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OSHOの黄金の華の秘密を読むコミュの第23章-3 6月に白い雪が舞う

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そして三つめの詩句は――


本水中にそよ風が吹く。


道家では、水は事物の究極の源を表している。
それはタオそのものを表している。

老子はみずからの道を「流水の道」と呼んだが、
それにはたくさんの理由がある。

まず、水は柔らかく、謙虚であり、最も低い場所を探し求める。

イエスが
「この世で一番後になる者が私の王国では最初となり、
 最初の者が一番最後になる」
と言っているように、水は最も低い場所、くぼみを探し求める。

雨はエベレストに降るかもしれないが、
そこにはとどまらず、谷に向かって流れはじめる。
そして谷のなかでも一番深いくぼみにたどり着く。

水はいつも最後にいて、野心をもたない。
水には一番になろうとする野心がない。

そして水になることがサニヤシンになることだ。

水のようになることは、
何者でもないものであることに完全な幸せを感じることだ。

そして第二に、水とは流動に他ならない。
水はつねに流動している。
動きが止まると、水は汚れ、汚水となって、
毒すら帯びるようになる。
水は死んでしまう。

水の生命は流動のなかに、
生き生きと躍動し、流れることにある。
生命はすべて流れであり、制止しているものはない。

科学者のエディントンはこう言ったと伝えられている――
「『静止』という言葉はまったく意味をなさない。
 なぜなら、存在しているもので静止しているものなど何一つないからだ」と。

それは現実に、事実に合致していない。
あらゆるものが成長の、動きの途上にある。

生は巡礼の旅だ。

生においては、名詞は偽りであり、ただ動詞だけが真実だ。
私たちは言語のなかに名詞をつくりだした。
これらの名詞は生に関してひじょうに誤った印象を与える。
それは正しくない。

いつか将来、言語がもっと実存的なものになるときがくれば、
名詞は消えて動詞に置き換えられるだろう――あらゆる名詞が。

川というものはなく、川として流れゆくであり、
樹というものはなく、樹としてそびえゆくだ。

なぜなら、一瞬といえども樹は静止していないからだ。
それはけっして存在(イズネス)の状態にはない。
それはつねに生成(ビカミング)し、流れ、
どこかへ向かっている。

<存在>は流動的であり、
ゆえに水、「水中」が隠語(メタファー)になる。

コメント(7)

目撃者に気付けば、第三のものが可能になる。

あなたは流れることの美しさに気付くだろう。
安定を渇望したり、現状がいつまでも続くことを
願ったりしなくなる。

あなたは川とともに流れはじめ、
<存在>という川の一部になる。
あなたは変化を楽しむようになる。

人々は変化を心底から恐れ、
変化に対して大きな恐怖を抱いている。
ものごとがよい方向に変わってゆくときでさえ、恐れる。
彼らは新しいものを恐れる。

心(マインド)というものは古いものには実に賢く振る舞えても、
新しいものに出会うと必ず当惑するからだ。
心は新しいものを再びイロハから習わなければならない――
誰が習いたがるだろう?

心は世界をそのまま停止させておきたい。

社会が法を遵守し、古い型を守るのは、
まさにこの心があるためだ。
世界中で数限りない人々が因襲にとらわれている。
なぜだろう?
そこにはかなりの資本が投下されているにちがいない。
これは投資だ――
誰も学びたくはないし、誰も成長したくはないし、
誰も新しいものに慣れ親しみたくはない。

人々はどこまでも古い型を守り続けようとする。
が、そうなると当然、退屈してくる。
そこで彼らは
「どうして退屈なんだろう?
 どうすれば退屈せずにすむだろう?」と言う。

彼らは自分たちで退屈をつくりだしておきながら、
退屈をつくりだしたそのからくりを見ていない。

大勢の人が私のもとにやって来て、自分は退屈していると言う。
「どうすれば退屈から抜け出せるでしょう?」と。

退屈が問題なのではない。
退屈は副産物だ。
問題の奥にあるのは、
新しいものを探求する用意ができているか?
冒険に出る用意ができているか?
ということだ。

冒険とは賭けることだ。
それはよくなるかもしれないし、
これまで知っていたよりもさらに悪くなるかもしれない――
それは誰にもわからない。

それに関しては一つも確実なことは言えない。

生で唯一確かなのは、
それが不確かなものであるということだけだ。
人は不確かさより他には何も当てにすることができない。

新しいものは人をひどく不安にさせる。
彼らは古いものにしがみつく。
世界に因襲にとらわれた人々がいるのはそのためだ――
彼らは無用な重荷になっている。
彼らのおかげで世界はよどんでいる――
彼らは古い型を踏襲することにこだわり続けている。

例えば、インドの歴史はほぼ五千年に達するが、
マヌがつくりあげた社会構造はそのまま残っている。
それは当時は良いものだったかもしれないし、
何らかの意義があったにちがいないが、
五千年が経ったというのにインドにはいまだに不可触賎民がいる。
触れることすら許されない人々がいる。
彼らは人間ではない。
正統派を自認する者たちは彼らの影にさえ触れない。
かつてはそうだった。
今でもいくつかの村では、不可触賎民、スードラが通りを歩くときには
「どうかわきによけてください。そちらに行きますよ」
と叫ばなければならない――
というのも、カーストの高い誰かに影が触れると罪になってしまうからだ。

彼は叩かれ、へたをすると打ち殺される!
今でもこの罪を着せられ焼き殺される人々がいるが、
この愚劣な社会構造は五千年も生き延びてきた。
これほど非人間的なのに!
これほど非民主主義的なのに!

インドでは民主主義が成功しそうにないのはこのためだ。
ヒンドゥー教の精神そのものが民主的ではない。
精神構造のすべて、心理的な条件付けが民主主義に反しているのに、
どうして民主的な国をうまくつくりあげることができるだろう。
民主主義において最も大切な基本は、万人が平等であるということだ。

誰かが誰かよりも価値においてまさるというわけではない――
ところがヒンドゥー教徒はそれを受け容れることができない。
事実、スードラ、不可触賎民は人間として認められていない。
彼は人間ではなく、家畜扱いをされている。
女を人間と見なすことはできない。
女性もまた家畜扱いをされてきた。

さあ、この種の精神――それがどうして民主的になりえよう。
だから民主主義の名のもとにあるのは混沌以外の何ものでもない。
なぜなら、民主主義の基盤が存在していないからだ。
だが、この国は五千年にわたりこの社会構造とともに存続してきて、
それを手放す用意ができていない。

この構造のどこに美点があるのだろう?
美点などどこにもありはしない。
それはただただ醜く、おぞましく、
忌まわしく、吐き気をもよおすほどだ!

人々はあまりにも長くそれと暮らしてきたので、
もう他のことは何も学びたくない――
ただそれだけのことだ。
彼らはそれとともに生きてゆきたい。
彼らはそれがあると安心することができる。
彼らはどんな変化も毛嫌いしている。

いいかね、この傾向は多かれ少なかれどんな人間のなかにもある。
あなたは変わりたくはない。
あなたは変化を恐れている。

なぜなら、変化とともに新たな挑戦が生まれるからだ。

そしてあなたは新しい状況に対処できるかどうか不安に思っている。
古いものならうまく扱えるし、手際よくさばけるから、
古いものに寄り添っているほうがましだ。
古いものは意のままに操ることができる。

新しいものはどうなるかわからない。
思い通りになるかもしれないし、
思い通りにはならないかもしれない。

学ぶことができるのは子どもたちだけだ。
子どもたちには何も過去がないので、
しがみつくべき古いものがいっさいないので、
いつでも喜々として学ぶことができる。

大きくなればなるほど学ぶことができなくなる。
十三歳位で、人々は学ぶことをやめる。
それが彼らの精神年齢になる。
探求者であるなら、あなたは絶えず学び続けなければならない。
生きることは学ぶことだ。
学ぶことはけっして終わらない。

死の瞬間においてすら、探求者は学び続ける。
彼は死を学ぶ。

彼はいつでも変わる用意ができている。

水は変化する要素を、永遠の変化を、
流動的な現象を表している。

いつでも変化でき、過去を忘れ、過去を許すことができ、
瞬間とともに進んでゆく用意のある者たちこそが真の人間だ。
なぜなら、彼らは冒険家だからだ。
彼らは生の美を、生の祝福を知っている。

そして生はその神秘をこのような人々に、
このような人々にだけ
明かしてくれる――
なぜなら、彼らはそれに値するからだ。
みずからの手でそれを稼ぎ取ったからだ。

賭けることで、彼らはそれを稼ぎ取った。
彼らには勇気がある。


本水中にそよ風が吹く。


もしあなたが水のような現象になり、変化し、
絶えず移り変わり、動き、流れ、
けっして過去や古いものにしがみつかず、
いつも新しいものを探し求め、
つねに新しいものを楽しんでいると…
「そよ風」が吹いてくる。

