。


8・21
   降りもせぬ空の暗さや蟲の聲 不忍
夕暮れのどんよりと重い空を背負ひながら歩いてゐると、何處かで蟲の聲が聞えた。
その蟲の音に同じ生き物としてこの地球に存在してゐる事を實感させられた。


8・24
   朝燒けのところどころに見ゆる秋 不忍
次第に朝の明けるのが遲くなつてきた。
彼方に一筋の赤い線が上がつて邉りを斑模様に明るくして行く。
こんな處に秋の氣配を感じてしまふ。


8・25
   鳴ききつて蝉のこゑなき朝(あした)かな 不忍
氣がつくと蝉の鳴き聲がなくなつてゐる。
さういへば、しばらく音沙汰のないあの人はどうしてゐるのだらうかと思ひだしたりしてしまふ。


8・25
   朝顏のからまる蔭にひるねかな 不忍
なんと「西瓜・花火」に竝んで朝顏も季語は秋である。
やはり夏の心象(イメエジ)が強く感じられる。


8・27
   山蔭に陽當(ひあた)る朝の墓參り 不忍
昨日に行かなければならなかつたのだが、仕入れと精米するのに時間を取られて間に合はなかつたので、仕事を終へた歸りに墓參りをした。


   鳴き切つた蝉のぬけがら墓の外 不忍
蝉のやうに鳴き切つた一生を送る事が出來るのか。
不圖、考へてしまふ墓參り。

コンドルさん。
運動・藝術・食の秋ですね。
私には秋刀魚は佐藤春夫を思ひ浮べてしまひます。
   子に分ける秋刀魚酸つぱきレモンかな 不忍
面影で句作しました。


   ふと蝉のいつの間にやら聲もなし 不忍
家の窓から木々のそよぎが見えるだけで蝉の聲はなく、それ程に汗もかかなくなつて、しみじみと季節の變化を感じてしまふ。


8・29
   秋に來て咲くとは知らず百日紅 不忍
この間の大雨で随分と地面に散つたのを見た筈なのに、秋になつてもまだ咲いてゐる。
健氣なり。


8・30
   晩蝉のせいいつぱいにゆふべかな 不忍
夕方、店に行く道をかへて歩いてゐたら、もう聞かれないと思つてゐた蝉の聲に出合つた。
蝉の季語は夏だが、晩蝉(ひぐらし)は秋の季語である。


8・31
   秋の夜や問ひ糺される雨の音 不忍
夜中に雨が降り出して客足が途絶えた。
獨り店で雨音を聞いてゐると、深く考へる事があつたが内觀とまではいかない。


9・2
   竹の春雨を仰がん露天風呂 不忍
箕面船場にある「水春」に行つて來た。
昨日の事である。
颱風の所爲か生憎の天候で、灰色の空から雨が降り出して情緒がある事頻りであつた。
「竹の春」の季語は秋である。


9・3
   台風の豫兆や深夜の雨宿り 不忍
晝間の激しい風も、夜中に風が止んで雨だけとなる。
颱風の直前で、尠いけれどもこんな日でも出向いて來られる人ありて歡談す。


9・4
   降りしきる雨の重さや秋の夜 不忍
深夜の壓(の)しかかるやうな暗い空から、ざんざ降りの雨が長いこと續いてゐた。
路面を叩く音と激しく撥ね返る飛沫に魅入られてゐた。


9・5
   止むとみてまた降りかかる雨や秋 不忍
九月上旬から十月中旬に秋雨前線が發生する。
南岸沿いに停滯すると長雨となり、颱風の影響で大雨となるが、これを秋霖といふ。


9・5
   被災後の秋生き殘りしが罪とかや 不忍
東日本大震災のドキユメント映像はどんな言葉も輕く感じられてしまふ。
亡くなつた人を弔ふ氣持もさる事ながら、生き殘つた人の苦しさは、太平洋戰爭で歸還した兵士の戰友への思ひにも似てゐまいか。


9・6
   まだ鳴くかひぐらし風雨生き延びて 不忍
この地域でこの季節になつてしまつたら、もう茅蜩(ひぐらし)の聲さへ聞かれはしないと思つてゐたら、店へ向ふ途中の道でいきなり鳴き出されて、生きてゐる事を實感させられたやうな氣がした。


9・7
   氣にもせぬ空にゆうぜん晝の月 不忍
店に行く途中、まるで誰に氣づかれる事もないやうな月が、浅黄色の空にうつすらとあつた。
我が道を往くも心なれば、人の噂をとやかくするのも己が心ひとつの事にあり。

これは何の月ですか?読み方がわからん〜。いや今晩の月の位置に異常はないようでした。安心。

松丸 ブディウトモさん。失禮。「晝」は「昼(ひる)」の正字です。説明不足でした。因みに今年は九月十二日が中秋の名月です。それと十月九日」の十三夜の月を見ませう。兩方を見ると「無雙(むさう)の月」で、どちらかを見ないと「片月見」となります。


9・6
   路地裏の小暗き軒に槿かな 不忍
店へ歩いて行く時、公園を拔けたあと、眞直ぐ行くか右の道を選べる。
右は小さな用水路だが、水は涸れてゐので殺風景な道である。
多くは眞直ぐ行く細い民家の道を通る。
何故つて途中に槿(むくげ)が咲いてゐるから。

コンドル
何色の槿でしょうか。個人的には純白で中央に赤みがあるのが好きです。


コンドルさん。
まさにそれでした。
   槿咲く生きていればこその出逢ひかな 不忍
いろいろあるでせうが、といふところです。


9・10
   田の上の鳥よけ光る朝の道 不忍
朝方に家に歸る時、鳥よけネツトが田一面に張つてある。
鳥の姿が見えないのに網を張る必要があるのかと思ふのだが、張つてあるからこそ鳥が見えないのかも知れない。


9・10
   泣く蝉がゐたともみえず木立かな 不忍
この間までこの道を通る時、この木立に蝉や蜩が鳴いてゐたのに、今はもう何事もなくひつそりとしてゐる。
命は次に繋がれたのだらう。

Kumi
   時は流れ様々なことが変化して行きますね。
と、ちょっとセンチメンタルな私

Kumiさん。
日本文學の底流にあるものは、「もののあはれ」です。
儚い命なればこそ慈しむ心を必要とするのでせう。

この句は夏の季語である「蝉」がゐなくなつた事で夏の次の季節の到來を示したもので、實際の秋の季語に關する具體的なものは提示されてゐません。
こんな方法の句があつてもいいのではないか、と思つて發表しました。
幻惑的(トリツキイ・Tricky)な技ではありますが。


9・11
   おだやかな陽射しゆかしき稲穂かな 不忍
雲をたなびかせた空から、やはらかな秋の陽射しをうけて、つひに稻穗が實(みの)つた。
多くの周りの景色を壓(あつ)して田圃が光つてゐる。


9・12
   名月を池にあそばす今宵かな 不忍
遠景の山竝を借りて我がものとするやうに、木々の生茂る敷地三千坪にある池を眺めながら、今宵は名月を鯉とともに池に遊ばしておかう。
なんて「空想の句」、いや「妄想の句」か。
にしても綺麗な月である。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=65543736&comm_id=4663861


9・13
   池に浮くいさよふ月や鯉の餌 不忍
敷地三千坪にある池、ゴホン、「妄想」も極まれり。
「いさよふ月」は「十六夜(いざよひ)の月」で、陰暦八月十六日の月の事である。
月は歸り道の夜明にもあつたので「有明の月」にもなつてゐた。


9・14
   來ぬ人と立待月の出逢ひかな 不忍
夕方に月の出を待つてゐる時、坐る間もなく出る月の事を「立待月」と言ひ、「忽ち」と掛けたらしく思はれる。
待ち人とも直ぐに逢へる事だらう。
陰暦八月十七日の月をいふ。
皓皓と今宵の月も美しきかな。


9・15
   己が顏を池に浮かべて居待月 不忍
敷地三千坪の池の妄想に遊べば、月の出遲くして、水面に浮ぶは貧相なる我が顏。
伊曾保に倣ひて「ワン」とでも吠えてみん。
「居待月」は陰暦八月十八日の月の事である。


9・16
   降りやまぬ臥待月や眠られず 不忍
殘念乍ら今日は雨で月は見られない。
陰暦8月19日の月の事を「臥待(ふしまち)の月」あるいは「寝待ちの月」ともいふ。
月の出は遲い。これ以降はもうないやうに思はれるが、まだこの後もあつたりする。

9・17
   しのぶ戀更待月や暈の中 不忍
折角の逢瀬も短くて、戀人たちは離れ難いだらう。
陰暦八月二十日の月を「更待(ふけまち)の月」といひ、月の出は次第に遲くなつて午後十時頃になると言はれてゐる。
生憎の曇り空で月は暈(かさ)がかかつてゐた。


