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OSHOの黄金の華の秘密を読むコミュの第23章-1 6月に白い雪が舞う

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第23章 6月に白い雪が舞う

=========経文開始==========
呂祖師は言った。
四つの詩句は、気(エネルギー)の空間に精神を結晶化させる。
6月に、突然白い雪が舞う。
三更(午前0時)に、日輪がまばゆい光を放つ。
水中にそよ風が吹く。
天上をさすらいながら、受容の精神の力を食べる。
そして、さらに深い秘法のなかの秘法がある――
どこにもない国こそ、真のわが家である。

これらの詩句は神秘に満ちている。
それが意味するのは、深遠なるタオにおいて
最も重要なのは「無為の為」という語句である、
ということだ。

無為は人が形象(物質性)に巻き込まれるのを防いでくれる。
無為にして為すことで、人は鈍くうつろな状態や生気のない虚無に
沈み込むことから逃れることができる。

これまで光を巡らすことについて語ってきたのは、
外側から内なるものに働きかける、
最初の悟りの手がかりを示すためだ。
これは師を得るのを助けるためのものであり、
初歩の境地にある学人たちに向けられたものだ。

彼らは上方の関門に達するために、
下方の二つの関門を通り抜ける。
ものごとが次第に明らかになり、悟りの機縁がうかがわれると、
天は道を明らかにすることを惜しまず、
究極の真理を明かしてくれる。

弟子たちよ、これを秘密にし、努力を怠らぬようにせよ。

光を巡らすとは一般的な用語である。
修行が進むごとに、黄金の華はよりいっそう大きく開いてゆく。
だが、それよりもまだすばらしい循環がある。
これまで我々は内側にあるものに外側から働きかけてきたが、
今や中心にとどまって永遠なるものを支配する。
これまでは師を助けるための奉仕だったが、
今や師の指令を広めるのである。
こうして関係はすっかり逆転する。

この技法によってさらに精妙な領域に入って行きたければ、
まず身心を完全に統御し、完全に自由で安らかな状態に入り、
いっさいのしがらみを放下し、どんな些細なことにも心をとめず、
天上のこころを正しく中心に置くよう心がけなければならない。

巡る光が内なるものを照らしだすと、
ものに左右されなくなり、暗いエネルギーの動きは封じられ、
黄金の華が集中的に照らすようになる。
これが凝縮した極の光である。
同類のものは互いに引き合う。
したがって、極性を帯びた深淵の光は上昇する。
それはもはや深淵の光であるだけではなく、
創造的な光が創造的な光に出会うことだ。

この二つの実体が出会うと、
それらは固く結ばれて離れなくなり、尽きることのない生命が発現する。
それはおのずと根元の気(エネルギー)の宮のなかを去来し、
浮き沈みをくり返す。
人は光輝く無限なるものを目のあたりにする。
全身が軽やかになり、今にも飛びそうになる。
「雲が千の山々にかかる」と呼ばれる状態である。

それはあちこちを軽やかに去来し、覚知しえぬほど静かに浮沈する。
脈拍は穏やかになり、呼吸は止まる。
これが真の創造的な交合の瞬間であり、
「月が無数の水面を吸引する」と呼ばれる状態である。

この暗黒の只なかに、突然、天上のこころが動きはじめる。
これが一陽来復であり、新しい生命が兆すときである。

========= 経文終了 ==========

コメント(8)

ある王に三人の息子があった。
息子たちのうち誰が将来王国を治めるにふさわしいか、
適正を調べたいと思った王は、風変わりなテストを思いついた。
王は息子たちに弓と矢をもってついてくるよう命じると、
馬に乗って田舎に出かけていった。
広々とした畑のそばの道端で馬を止めた王は、
すぐに射落とせるほど近くの樹の枝にとまっている禿鷹を指さした。

「おまえにあの禿鷹を射落としてもらいたい」と
王は長男に向かって言った。
「だがその前に、何がおまえの目にとまるか言ってごらん」

王子は怪訝な顔をして答えた。
「えーっと、見えるのは草や雲や空や川や樹や……」

「もうよい!」と王は言い、次男に弓矢を構えるよう合図した。
まさに矢が放たれようとしたそのとき、王は再び言った。
「その前に、何がおまえの目にとまるか言ってごらん」

「私には馬、大地、麦畑、それに禿鷹が
 とまっている朽ち果てた老木が見えます」
と次男は答えた。

「もういい、弓矢を納めなさい」と言って、三男の方を向き、
禿鷹を射るように命じたが、再び同じ質問をくり返した。
「まずおまえには何が見えるかね?」

三男は矢をつがえ、弓をぴんと引きしぼると、
獲物から一瞬も目を離さずに、落ち着いた口調で答えた。
「見えるのは翼のつけ根だけです……」
若者はそう言って矢を放った。
禿鷹は地面にころがり落ちた。
この三番目の息子が王になった。

王国は集中力をもって働きかけることのできる者が治めるものだが、
内なる王国となればなおさらのことだ。

方向、目標、明晰なヴィジョンをもって生きてゆくことで、
あなたのエネルギーは結晶化する。
目標というのはたんなる口実にすぎない。
方向というのはたんなる方便にすぎない。

ふつうあなたの注意力はばらばらに四散していて、
ある部分はこちらへ行こうとし、別の部分はあちらへ行こうとしている。
ふつうあなたは複数であり、群集であり、
あなたの存在の断片が絶えず他の断片とせめぎ合っている。

そのあなたが
どうしてこの世で何かを達成しうるだろう?
どうして充実感を味わうことができるだろう?
あなたの生涯がとことん惨めなものになり、
その一生が悲劇に他ならないものになってしまったとしても、
驚くべきことではない。

あなた以外の誰にも責任はない。

あなたには無尽蔵のエネルギーがあるが、
そのエネルギーでさえ無駄に費やされることがある。
あなたの断片の一つ一つが一種の内戦状態にあれば、
価値あることは何一つ成し遂げられない――
神に関しては言うまでもないし、真理に関しては言うまでもない。

あなたは価値あることを何一つ成し遂げられないだろう。

なぜなら、内側のものであれ外側のものであれ、
何かを実現するためには必ず一つのことが求められるからだ。

つまり、あなたは一つになっていなければならない――
あなたのエネルギーが余さずワークに注ぎ込まれ、
あなたの全エネルギーが一つの問いと化すことができるように。
あなたはたくさんの問いを抱えているが、そのすべての問いが一丸となり、
あなたの内にただ一つの問いを生み出さないかぎり、
それは役に立たない。

あなたの生が一つの問いと化し、一つの方向をもてば、
それは成就に向けて動きはじめる。

そうなればそれは結晶化する。
結晶化とは、
あなたがゆっくりと一つにまとまってゆくこと、
あなたの内側にすこしずつ<個>が現れてくることを意味している。

そして真理の究極の実現とは、
あなたの実存のなかに究極の統合が実現されることだ。

「神」という言葉はそれを指している。
天国のどこかであなたを待っている神などいない。
神はあなたの内側で待っているが、
あなたが一つであってはじめて彼を見いだすことができる。

一なるものだけが一なるものを見いだせるからだ。

偉大な神秘家プロティノスの有名な言葉を思い出しなさい
――"一者から一者への飛翔"

まずあなたは独りにならなければいけない。

昨日、私がアムリットに言っていたのはそのことだ。
独りになりなさい、と。
独り(アローン)とは、
すべてが一つオール・ワンになることだ。

散逸が一切なくなるので、
この独りあること、あるいはすべてが一つの状態、この内なる統合は
無尽の力を解き放つ。
あなたは漏れなくなる。

凡人というのはあちこちに穴が開き、
至るところから漏れている素焼きの瓶かめのようなものだ。
いくら水を入れても入れても、どんどんからになってゆく。
いくら努力をしてもかいがない。
まず穴をふさがなければならない。

人生は一つになるための大いなる機会なのだととらえなさい。

いったん一つの方向に進みはじめたら、
あなたは自分を一つにまとめることができる。
あなたのなかで何かが落ち着きはじめる。
中心が生まれ、その中心が神への扉となる。

これらの経文にはこのうえもない価値がある。
それはまたひじょうに神秘的でもある。

というのも、真理を分かち合いはじめるときには、
詩や寓話や神秘の言語を用いなければならないからだ。
そうするより他にない。
数学の言語は適切ではない。
人は喩(たと)えを多く用いなければならない。

経文に入ってゆくまえに、この小さな話に耳を傾けなさい。

偉大な禅師である南泉はひじょうに歳老いていたが、
法を継ぐ者が現れるのを待ち続けていた。
実際、彼にはいつでも肉体を離れる用意ができていたが、
彼が得たものをすべて伝え、鍵をわたせるように、
ただひたすら法を継ぐ者が現れるのを待ち続けていた。

彼にはたくさんの弟子たちがいたから、それはとても奇妙に思える。
彼には何千人もの弟子がいた。
なぜ彼は何千人もの弟子たちのひとりに
鍵をわたすことができなかったのだろう?
彼のまわりにはすぐれた学者たちがいた
――きわめて技量があり、論理を巧みに使いこなし、弁舌に優れ、
知識が豊かな学者たちが。

だが、彼は待たなければならなかった。

これらの人々は論理は理解できたが、
愛を理解することはできなかった。
そして、愛はまったく異なる言語を話す。

これらの人々は数学を理解することはできたが、
隠喩(メタファー)の言葉はまるで理解することができなかった。
これらの人々は散文を理解することにかけては申し分なかったが、
詩の神秘にこころを開くことができなかった。

だから彼は待たねばならなかった。

彼は病んだ老躯(ろうく)を私室のベッドに横たえ、
古びた肉体にかろうじてとどまっているという状態だった。

法を継ぐ趙州(じょうしゅう)が部屋に入ってくるのを
南泉がはじめて目にしたのはその日のことだった。

彼はさっそうと現れ……言葉はひとことも発せられなかった。
師もしゃべらなければ、のちに弟子となる趙州もしゃべらない。
彼はよそものだったが、その部屋に入るときの仕草だけで充分だった。

師は彼に尋ねた。
「おまえはどこから来たのか?」

師はもう何日も口を開いていなかった。
高齢の師の病は重かった。
彼はひたすら気力を蓄えておくために、話すことさえしなかった。
何日も過ぎて、彼が趙州に話しかけた最初の言葉が
「おまえはどこから来たのか?」だった。

趙州は言った。「瑞像(ずいぞう)院から参りました」。
瑞像とは"至福の姿"という意味だ。

南泉は笑いながら――彼はもう何か月も笑ったことがなかった――尋ねた。
「おまえは至福の姿を見たことがあるかね?」

趙州は言った。
「至福の姿は見たことがありませんが、
 横たわる仏は拝見したことがあります」

ここで南泉は立ちあがった
――彼はこの一年近く、床から出たことがなかった。
そこで南泉は立ちあがり、尋ねた。
「おまえにはすでに師があるかね?」

趙州は答えた「ええ、ございます」

南泉は尋ねた。「おまえの師匠は誰だ?」
病気がすっかり消え失せてしまい、再び若返ったかのようだった。
彼の声ははっきりとして、若々しく、溌剌として、生気に満ちていた。
「おまえの師匠は誰だね?」

趙州は笑いながら言った。
「冬の寒さも峠を越えましたが、まだ寒い日が続きます。
 どうか師よ、お身体を大切になさってください」

まさに絶妙の表現だった。
南泉は言った。
「これで私も安らかに死んでゆける。
 私の言葉が通じる者がやってきた。
 表面ではなく深みで出会うことのできる者がやってきた」

趙州は言った。
「師よ、お身体を大切になさってください」
ただそう言っただけで、師弟の絆が結ばれた。

そして趙州が
「冬の寒さも峠を越えましたが、まだ寒い日が続きます。
 どうか師よ、お身体を大切になさってください」と言うとき、
彼はどのように喩(たと)えを使えばいいかを知っている。

彼は詩というものを知っている。
そして彼は愛というものを知っている。
だから彼は言った。
「どうか師よ、お身体を大切になさってください。
 どうか横になってください。
 床から飛び起きる必要はありません。
 あなたが私の師です!
 私はまだ至福に出会ったことはありませんが、仏を拝見しました」

師は弟子を認め、弟子は師を認めた
――ほんの一瞬のあいだに。
何が起こったのだろう?

起こったことは言葉を超えているが、
それでもそのことを、少なくともそのことを
言葉で語らなければならない。
少なくともこの物語を言葉で伝えなければならない。
他に方法はない。

これらの呂祖師の言葉はひじょうに神秘的だ。
深い愛に満ち、共感できるこころハートをもって
理解しようとしてみなさい。

聴き方には二つある。

一つは内側で絶えずあら探しをして、とやかく口をはさみ、
ものの善し悪しを決め、
それが自分に合致するかどうか、自分の知識に適合するかどうかを判定している

批評家の聞き方だ。
批評家は絶えずものを比べて、品定めをしている。
それはこれらの美しい経文を理解するにふさわしい態度ではない。
これらの経文は批評の好きな人の手にはおえない。

これらは共鳴できる力をそなえている人、
あるいは、さらに言うなら
感情を分かち合うことができる人、
波長を合わせることができる人、
こころを開き、全一に耳を傾けることができる人
にのみ開かれている。

そうすれば肉体の心臓ハートだけでなく、
深いところに隠されている霊的なこころ(ハート)までもが
揺り動かされる。
======================================================================
本文はここまでです。
以下に、感想・ご意見・質問等をコメントとして書き込めます。
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新しい時代の幕開けに、おめでとうexclamation ×2
気づきの世界で、新しい地球が始まりました。
あるサイトを見て、強烈に、そういう波動がやってきました。
そのサイトの人は、ごく普通の主婦のかたですが、
その人を通して、そう感じました。
これは、私という個人からの、確認です。

みなそれぞれ、自分の内側に答えはやってきます。
新しい流れを楽しんでいきましょう。
ありがとうございますハート達(複数ハート)わーい(嬉しい顔)

また、あした、コメント入れます。
では、ありがとうございま〜す。
すべての存在に感謝です
波波波
>人生は一つになるための大いなる機会なのだととらえなさい。

>いったん一つの方向に進みはじめたら、
>あなたは自分を一つにまとめることができる。
>あなたのなかで何かが落ち着きはじめる。
>中心が生まれ、その中心が神への扉となる。

話しが多少、脱線するけれど、
もう20年も30年も前だけど、
自分の右脳と左脳のつなぎが、わるいなぁと、
気になっていたときがあった。
うまくつながっていないのが、気がかりだったのだ。

右脳に入っているときは、言葉がはなせないけれど、
瞑想や愛の状態にはいるのは、とても簡単な気がした。
左脳に入っているときは、理路整然と言葉が流れたけれど、
瞑想の状態には、はいれないようだった。

それで、左脳さんには、瞑想の体験がないゆえ、
うまく、言葉で伝えられないようだ。
右脳さんは瞑想体験があるんだけれど、
言葉がないゆえに、かたれないことをくやしいがっていた。

今も、完全につながったとは、思ってないけれど、
当時より、かなりマシになったようにおもう。
それに、かたりたいという思いがなくなったことも、
とてもおおきいかなぁ。。。

つづくと、かいておくねペンギン
ハートは、超えたものを感じるマドグチだけど、
ハートにはいると、それを何もかたれない。

マインドは、超えたものを理解できないゆえに、
それをかたれない。たんに過去から判断して推理するだけ。

しかたがない。
もう一度、マインドを優先して、人生を試していこう。
それで、そういうことに、20年以上かかってしまった。

私のマインドには、人に認められたいという病があるので、
そのマインドから、抜け出すのが大変だったという遠い記憶がある。

マインドとハートをつなぐ必要が、私にはあった。
やはり、どうしても、
時間のストップした、今ここという体験を、
だれかに伝えたかったためです。

マインドで、人生をまた最体験しているうちに、
この世の人生とは、ちがう、いろんな人生の感覚が思い出される。

それと同時に、日本人の集合意識、集合無意識が、
だんだん理解できるようになってきた。
(といっても、20年のさいごの、ほんの数年でだけど。)

以前は、わからなかったので、コミュニケーションに
長いこと悩んでた。

私は、自分という小さな個の体験から、
私たちという集合意識を体験した感じがする。

そうやって、意識を広げていき、
どこまでも、どこまでも、広げていき、
さいごには、根源意識に、帰るんだなぁと、かんじる。

その道は、永久といえるほど、永遠。
これからも、気楽にいこうわーい(嬉しい顔)

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