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OSHOの黄金の華の秘密を読むコミュの第21章-2 確証の体験

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さて、経文だ――


本呂祖師は言った。
本
本ところで、点検できる確証の体験が三つある。
本
本その第一は、瞑想の状態に入ったときに神々が谷間にいるという体験である。
本人々の話し声が数百歩も離れたところから響いてくるように聞こえ、
本そのひとつひとつがひじょうに鮮明である。
本だが、その音はすべて谷間でこだまが反響するように聞こえる。
本いつも聞くことができるのだが、自分自身の声はけっして聞こえない。
本これが「神々が谷間にいる」といわれる体験である。


呂祖は、三つの確かな手応えのあるしるしについて語っている。

彼は最初のしるしを「神々が谷間にいる」と表現している。
歩んでゆく者たちは
――あなたがたはみな瞑想に向かって歩んでいる
――この奇妙だがとてつもなく美しい空間に出くわすことになる。

瞑想があなたの内側で結晶しはじめた最初のしるしは
「神々が谷間にいる」と述べられている体験だ。

この隠喩(メタファー)は何を意味しているのだろう?
それは瞑想があなたのなかで起こりはじめると、
たちまち全存在が谷間となり、あなたは丘の頂上に立つということだ。
あなたは上昇しはじめる。

全世界が遥か遠くに見下ろせる深い谷間となり、
あなたは日の照る丘の上に坐っている。

瞑想はあなたを上昇させる
――物理的にではなく、霊的にだ。
その現象が起こるときにははっきりわかる。
それらがしるしになる。

瞑想しながら内側に入ってゆくと、突然、
あなたは自分と周囲の騒音のあいだに大きな距離が生まれているのに気づく。

あなたは雑踏マーケットプレイスの只なかに坐っているかもしれないが、
突然、自分と騒音のあいだにすきまが生まれているのに気づく。

ほんの一瞬前には、これらの騒音はほとんどあなたと一体化していた。
あなたはそのなかにあった。
今やあなたはそれらから遠ざかりつつある。

あなたの身体は前と同じようにそこにある。
山に出かける必要はない――
これは内側にある本当の山を見いだす方法だ。
これは内側にあるヒマラヤを見いだす方法だ。

あなたは深い静けさのなかへと入ってゆく。

すると、すぐそばで聞こえていた騒音が
――そこにはひどい混乱があった――
にわかに遠ざかり、後退してゆく。

外の世界はすべてこれまで通りで、何ひとつ変わっていない。
あなたは瞑想をはじめた同じ場所に坐っている。
が、瞑想が深まってゆくにつれて、それが感じられてくる。
外界の事物とのあいだに距離が生じてくるのが感じられる。

コメント(6)

本人々の話し声が数百歩も離れたところから響いてくるように聞こえ……


まるで、ふいに世界があなたから遠ざかってしまったかのようだ。
あるいはあなたが世界から遠ざかってしまったかのようだ。

だが、一つ一つの思考はきわめてはっきりとしている。
外側で語られている言葉はすべてきわめてはっきりしている。
実のところ、かつてなかったほどはっきりしている。
これが瞑想の不思議な働きだ。

あなたは無意識になってゆくのではない。
というのも、無意識のときにも騒音は消えてゆくからだ。
例えば、クロロホルムを嗅がされれば、あなたは
これと同じ現象が起こってゆくのを感じるだろう。

騒音がどんどん遠くへ遠くへ遠ざかってゆき……やがて消えてゆく。
が、あなたは無意識になってしまっている。
何ひとつはっきりと聞くことはできない。

瞑想のなかでもまったく同じことが起こるが、
違いがある――騒音がどんどん遠ざかってゆくが、
ひとつひとつの音がひじょうにはっきり聞こえてくる。
かつてなかったほどはっきりと聞こえる。

それは目撃者が生まれてきているからだ。

最初はあなたも騒音の一部と化していた。
あなたは騒音のなかに失われていた。

今やあなたは目撃者、観察者であり、あまりに静かなので、
あらゆるものをありありと鮮明に見ることができる。
騒音は遠くにあるが、かつてなかったほど鮮明にはっきり聞こえてくる。

瞑想しながら音楽を聴いていると、これが起こる。
まず音楽が遠ざかってゆくのが感じられる。
続いて、それと同時に、ひとつひとつの音が
かつてなかったほど鮮明にはっきり聞こえてくる。

以前は、音と音が混ざり合い、互いに重なり合っていた。
今や、ひとつひとつの音がみな原子のようにきわだっている。

ひとつひとつの音が分離している。


本人々の話し声が数百歩も離れたところから響いてくるように聞こえ、
本そのひとつひとつがひじょうに鮮明である。
本だが、その音は すべて谷間でこだまが反響するように聞こえる。


そして、三つめのことが感じられる。
音が直接ではなく、間接的に聞こえてくる。
まるで音そのものではなく、こだまのように。

音はだんだん希薄になり、その実体が失われる。
音はだんだん実質をなくし、その物質性が消える。
それらはもはや重くなく、軽い。

その重力のなさを感じることができる
――それはこだまのようだ。

全存在がこだまのようになる。

ヒンドゥー教の神秘家たちが世界を「マーヤ」
――まぼろし――と呼ぶのはそのためだ。

「まぼろし」とは非現実という意味ではなく、
たんに影やこだまに似ているということだ。
それは実在しないという意味ではなく、
たんに夢に似ているということだ。
影のようであり、夢のようであり、
こだまのようだ――そのように感じられる。
それらが現実だとは感じられない。

全存在が夢と化し、ひじょうに鮮明にくっきりと見えるのは、
あなたが目を見張っているからだ。
夢まぼろしのようなのは、あなたが目を見張っているからだ。

最初、あなたは夢のなかに我を忘れていた
――注意を怠り、これが現実だと考えていた。

あなたは自分の想念マインドに同一化していた。
今はもう想念に同一化することなく、
分離した実体があなたのなかに生まれている
――それが注意深く見守る状態、サクシだ。


本いつも聞くことができるのだが、自分自身の声はけっして聞こえない。


そして四つめのことが感じられる。

あなたはまわりにあるすべてのものを聞くことができる
――人々が話したり、歩いたりしている。
子供たちが笑っている。
誰かが泣いている。
鳥が鳴き、車が通り過ぎる。飛行機や汽車……
あなたはあらゆる音を聞くことができる。

が、ただひとつ例外がある――
あなたは自分自身の声を聞くことができない。
あなたは完全に消えてしまっている。

あなたは空(から)であり、ひとつのスブーティになりつつある。
あなたはもぬけのからだ。
あなたはひとつの実体として自分自身を感じることができない。

あらゆる騒音がそこにあるのに、
あなたの内なる騒音だけは消えている。

ふつうは外界よりも内界のほうが騒々しい。
本当の混乱はあなたの内側にある。
本当の狂気はそこにある。

そして、外側の狂気と内側の狂気が出会うとき、地獄が生み出される。

外側の狂気は続いてゆく。
それはあなたがつくりだしたわけではないから、
消し去ることはできないが、内なる狂気は簡単に消し去ることができる。

それはあなたの手の内にある。
内なる狂気が消えてしまえば、外なる狂気は実体を失う。

それは現実感をすっかり失って、幻になる。

自分の古い声は見つからない。
内側に思考が湧いてこないので、音がない。
これが「神々が谷間にいる」と呼ばれる体験だ。
あなたはからっぽになっている。
あらゆるものが谷の底深くに沈んでゆき、
聞こえてくるのはこだまだけだ。

そして、こだまが聞こえてきても、
あなたはけっして影響を受けることがない。

先日、狂った男がアヌラーダを強姦しようとした。
男は強姦未遂でつかまった。
私は、彼女がその事件に影響されたかどうか確かめようとアヌラーダを呼んだ。

ひじょうに嬉しいことに、
彼女はまったく影響されていなかった。
事件はまったく尾を引いていなかった。

瞑想のなかへと成長することの美しさがそこにある。
たとえ殺されても、あなたは影響を受けないままでいる。

さあ、彼女を強姦しようとするのは残忍なことだ。
ひとりのインド人が強姦しようとした。
これがインドの真の姿であることをモラジ・デサイに知らせてやろう。
そして事件はこれ一件だけではない。
それはありふれた出来事になりつつある。
私のサニヤシンが外を歩くのはひじょうに危なくなっている。

この醜いインドは私のインドではない。
この醜いインドはモラジ・デサイやシャラン・シンやアドヴァニや
その一党に属している。
私はこの醜いインドとはまったく関係がない。

だが、もうひとつのインドがある。
覚者ブッダたちのインド、永遠のインドだ。
私はその一部だ。あなたがたはその一部だ。

実のところ、瞑想が起こっている場所ならどこでも、
その人はこの永遠のインドの一部になる。

その永遠のインドは地理的なものではなく、霊的な空間だ。
その永遠のインドの一部になることがサニヤシンになることだ。

私は嬉しかった。
このうえもなく嬉しかった。

アヌラーダを見ると、彼女はまったく影響されていないし、
恐怖のかけらすらなく、何もなかった
――まるで何事もなかったかのように、
まるでその企ては夢のなかで行なわれたかのように。
人はこのようにしてゆっくり瞑想のなかへ成長してゆく。

あらゆるものが実体を失ってゆく。
人はあらゆるものを見ることができる。

彼女は応戦した。
彼女は勇気があり、どうどうとしていた。
彼女は為すべきことはすべてやった。
彼女は屈服しなかった
――が、内なる意識は影響を受けていなかった。
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本文はここまでです。
以下に、感想・ご意見・質問等をコメントとして書き込めます。
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確証の体験ですけど、いまいち、興味は、もうわかないですぅ。
以前、何かの、きっかけで、悟ってしまった方々は、
その後、どのように生きているのだろうと、疑問におもったことがあった。

エンライトしてしまったら、それで終わりじゃないよね。
そのあとの話はどうなんだろうと、疑問におもっていたことがあった。

白隠を例にとれば、小悟が何回、大悟が何回なんて、書かれてあって、
それを読んで、おもわず、ハァ〜って、ため息がでそうになった。

ということは、想念や雑念に囚われていることも、
何度もあるということですよね。
それで、大悟徹底、悟後の修業なんて、言葉がある。

波波波

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