あなたは恩寵に包まれる。
あなたの実存は至福に包まれる。
そうなったら、あなたの内側で
はじめて聖なるものが踊りだす……
「そよ風が吹く」とはそのことだ。

神はとてもやさしい。
神はけっしてあなたの扉を叩かない。
神の足音はけっして聞こえない。
訪れるときには、
神は音を立てずに、ひっそりとやって来る。

あなたが水のようになっていないかぎり、
神のそよ風があなたの上に吹いてくることはない。
まず流動的になりなさい。

流動的であり続けること――
これはサニヤシンに対する私のメッセージでもある。

そして、いいかね。
未来は絶えず変化してゆく用意がある者たちのものになる。
なぜなら、今や世界はめまぐるしい速度で変化しているので、
古いものにしがみついている者たちは
大きな苦しみを味わうことになるからだ。

彼らはこれまで大きな苦しみを味わったことがなかった。
むしろ逆に、進んで変わろうとする者たちのほうが
ひどい苦しみをなめてきた。
これからは状況が逆さになるだろう。
これからの時代は変化を愛し、喜々として踊りながら
変わってゆこうとする者たち、変化を祝う者たちのものになる。
そして、いつなんどき変化の機会が訪れても、
彼らはそれを逃がさない。

未来は彼らとともにあることになる。
歴史は大きな転換をとげ、別の地平を進もうとしている。

「何かが変化しつつあるときには、
 けっしてそれを妨げてはいけない」
と私がいつも力説しているのはそのためだ。

恋人との関係が変化しつつあるなら、
それを妨げてはいけない。
それを受け入れ、なるようにならせなさい。

別れなければならなくなっても、くよくよしないこと。
執着心があると、いつまでも惨めなままでいなければならない。

変わってゆくものは変わってゆく!

その変化を楽しみ、その新しさを楽しみなさい。
新しいものを受け入れ、歓迎するがいい。

過去をあげつらわずに、
新しいものを受け容れることができるようになれば、
まもなくあなたはみずからの生が格調の高さ、優美さ、
穏やかな気品を帯びはじめたことに気付くだろう。

あなたは柔らかな花のようになる。

まさにその瞬間に探求者は踊りはじめる。
まさにその瞬間に祝祭がはじまる。

そしていいかね、イルカやチンパンジーは
遊びを知っているかもしれないが、
祝うことができるのは人間だけだ。
祭り祝うことはまさに人間的だ。

色々な定義を耳にしたことがあるだろう――
人間は理性的な動物である」と言う者もいれば、
また別のことを言う者もいる。

私は「人間は祭り祝う動物である」と言う。
人間が他のすべての動物と袂(たもと)を分かつのはそこだ。

だが、古いものにしがみついていたら、
どうして祝うことができるだろう?
過去に生き、死んだもののなかで生き、
生があなたに触れるのを許さないなら、
あなたは墓のなかで暮らしている。

それは薔薇の茂みが咲き終わり、しぼんでしまった花に執着し、
散った花びらばかりを集め、
新しい蕾つぼみや新しい花を恐れたり、
春を恐れたりしているようなものだ。

これが何百万もの人々、大多数の人々の状況だ。
彼らは咲き終わり、しぼんでしまった花びらにいつまでも執着し、
それを集め続けている。
彼らは記憶のなかに生きている。

彼らはそれを「郷愁ノスタルジア」と呼んでいるが、
愚かなことこのうえもない。

真の人間は郷愁などまったく抱かない。
過去はもうそこにないのだから、
けっしてあとを振り返ることがない。

彼は瞬間に生き、未来に対しては開いたままでいる。
現在は彼のものであり、
その現在ゆえに、彼は未来を受け容れることができるようになってゆく。
彼の窓は風に、雨に、太陽にいつも開かれている。
彼は広場だ。
本水中にそよ風が吹く。


人はこの瞬間に到ってはじめて神に気付く。

まず、あなたは中心においてバランスを取りはじめる。
次に、あなたは目撃者、魂に気付くようになる。
そして第三に、あなたは臨在プレゼンスに、
ある未知の神秘の臨在に、
「そよ風」に気付きはじめる。
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本文はここまでです。
以下に、感想・ご意見・質問等をコメントとして書き込めます。
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第23章の経文  http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=72650178&comm_id=4419288
トピックの先頭 http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=72810253&comm_id=4419288
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>本水中にそよ風が吹く。


>人はこの瞬間に到ってはじめて神に気付く。

>まず、あなたは中心においてバランスを取りはじめる。
>次に、あなたは目撃者、魂に気付くようになる。
>そして第三に、あなたは臨在プレゼンスに、
>ある未知の神秘の臨在に、
>「そよ風」に気付きはじめる。


そだね、そだね、そうだねわーい(嬉しい顔)
そうなってこそ、うれしいよねウッシッシ

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