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蘇る青春・1973年銀幕放蕩記コミュの1972年2月映画館侵入事件

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往年のアメリカのホーム・ドラマに『ビーバーちゃん』というTV番組があった。ビーバーちゃんというのは小学生で多分四年生あたりだが高校生の兄ウォーリーの同級生エディにいつも馬鹿にされていてカリカリ。ある日弱虫呼ばわりされて映画館の内側から非常口を開けてエディを招き入れて捕まってしまう。

この40年前に観たドラマの衝撃は大きかったなぁ!もし無料でいいなら、それは夢だよ。

イム・ヴォンテク監督の韓国やくざ映画『将軍の息子』では凄まじいシーンがある。
どうしても映画館に入りたくて便所の汲み取り口から侵入する。もちろん映画館の中では異臭で大混乱となる…。見上げたもんだよなぁ。

あの頃ボクは馬鹿でしたの話を今日は白状したい。

高校時代は涙ぐましい努力で映画代を捻出した。
一番手っ取り早いのは昼飯を食わないことだ。朝早くジャーの中にあるご飯で握り飯を拵えてしまい、夜食に食べたことにすることで一日に180円浮かせると随分潤う。

現在難波駅前に丸井となんばTOHOシネマズになっている場所は南街劇場を中心とした映画館六館が入った南街会館があったところである。

この南街劇場は大阪一の大スクリーンを擁し、シネラマを最初に西日本で公開したのもここ。

『007ダイヤモンドは永遠に』の初日に学校帰りに出かけたが超満員で扉が閉まらないほどで入れてくれない。スゴスゴ帰るほかはないと落胆しかけたら、級友が二人やってきた。

「あかんで。満員だ」

すると見知らぬ他のクラスの奴が一人ついてきていて

「指定席やったら空いてるんやろ」

とアレヨアレヨのうちに四人分買ってしまった。

「金、ないで」
「ええよ、これくらいやったらオモッタル(奢ってあげる)よ」

生まれて初めての指定席は二階にあり、それでも混んでいたが学生服の四人連れは流石にボクタチだけだった。
この金を出してくれたS君についてはまた書くこともあるだろうが、その後二か月して、ボクは期せずして再び指定席に入ることとなるとは予想だにしないことだった。

南街会館のB1には東宝封切りのなんば東宝があった。その奥にはスパゲティ屋とかカレー屋などの店があり、その突き当たりの壁に見える場所まで行ってみると階段があった。
ボクは何か閃くものがあり、いかにも地上に上がる善良な学生を演じつつ、干涸びたカレーを水でふやかしている寸胴鍋をよけながら薄暗い階段を上がって行った。
明らかに人の通行がなく、埃っぽい階段を随分歩くと鍵のかかっていない鉄扉があり、そのときには閃きは確信に変わっていた。

鉄扉の向こうはやはり指定席のロビーの最上階の部分だった!

だが混んでいれば腹も据わるのだが、平日の午後で、しかもコケていたのね。

映画は昨年亡くなったジッロ・ポンテコルヴォ監督の『ケマダの戦い』だった。

指定席には観客ゼロ。それでも観ちゃったのは、若さとしか言い様がない。

だが気が気でなくキチンと観れなかったので四日後に正規の観客として一階で見直したのです。

あれ、見つかっていたなら補導され、親と学校に通報されて医学部どころじゃなかった。
そんな冷静な判断は後からで、大好きな映画に関する背徳性に劣情を刺激され、抑制できなかった…。

馬鹿でした。
でも後悔はしていません。

捕まらなかったから。
そんな卑しい奴なんですよ。

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