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蘇る青春・1973年銀幕放蕩記コミュの惜別の残照・10月編

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 ボクにとって生涯の1本となった『影の軍隊』の監督ジャン=ピエール・メルヴィルの訃報にショックを受け、生涯で初めてというべき1ヶ月の服喪期間を過ごしました。

何事にもイベント性を求める若者だったボクが、忌明けに選んだ作品はスペシャルなものでした。

キネマ旬報主催の試写会で白井佳夫編集長をはじめ和田 誠、渡辺武信、山田宏一、黒井和夫など常任執筆者のゲストも豪華に、この綺羅星のごとき映画を楽しんだのです。。



<『 ワーナー・ブラザース50年史 The Movies That Made Us 映画が私たちをつくった 』>

特別招待試写・朝日講堂(10/3)

 いまや版権の関係で劇場公開が出来ないWB映画50周年記念の記録映画である。キネマ旬報の読者だけを集めてホール試写会が開催され、本当に一度限りの機会となったものだ。勿論ノー・スーパー・インポーズで黎明期(サイレント)からトーキー第1作であるアル・ジョルスン主演『ジャズ・シンガー』、暗黒街ものや数々の傑作を絶妙の構成で見せる。

しかし画竜点睛を欠くと言わねばならないのは結局50周年記念映画である『メイム』の大プロモーションに繋がねばならぬという点で、『スター誕生』『YANKEE DOODLE DANDY』『ゴールドディガーズ』『カラミティ・ジェーン』『7人の愚連隊』『キャメロット』『ジプシー』『マイ・フェア・レディ』から『メイム』に連ねて終わるというのは大変に弱いフィニッシュと言わねばならない。

ジャック・L・ワーナー総指揮による『マイ・フェア・レディ』が少なくともワーナーにおけるミュージカルの横綱と格されていることが分る。

それでも意識的にモノクロ・スタンダードの古典的作品のあとに掛け声とともにスクリーンが拡がって、70ミリを謳う『メイム』のシネ・スコに変換していくとき、映画の歴史、ワーナーの歴史の重みにジンッと来たことは確かだ。

この試写会のあと、興奮したぼくは次のような内容を投稿した。


『 若い映画狂の嘆息 』(1973年キネマ旬報11月下旬号ロビィ欄より)
 10月3日のキネ旬試写会・WB50周年記念作品「映画が私たちを作った」において、渡辺武信氏がおっしゃった、日本の映画フィルム管理のズサンさについての意見に大きな共感を覚えた一人です。

僕のような若い映画愛好者にとっては、父や年上の人から聞かされる、名も知らぬ作品とてもおおきな光を放っているものなのです。僕の場合、それがキング・ヴィダーの「北西への道」であり、「ヨーク軍曹」であり、日本では「赤西蠣太」や「人情紙風船」などの古き良き時代の名作です。

夏の夜に聞かされる階段ばなしの恐怖。まさに言うならば、こう表現出来るでしょう。そのため、ムラムラと湧き上がる願望の念は、その作品を見るまでは収まることはないのです。

渡辺氏の言葉は直接僕たちの願いを言い表せた言葉でもあるのです。生まれるのが遅かったといえばそれまでなのだが。

 3D映画、スメロヴィジョン、初期の大型映画など、昔の人々を驚嘆させた見世物的形式をとった映画に我々は会うことは出来ない。

3D映画は今やポルノに息を吹き返しているが、我々はジョン・ウエイン

場末の映画館で、「西部開拓史」など継ぎ目のある場面に初めて出会い、胸をわくわくさせた想いが僕にはある。昔の人が見た同じ作品を見られる満足感。それが若い映画キチガイの病気(願望病)の良薬であると信じる。

こういっても長年映画を見ているひとたちには直接には判ってもらえないだろう。事実、僕は知り合いの42歳の人にそう訴えたときに、軽くいなされた覚えがあるのだ。

どうかお願いします。この願いは、若い映画キチガイが少なからず願っている夢であることを忘れてくださらないように。良薬どころか特効薬である可能性を秘めているのですから。

そしてこの病気の権威(お医者さん)は全国の映画館主さんたちであること。そのお医者さんに薬を配する薬品会社は映画会社そのものであることをユメユメ忘れることのないようにお願いします。

そしてお医者さんと薬品会社が共に忘れているときには、厚生省(お上の実力者)が注意を与え、最後には御自らの行いで問題の解決にあたってくれないでしょうか。パリのシネマ・テークの確実な歩みをマネることから始めても、決して遅きに失することはないと思う。

ひとりの映画パラノイアの小さな叫びである。(川崎市多摩区登戸2854第一丸高荘15・19歳・学生)

 何とも恥ずかしくて封印したくなるような、幼稚な内容です。しかし解って貰いたいこともあります。あの「ザッツ・エンタテインメント」というミュージカル・アンソロジーの傑作が製作され世に出るまでには、あと数年という年月を要するという事実を。

この頃、チャップリンは“ビバ!チャップリン”シリーズと冠されリヴァイバル公開の栄誉に浴したけれど、キートンでさえきちんとした回顧上映の機会はなく、旧作というと劣悪な16ミリの粗い画調にさえ、見られるだけでも幸運だという想いが、ファン各自が画面をレストアしながら画面に見入っていた時代なのである。

だが「映画が私たちを作った」に登場するすべての作品が素晴らしいニュー・プリントで、息をのむ美しさだったのだから、「欲しがりません、勝つまでは」みたいな感情でガマンさせられるのはゲッソリとなってしまったのです。

