ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

DrスワンプコミュのHOWLIN'WOLF

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
人の一生って、良い時もあり、悪い時もありで、
それぞれだと思うんだよね。
だから、時には弱っちくなって、ヘナヘナになる時もあったり
だから、誰かそばにいてほしい時もあるわけで。
それは、男のほうがもしかしたら、ありがち、なのかもしれない。
けっこう、女は強し、母は強し、なんて言われますが。
男はけっこう永遠の子供で、結局甘えん坊なのかもしれませんね。
何かがあると、ポキっと折れてしまいがちなのが
男、なのかもしれません。


さて。
今回は、スワンプじゃないんだけど、スワンプロックに
強い影響を与えた男、ハウリン・ウルフを取り上げてみます。

ブルースマンとしては、もはやマディ・ウォーターズなど
に並ぶ巨頭というか、憧れのヒーロー的存在なんだけど、
デビューは41歳、かなりの遅咲きだと思います。

それまでは、ライブハウスを回りながら、様々な仕事についたことは
想像に難くありません。
以前、ビートたけしの番組に出た日本のブルースマンたちは
やはり、想像を絶するというか、想像通りというか
貧困を余儀なくされてきたことを語ったりしていました。
憂歌団と近藤房之助さんでした。
ブルースは本来そういう環境から生まれてきたのだ、
ということもあるでしょうが、好きなミュージシャンは
やはり売れてほしい。
長続きする貧困からは良い歌は出てこない、と思う。


さて、ウルフはデビューしたチェスレコードで、亡くなるまでレコードを
出し続けました。
ちなみに、彼は1910年ミシシッピ州ウエストポイント生まれで、
1951年デビューとなっています。

その頃はロックの黎明期。
そもそもロックはブルースのリズムを8ビートに
乗せたことから始まったわけなのです。
しかし、ハートブレイクホテルに代表されるブルースロックは
原点であるブルースをより白人、他の多くの音楽ファンに
わかりやすく演奏されているので、ミュージシャンからは
やはりブルースへの憧れは尽きぬ、という感じだったのでしょうか。


69年に、レット・イット・ブリードを出して
ブルース、それもかなりのスワンプミュージックに寄ってきた
ローリング・ストーンズのメンバーも大のウルフファンでした。

彼らはデビュー曲「テルミー」の次、大ヒット作
「アイキャンゲットノーサティスファクション」の前に
ハウリン・ウルフの「リトル・レッド・ルースター」をカバー
しています。
ちなみに、クリーム(これはクラプトンの趣味だね)も
彼の作品「スプーンフル」、「スモーキースタックライティング」
をやってます。これらは、当然日本に飛び火して、かの
ゴールデンカップスが、クリームのカバーとしてやってますよね。
僕的には、カップスのほうが、クリームより「ロイク(=黒い)」
だと思ってますけどね。
後に、クラプトンは、やっぱりスワンプミュージシャンで
スワンプの功労者、デラニー&ボニーのプロデュースで
ファーストソロをドカンとかましました。
その後は、ご存じ、JJ・ケールが楽曲提供して、
あの名作「コカイン」が生まれました。

さてさて、ジェフ・ベックも、アルバム「トゥールス」で
ウルフの「アイエイントスーパスティシャス」をやってます。
これなんか、もうかなりロイクですよ、ホント。
この辺は、ボーカルにロッド・スチュアートが入っていたりして
僕も大好きなんですが。

特に、この後からベックは、スワンプのキング、ドン・ニックス
が楽曲提供し、ずっぽりカンチャン待ち(あ、麻雀ネタでした。ははは)
いえいえ、ずぶずぶにスワンプの泥沼にハマっていきます。
「黒猫の叫び」「ゴーイングダウン」など、ヒットソングは
バシバシ出てきます。


そうなんです。


全ての始まりは、彼、ハウリン・ウルフだったのです。

1970年代初頭になると、ウルフの音楽活動も
やや、というかもはや精彩を欠いてきました。

当然かもしれません。ウルフは60歳。

アメリカには日本のような年金制度はなく、
全て老後も自分で生計を立てなければなりません。

どこからか、噂が流れてきました。

ウルフは、最近音楽をやってないそうだ。
レストランで皿洗いをしながら、日々の生活を送っているみたいだぞ。

耳を疑います。

アメリカにおける黒人の扱い。有色人種への偏見は
想像以上であることは理解いただけるでしょう。
特に、ウルフの生活しているメンフィス、シカゴあたりの
アメリカ南部は古い考え方がこびりついています。
この噂は、遠くロンドンにも流れてきました。
それに強く反応した男がいます。
現在はローリング・ストーンズから脱退して
実業家になった寡黙なベーシスト、ビル・ワイマンでした。

ビルは、ストーンズの全米ツアーの時に彼を訪ねています。
その時に、どんな話が出たのかは知りませんが、
突如としてウルフはロンドンに渡りました。
つまりヒーローは、奇跡の復活を遂げたわけなのです。
それも、ウルフが大好きな、尊敬してやまないロンドンの
ミュージシャン達によって、完全に蘇りました。

さーーて、前置きが長くなりました。
今回のアルバムは、ずばり
「THE LONDON HOWLIN’WOLF SESSIONS」
1971年リリースの、もう虎の子の1枚、無人島に持っていくなら
これ!ってやつです。(日本では1974年リリース)



ビル・ワイマンの声かけに集まってきたロンドンのミュージシャン達。
もはやクリームのギタリストという枠からはみ出して
アルバム「スローハンド」をリリースしたばかりのエリック・クラプトン
ブラインドフェイス後、トラフィックで活躍中の、スティーヴ・ウィンウッド
そして、ストーンズの鉄壁なリズムセクション、ビル・ワイマン、
チャーリー・ワッツ。

さらに、ブルースピアノをストーンズに持ち込んだ
ストーンズ第6人目の男、イアン・スチュアート。
彼の没後ミック・ジャガーは、1989年のインタビューで
こう言ってます。
ストーンズをここまで持ってこれたのは、ブルースの道を
踏み外させなかったスチュとブライアンのおかげだと。
イアン・スチュアートは、4曲もうバリバリに弾いてくれてます。

そして、クレジットでは「リッキー」こと、リンゴ・スター。
サポートベースには、プラスティックオノバンドのクラウス・ボウマン。
彼ら二人は、もうあの(!)
アイエイントスーパースティシャスをやってくれてます。
これを聞いたとき、全身がエクスタシーで痺れました。本当に・・・!
あとは、ピアノで1曲だけ、ジョン・サイモン!が入ってました!
たはっ!これはもはや、神のみぞ知る奇跡?

ハウリン、と言われるだけあって、叫ぶような絞り出すような
声で歌、というより語りかけるように歌うウルフの
最高の1枚であることは間違いありませんね。



1976年、70年頃にあった交通事故の後遺症がもとで
彼はイリノイ州、ハインズで永眠しました。
享年、66歳。
ミュージシャンが短命であるという割には生き抜いたのかもしれませんが。
彼の残した子供たちは、今も世界を駆け巡っています。

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

Drスワンプ 更新情報

Drスワンプのメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング