ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

俳諧師:近江不忍コミュの7、旅――昭和四十四己酉(つちのととり)年 發句集『啼 血』より

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
 この作品は自作の詩や小説、隨筆などを讀んで戴く時に、BGMとして流さうと思ひつき、樣々なヴアジヨンを作らうとした内のひとつで、今囘は、

『YAMAHA QY100 Motion1(Mirror) &(Substance) 柿衞文庫(KAKIMORI BUNNKO)
Takaaki Mikihiko(高秋 美樹彦)』

 で作つて見ました。






     7、發句集『啼 血』

     旅――昭和四十四己酉(つちのととり)年


     四 國


 十月十五日、我が友の大西氏と自動車にて、四國へ行かんと大坂を午後八時に立ぬ。
 大坂を出づる時、

   彼の人の悲しみつつみ秋の旅


 午後十時、國道二號線に到り、その後宇野よりフエリイボオトに乘りて、1時間後に四國の高松に着く。
 午前三時半、國道十一號線を一路、松山へと行かん。
 月清く、我ら二人の行く手を阻むものなからんと願ふ許りなり。
 四國へ來たるは我の喜びか否か、兔も角、

   疑ひて四國四國と月に問ふ

 いにしへの歌にあるが如き心境にあり。曰く、

   さびしさに宿を立ち出でてながむれば
   いづこも同じ秋の夕暮      良暹法師(りやうぜんほふし1058-1065)


 午前六時頃、松山に到る。
 自動車の如何に速きかを知る。
 直ちに道後公園より名にし負ふ道後温泉へ行くなり。
 其處は甚だうろ覺えにはあれど、生前に夏目漱石の住ひたる爲か、將又(はたまた)「坊ちゃん」と云ひし小説の舞臺にもあれば、そを記念し若しくは觀光事業とせし利用價値の多大なる爲に、道後温泉の一隅に「坊ちゃんの間」といへる一部屋のあるなり。
 其處にて時間を稼ぎ居り。
 その部屋の漱石の胸像と菊二輪あるを見て、大西氏は、

   菊二輪側で漱石やぶにらみ

 の狂句を作り、洗車の後、松山城に登る。


 それを受けて、

   松山の城のこころを悟れかし

 早速に作りたる句にはあれど、發句としての命が無之。
 季語なきを發句とはをかしやな。

   城は今何萬石の誇りかな

 これもまたをかしくなりたる句にあり。
 されば、

   秋の城何萬石の誇りかな

 これで如何(いかん)。


 城はその姿を勝山の山上に置き、市を見渡してゐたり。
 又、國鐡(こくてつ)松山驛の句碑にあるが如き、

   春や昔十五萬石の城下哉

 と正岡子規(1867-1902)も詠じた城にあり。
 されど現世となりては何しようものか。

   近代の城はなにせむ國は秋


 松山より國道三十三號線に沿ひて、午前十一時に高知へ行かんとす。
 途中、運轉を交代して假眠してをれば、大西氏が山中にて時速七十粁(キロ)の速度違反により、覆面パトカアにつかまりたると、我を起したり。
 再び我が運轉にて、高知には午後四時に着きたり。
 土産を買ひて後、時間の許さぬままに高松へ行く可く、國道三十三號線を數時間ほど走り、フエリイに乘りたり。
 四國の陸を離るれば、家々の燈の瞬くを見られたり。

   秋暗く四國に別れの言葉なし


 午後十時前後、宇野に着きて大坂に歸らんと走り出したり。
 ――大坂の庄内に歸り來て、大西氏は我と弟の住みたるアパアトに泊りたり。
 その日、實(じつ)に十月の二十七日も未明なりき。



     次のをどうぞ

8、還――昭和四十四己酉(つちのととり)年 發句集『啼 血』より
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=63731678&comm_id=4637715


     これまでの發句集『啼 血』



1、四 季――昭和四十一丙午年 發句集『啼 血』より
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=47766427&comm_id=4637715



コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

俳諧師:近江不忍 更新情報

俳諧師:近江不忍のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング