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Drスワンプコミュのブラックアンドブルー 極私的な解釈

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1980年の春に出会った話などは、もはや化石のまた塩漬けに
近いほどの、何の意味もない古い戯言に違いない。

ただ、音は正直でストレートだ。

僕は大学に入ってから、何をするかを考えあぐねて
バンドをやろうか、映画をやろうか、漫画を本格的にやるか
なんとなく迷っていたというか、迷っている自分を楽しんでいた
みたいなとても贅沢な時間をもてあそんでいた。

1980年は、どうやら世の中が浮かれ始める前奏曲が流れそうな
そんな雰囲気を醸し出していた。

バブルにはまだ10年早いが、みんなが遊ぶことを
考えている、といった表現があっている空気がみなぎっていた。

僕は僕自身の意に反して。
そう。それはけっこうな裏切りに近いほどの造反だったが。
美術研究会に入った。
絵は好きだったが、どうも経済学部の美術部ってどうよ
なんて、端からとうてい真面目じゃない、いいかげんな
入部だったかもしれない。
そんな細かいことは、もうとっくに忘れた。
でも、僕はデザイン、グラフィックなものに興味があって
それがあればいいかな、と少しはアカデミックな気分も
あったかもしれない。

その「美術研究会」は、水道橋の法学部、経済学部と
下高井戸にある文理学部の3部から構成されていた。
毎週、火曜日は経済学部で部門別の活動を、木曜日は
文理学部で主にヌードクロッキーをやっていた。
ちなみに、ヌードクロッキーはちゃんとプロダクションから
ヌードモデルを呼んで描くのである。
もちろん、モデルさんは全裸である。
ここで恥ずかしがってはアートではないのだ。
けっこう、真剣だよ。3分、5分、10分など時間を分けて
描くと、それはすごく力がつきます。

後に、僕は渉外をやったので、このモデルさんの手配なども
やり、その時は僕の好みのモデルさんなどを
手配したりもしたが…(笑)

彼女、美保と会ったのは、文理学部の教室だった。
胸までかかる長いストレートの黒髪が目立った子だった。
僕と違い、とても真面目な学生だった。
宇都宮の進学校を上位で卒業して、心理学をやりたくて
この大学に入ったという、それはちゃんとした目標を持って
来たようだ。
二浪で入った僕の二つ下、18歳の彼女はもうひとつの目標、
油絵を描きたくてこの「美研」に入部したようだった。

あ、油絵か・・・

もうそのあたりになると、かけらも僕の中には
なかったし、これからもおそらくない、に違いない。

やっぱり、ここにいるのは場違いかな、
と少し思いかけた。特に真面目な10代の彼女は
とても子供に見えた。

しかし。

5月も過ぎると、美保のことが頭を離れなくなり
ある朝、衝動的に僕は、経済学部の8時半からの
1コマ目のパンキョー(一般教養)を受けるのをやめ
下高井戸に向かった。
駅でしばらく待っていると、美研の同期やらが通り
なんだか、わかったような目線を送ってにやにやしながら
やり過ごしていた。
「あ。」
美保は僕を見つけて驚き、足を止めた。
「・・・・授業出るのやめるね」
美保はそういうと、商店街を抜けて、小学校の隣にある
公園へと向かった。
そこで、授業をさぼったわりにはくだらない話を1時間くらいした。
結局、その日から僕らは付き合うことになった。

彼女のアパートは、世田谷線上町から5分くらい歩いた
世田谷通りから少し入ったところにあった。

今の人には信じられないかもしれないが、電話はなく
風呂もなかった。おまけにトイレは共同である。
当然、携帯電話もないので、意思疎通は僕がやったみたいな
直接行く!っていうのが、常套手段だったかもしれない。
でも、この頃の学生は、だいたいこんな感じである。
ちなみに、僕は実家の国分寺から通学していた。

一日さぼる気になったから、それはもう気分は最高、
って感じで僕らはずっと話していた。
美保が入れたモカの湯気の向こうから、彼女の大好きな
ストーンズが流れていた。

チェリー・オー・ベイビー、メモリーモーテル、
愚か者の涙等、ストーンズの中でも、
この「ブラックアンドブルー」(1975年リリース)
はこのあたりの空気を真空パックしているようで
それぞれ細かいこと、何をやったとか、何処へ行ったとかは
とっくに忘れているのに、その時の空気感をこのアルバムから
感じるのである。
言わば、僕にとってのメモリーモーテルなわけだ。
確かに僕自身愚か者、だったしね。

美保とは、大学を出て就職して1年経ってから、別れた。

だいたい5年くらいだったが、彼女の次なる目標は
その間に達成できなかった。

それは。

ミックが、ステージで巻いた水をかぶりたい!!!
ということだった。

その頃、ポール・マッカートニーすら、大麻所持で
入国できなかったのだから、ストーンズが来日することは
夢のまた夢で、それこそ核爆弾でも作って
政府を動かすしかないわけだ。(㊟太陽を盗んだ男)


1990年、実際にローリングストーンズが来日して
東京ドームでコンサートをやった時に(あ、このチケットは
同期でマイミクのJRさんに手配してもらったのです。)
ふと、そのことを思い出した。

が、まあ、化石の塩漬けだからね。


でも、音は正直で、ストレートにその空気を運んできた。

どんなに歳を取っても、甘酸っぱいものって
けっこうあるわけだ。


と。


思った。

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