9・18
   月呑んで喉うるほさん缺け茶碗 不忍
月に樣々な名稱があるが、けふの月には取立ててない。
月は次第に缺(か)けて行くが不相變(あひかはらず)美しい。
見る癖がついてしまつた。
茶碗に月を映して飲み干すなんて趣向も面白からう。
技巧に走る。


9・19
   草陰に邯鄲の鳴く朝の道 不忍
邯鄲は「一炊の夢」で有名な戰國時代の中國の趙の國都。
別に「盧生の夢」ともいひ、束の間に人生五十年の榮枯盛衰を夢に見て、出世にかける儚さを例へた故事。
その時この蟲が鳴いてゐたとかゐなかつたとか。

9・21
   降つて止みくり返しす雨や秋の聲 不忍
雨が降り續いてゐるが、私は雨が好きである。
災害も惠みも人の意の儘にはならないが、自然には傲慢も感謝も教へられる。
秋にはそれなりの色々な音が聞えて來る。
この句、中句が八音の字餘りである。


9・22
   誘はん晝間の空や萩の寺 不忍
曾根に『萩の寺』として有名な東光院がある。
この地に長い事住みながら一度も訪れた事がなかつた。
始めて家族で出かけた。
晝(ひる)だつたので、月があればと誘(いざな)つたが、萩に失禮だつたか……。

   陽の光かぜを教へん萩すすき 不忍
東光院には萩ばかりでなく、數は少ないが芒もあつて、如何にも月を期待してしまふが、開門時間は午前九時から午後五時までである。
「九仞の功を」虧(か)くこと夥しいが、贅澤といふものか。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=65198734&comm_id=4663861


9・23
   山の上の墓に登れば彼岸花 不忍
妻の實家の墓は高臺にある。
見晴らしの良い場所に墓を建てたが、墓そのものは新しく、このあひだ亡くなつた妻の父親が鬼籍の人となつてこの中に一人でゐるばかりである。


9・24
   秋櫻や風にまかせて搖れにけり 不忍
我慢してゐる譯でも、歎いてゐる譯でも、諦めた譯でもない。
秋櫻(コスモス)はその環境にひつそりとそよいでゐる。
可憐でさはやかなたたずまひを店に行く途中に見かけた。
忙中閑あり。
秋櫻は「キク科の一年草で、墨西哥(メキシコ)原産」だと辭書にありました。


9・26
   月のない空の暗さや夜明け前 不忍
夜明け前が一番暗いと誰かが言つてゐたやうに思ふ。
そんな時は叫(Cry)んでみても屆かない、なんて下らない事を言つてみる。
日本の夜明けはまだ遠い。お前は鞍馬天狗か!


9・26
   銀杏竝木色づき初むる七日ぶり 不忍
月曜日は毎週仕入れで、二十年程前に店を十年間營業してゐた吹田の亥子谷へ行きます。
一週間前はまだ汗ばむ程だつたのに、それがもう銀杏が黄ばみ初めて、見えもしない時の存在を教へてくれる。


9・27
   日の暮も釣瓶落としや秋冷えて 不忍
日の暮れが早くなつた。
「釣瓶落とし」といふ手垢のついた言葉だが、結構氣に入つてゐる。
これに到るまでにこんなのも詠んで見た。
   日の暮れて晒した皮膚に秋の冷え 不忍


9・28
   浮雲を動かす風や黄金の穗 不忍
妻の實家の美作では、もう二週間も前に田の刈入れが終つてゐるのに、都會の田圃はまだ黄金(こがね)の稻穗が風に光つて搖らめいてゐる。


2・29
   雲に飛ぶ鳥船ひとつ秋櫻 不忍
和歌は大和言葉を使ふのが本來で、確か飛行機の事を「天の鳥船」と詠まれた歌があつたやうに記憶してゐる。
青空の下、秋櫻の搖れる背後に飛行機が雲に向つて飛ぶやうに見えた。


9・30
   友が語る友の孤獨死秋更けぬ 不忍
久し振りに友人が訪ねて來た。私の知らない彼の友人が死んだといふ。
隨分以前に離婚をしてゐて、年金も貰はぬ儘に五十九歳の若さで、何日も經つてから發見されたといふ。酒を酌み交はす……。



                              つづく

一萬字を超過しましたので分割しました。




     續きをどうぞ

二、發句集『白い秋』二〇一一年(Twitter とmixiの「つぶやき」に發表
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=66470951&comm_id=4637715

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