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DrスワンプコミュのGene Clark

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デイビッド・クロスビーときたら、グラハム・ナッシュが来るかな、
と思っていた全国12人のDrスワンプ会員の皆様。
大いに、期待を裏切って、はい!
次は、ジーン・クラーク行っちゃいます。

まあ、順番なんてどうでもいいっちゃいいのですが。
誰をやるかについては、その時の気分やら何やらも影響してまして。

これは何でかというと。

さて、何をやるかな、と片づけをしていたら、山積みになった
CDの山が崩れてきて、あわやeggman生き埋めに・・・・
なりそうになったところ、ふと手につかんだのが、何年か前に
名古屋高島屋11階のレコード屋でまだルーツロックに命を
燃やしていたKさんが担当だった時に、彼の強烈なプッシュで
ついつい購入したものでした。

まったく予備知識がない中で、僕はけっこう人のお勧めとかを
完全に鵜呑みにして買うことも少なくないのです。
で、どうかというと、大外しの時もあります。
でも、やったーー!大当たりって時もあります。
じゃ、博打みたいでそんじゃん、と思うでしょ?

でも、10枚買って、そのうち1枚がよかったら
僕はそれで、10枚分の満足を得られるのです。

かのデジャブがそうだったように。
デジャブはいいけど、デイビッド・クロスビーの
「Cut My hair」がとても嫌いでした。
なんだかよくわかんないし、曲としても手抜きだ、
と思っていました。
けど、今はとても大好きな歌のひとつです。
詞の意味も理解しました。

価値観なんて、時代と空気とその他色々な外的要因で
常に変化していきます。

10代では理解不能だったけど、20年、30年経過したら
嘘のようにわかりあえるようになってきた、ということ。

残りの9枚も突然大好きに変わるかもしれません。
なぜならば、スワンプロックだからです。

て、感じで、常に求め続けているわけです。

さて。

ご存じ、バーズのメンバーの中でもソングライティングにかけて
ジーン・クラークに勝るものはいないでしょう。
てことで、バーズ繋がりでした。

1941年ミズーリ州ティプトン生まれということは、今年68歳ということなのだけど。残念ながら故人となってしまいました。
やっぱり、ロッカーというものは短命だね・・・

あまり資料もないので彼の氏素性なども書いてられないのだが。
まあ、書く必要もないかもしれないが。

バーズでの活躍は広く知られるところだが、ここでもやはり
確執が伴うことになります。

バーズの大ヒット曲は、1965年の「ミスタータンバリンマン」なのですが。
今までずっと、ほとんどの曲をジーンが書いていたのだが、
(デビューアルバムは11曲中7曲がジーンの作)この曲だけ、
言わずと知れたボブ・ディラン作なのです。
しかし、デビュー2年目で転機はやってきました。
この「ミスタータンバリンマン」が大ヒットするわけです。
たまに映像(白黒だけど)を見ることがあるが、マッシュルーム頭で
なんだかね、まんまビートルズ?って感じのバンドなんですが。
ただ、当のビートルズは65年、12月にはクリスマス商戦用の
アルバム「ラバーソウル」を完成させています。
これは、もうご存知ですが、ノルウェーの森、ドライブマイカー
ノーウェアマン、ミッシェルなど、珠玉作満載で、もうあの
デビュー当時の面影はまったく無くなって、かなり4トラックマルチで
実験的なことをやっていたのです。
この時代、それほどまでに、イギリスとアメリカの格差ができていたわけで。
ただ、ビートルズも、アメリカのブルースに憧れていたし
そのビートルズも、アメリカの若いバンドに憧れられてきたわけです。

実は、「ミスタータンバリンマン」のボーカルはロジャー・マッギンが
取っていたため、ジーン・クラークの存在自体がかなり薄くなっていきました。
バーズのソングライターとして、ボーカルとしてスポットライトを
浴びていたはずが、このメガヒット曲のために、
日陰を余儀なくされてしまったのです。
以来、ボーカルはロジャー・マッギンという路線が敷かれました。
あのマッシュルーム頭に遠近両用眼鏡みたいなサングラスの
兄ちゃんです。

脱退は、1966年あたり。翌年に、ソロワークのアルバムを出し、
この「ジーン・クラーク」(通称ホワイト・ライト)を挙げたのは
そのもっと後、1971年でした。

ジーンはLAスワンプの真っただ中にいて、現地のミュージシャン
との交流もかなり濃いものがあったことは想像に難くありません。

本作のプロデュースは、LAスワンプシーンの大御所、
ジェシー・エド・デイビスだから、とかね。

全体の感じは、バーズにあるようなエレクトリックサウンドではなくて
かたくなまでに、アコースティックにこだわっていて
そこに、ジェシーのねちっこいギターが絡む、おそろしく
湿気むんむん、スワンプ(沼、という意味もある)の王道、どっぷり
な作品に仕上がっています。

湿気、という点で、日本スワンプと共通点があり、南部の
カラカラなスワンプに比べるととてもいい湿り気があります。

基本的にはアコースティックギターがメインで、結局ジーンは
そういうアメリカのルーツロックに惹かれていたんだということが
良くわかります。

1曲目、ヴァージンなどもアコースティックギターの
アルペジオ、スリーフィンガーからはじまって
歌が、ベースが、ドラムが入っていきます。
なんとも、吉田拓郎みたいな、チト河内みたいな、六文銭みたいな
いやいや、それらはここら辺を見て育ったわけだから
逆なんだろうけど。
因縁のボブ・ディランの曲を1曲やっています。
ティアーズ・オブ・レイジがそれで、これは、まあ、ご存じ
でしょうが、ザ・バンドのファースト「ミュージックフロム
ビックピンク」に収録されています。
ジーンのバージョンのほうがなんとなく、あっさりしていて
僕は好きです。
アコースティックギターのストロークにベース、ドラムが絡み
ここでは、この選曲をしたジェシーのチョイスで
ピアノ(マイク・アトリー)とオルガン(ベン・シドラン)
を入れてます。
原曲とそう変わらないアレンジですが、この頼りなさげな
ジーンのボーカルがたまらなく好きです。
ジーンが突如、スワンプアルバムを出して、
それはどう評価されたのか、については
残念ながら資料がなく、ここでご披露することができません。
ただ、想像するに、彼は一度浴びたスポットライトの中で
とても疲れていて、もっと楽になりたいと考えていたように
思います。
ジーンはこのアルバムを出してから、1984年まで
ご無沙汰します。
この年に久しぶりにフルアルバムを出して、バーズ時代の
2曲をチョイスして話題となったとあります。
ただし、これは聴いてないのでなんとも言えません。
2曲のうちひとつは、例のロジャー・マッギンがボーカルを
取った「ミスタータンバリンマン」ですから。
彼も44歳、ここで再生を狙った感があります。
興業的にもどうだったか資料はないのですが、おそらく
大成功というわけではなかったと思います。
この後、何枚かアルバムを出し、あるいは他のミュージシャン
の楽曲に参加するのですが、1991年5月24日に、心臓発作で
亡くなります。享年50歳。
それにしても、早すぎます。
これから、何かをやろうという意気込みも感じる、この時期に
すでに彼は世を去ってしまったわけです。
どうも、ドラッグもやっているように思えず、
昨今、ダン・ペンやら、ドニー・フリッツ、
トニー・ジョー・ホワイトらが新しくアルバムを発表して
それらが、もうなんという変わらなさ、的なスワンプアルバム
だったりするなかで、ジーン・クラークの突然の死による
貴重な才能の損失を悔やんで止みません。
いや、失礼だったかな。ご遺族の方々には。

良いお父さんだったと思うし。

そんな思いを込めて、このホワイト・ライトを聞くと
さらに70年代の幕開けと共に意気揚々と
歌いだした彼の笑顔をダブらせてしまうのです。

コメント(4)

ついにきましたね〜ジーンクラークハートNO OTHERのアルバムも好きですが 愛するジェシとのホワイトライトは名盤ですね!今日はドニーフリッツ!デビッドフットにも会えますし楽しんできまーすハート
多分、食いつくと思いました。(笑)
だって、ジェシだしね。
けっこう日本っぽいなあというのが僕の最初に聞いた感想です。
それは、逆の意味で、拓郎や陽水のプロデュースをしていた
チト河内(六文銭〜トランザム)、星勝あたりがかなり影響を
うけていたということなんでしょうね。
バーズの1stに2nd、すごくいい曲書いてますよね。

「ホワイトライト」…また聴かなくてはあせあせ(飛び散る汗)
やっぱ、いつ聴いてもいいよね・・・

僕は歌い上げるタイプより、こんな感じのほうが
好きなんだよね・・・

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