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俳諧師:近江不忍コミュの3、廻文による發句

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人間といふ動物は、他の動物に比べて壽命が長いやうに思はれる。
大體(だいたい)が個の存在は、種の存續の經過的な形態としてあり、
昆虫のオスなどはメスと交尾したあとは、養分として食べられてしまひ、
次の世代に命を繋ぐ個としての役割を甘んじて受入れてゐる。


さういふ意味において、無駄に長生きをする人間はなんの爲に生きるのか!
勿論、愉しむ爲以外には有得ないと言つても差支へないと言へるだらう。
遊びこそは人間に許された、究極の智的な快楽であらう。


例へば、文學では、廻文といふものがあり、
音樂では、バッハに次のやうな作品がある。



A,この提示された楽譜は、最後まで行くと逆行して最初まで戻るのである。



B、これは最後から逆行して最初まで行くと、また逆行して最後へと戻るのである。



これが(A)と(B)を合せた音樂で、これは廻文(廻音)にはなつてゐないが、高度な遊びだとは言へるだらう。


バッハには、この外にも

『音樂の捧げ物』に、「螺旋フウガ」と言つて、

一つの旋律が「ド」から始まつて、「レ」から順に音階が上がつて行き、
上の「ド」の音に辿り着いて終るといふ螺旋階段のやうな曲もあり、
この外いろんな遊びを、たつた一つの旋律でくり廣げるのである。


『フウガの技法』では、「Bach」といふ名前を音名に當嵌(あては)めて、
對旋律(たいせんりつ)として曲を作つてゐるし(但し未完)、

『マタイ受難曲』

では、イエスキリストが十字架に架けられた場面では、
樂譜上で十字架の形になるやうに筆記されてゐたり、
と遊びまくつてゐる。



      3、廻文による發句


   今朝にこそ躑躅恥つつそこに咲け


 この『廻句』には問題點(もんだいてん)があつて、それは、

 『躑躅・恥』

 といふ二つの言葉を現代假名遣で振假名(ルビ)をつければ、

 『躑躅(つつじ)・恥(はじ)』

 となるので、

 「つつじはじつつ(躑躅恥つつ)」

 であるから、『廻句』として問題はないのだが、筆者の基本とする表記法である歴史的假名遣にすれば、

 『躑躅(つつじ)・恥(はぢ)』

 となつて、

 「つつじはぢつつ(躑躅恥つつ)」

 となつてしまふからである。
讀者の中には、細かい事を氣にしなくても良いのぢやないかといふ人があるかも知れないが、作品の出來としては納得してゐる譯ではない。

 それといふのも、前囘の廻句で、

   池の邊の蟲をや惜しむ野邊の景

 といふのを發表したが、この時は歴史的假名遣で、

 『惜(を)しむ』

 と表記したからこそ、

 「むしをやをしむ(蟲をや惜しむ)」

 と、『廻句』としての完成度を手に入れられたのであるが、これが現代假名遣だと、

 『惜(お)しむ』

 となるので、

 「むしをやおしむ(蟲をや惜しむ)」

 となつて、『廻句』としては不完全なものとなつてしまふ事になる。


 これは、今後も起こり得る問題で、

 「じ・ぢ」
 「ず・づ」
 「は・わ」
 「お・を」
 「じや・ぢゆ」
 「う・ふ」
 「て・ちや・ちよ」

 これらの現代假名遣と歴史詩的假名遣、さらに字音假名遣の表記法の差によつて生じる混在(こんざい)が、吉と出るか凶と出るかで、今後の『廻句』としての存續(そんぞく)が左右されると考へてゐるのだが、それよりも何よりも、これ以降に發表するだらう筆者の作品にも、このやうな問題を孕んでゐる事は返す返すも殘念な事である。
 といふのも、時に應(おう)じて、都合良く立場を使ひ分けるのは、實(まこと)に忸怩(ぢくぢ)たる思ひがするからである。


蝙蝠(かうもり)
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=52750695&comm_id=4699373


※これまでに発表した廻句

   今朝死んだ母がわが母男子酒

   池の邊の蟲をや惜しむ野邊の景




4、廻句(廻文による發句) (バッハ「音樂の捧げ物」の音樂あり) 
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=53613658&comm_id=4637715


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