また興味深かったのは、ワーナーブラザーズ作品とされライン・アップに加えられている作品のなかに、日本では東和やヘラルドの配給により公開されたものが数多くあったことで、これはユニヴァーサル・スタジオ・ジャパンに行ったときに一番感心したアトラクションの一つであった「ハリウッド・モーション・ピクチャー・マジック」というユニヴァーサルの映画の歴史を扱ったものが、ユニヴァーサル作品ではないはずの映画が多く含まれていたこととダブるものです。

ちなみに掲載号・11月下旬号に掲載されているフィルム・センターの番組は“1930年代ヨーロッパ映画特集”と銘打ち、『ジェニーの家』『こわれ瓶』『舞踏会の手帖』『望郷』『美しき青春』『ブルグ劇場』『最後の一兵まで』というラインアップ。

僕もよく利用した日比谷図書館文化映画会には毎水曜午後2時より『戦艦ポチョムキン』『禁じられた遊び』という番組。もっとも日比谷図書館は無料のために浮浪者(その頃はホームレスという呼称はない)が大挙押しかけ名画の大衆化以前に、その体臭路線に苦しめられる体験を味わっていた。今となっては、これも懐かしい。



<『狼の紋章』『化石の森』『肉体犯罪海岸・ピラニアの群れ』>
名画座・登戸銀映(10/6)

 しかしどう見ても志垣太郎があの悪役・松田優作に勝てるとは思えない。志垣太郎は背も低く、きりっとした2枚目ではあるが、いかにせん松田が強烈な印象を残す。
『化石の森』といってもハンフリー・ボガートの犯罪映画ではなくてショーケン主演。なんとも詰まらない時間の浪費としか言いようのない118分だ。しかし二宮さよ子は嫌いなタイプではない。彼女の厚い唇は役柄によれば魅力的にも売れるのではないだろうか。それにしても、である。昨年来東宝が公開した映画でカネと魂が共に入っている力作が果たして何本あるというのだろうか!
この『化石の森』は詰まらないとはいえ、まだ意欲的な東宝的アプローチである。東宝といえば大ヒットしているのは勝プロ作品ばかりで、『子連れ狼』や『御用牙』が当たっているからといって全部の劇画が当たるわけじゃなく『高校生無頼控』『混血児リカ』などが製作され吉村公三郎や中平 康などのベテラン監督がいかにも不向きな企画でやっつけ仕事をしなくてはならないというのは末期的症状だ!
『恍惚の人』『赤い鳥逃げた?』『放課後』『桜の代紋』以外はどれもこれも消化番組かと思われる映画ばかりじゃないか。誰が好き好んで若者がいない映画館で映画をみる数年間を過ごした挙句、今度は若者さえ見向きもしない映画館で椅子に身体を沈めなくてはならないのか!

志垣太郎はたしか『巨人の星』の舞台化のとき星 飛雄馬を演ったのがデビューだったのではないか。松田優作は随分屈辱的な思いに耐えていたことだろう。二宮さよ子は『日本の首領』も良かったが、ボクにとっては78年4月の大阪新歌舞伎座・若山富三郎公演『石川五右衛門』における可憐な演技が忘れられない。


<『レディ・カロライン』>
試写会・銀座ガス・ホール

 『アラビアのロレンス』『ドクトル・ジバゴ』の脚本家であるロバート・ボルトの初メガフォン作品。実在の政治家ウイリアム・ラムの妻カロラインの詩人バイロンとのよろめき情事の顛末。
主役はボルト夫人である『ライアンの娘』のサラ・マイルズ。夫には実在の政治家であるためか、誠実そうな『フレンジー』のジョン・フィンチが扮しているが、浮気相手となる有名な詩人バイロンには色悪丸出しのリチャード・チェンバレン。
ボルトの信用ゆえかマーガレット・レイトン、ローレンス・オリヴィエ、ラルフ・リチャードソンなどイギリス俳優界の名だたる重鎮が出演しているのだが、その部分だけが突出した重厚さでも、演出は平凡。
サラ・マイルズにも精彩がなく、くたびれていて『ライアンの娘』がいかに演出が素晴らしかったかを思い知る。

サラ・マイルズはこの後『キャット・ダンシング』で共演したバート・レイノルズと撮影現場で不倫。ボルトと離婚するという、『レディ・カロライン』を地でいく人生を歩む。このあとロクな映画もなく、ボルト共々消えてしまった。

チェンバレンはリチャード・レスターの『三銃士』『四銃士』2部作という明るい作品もあったが、次第にこの映画のような色悪を演じることが多くなる。だが『ボーン・アイデンティティー』のテレビムーヴィーに主役を張るなど、現在に至るまで現役であることは凄い。

『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』のなかでディカプリオが医者になりすますヒントとしたのはテレビ映画の『ドクター・キルデア』だが、チェンバレンはキルデア役が出世作だった。
ヴィンセント・エドワーズ主演の脳外科医もの『ベン・ケーシー』と人気を二分していたが、ボクなどは圧倒的にケーシー派だった。ケーシーのアテレコは滝田裕介だったが、なにより宮口精二担当の指導医サム・ジャッフェの滋味が最高。
『ドクター・キルデア』のチェンバレンのアテレコはこの4月8日に亡くなった声優のヴェテラン山内雅人の出世作で、タイロン・パワーを持ち役としたひとだった。
こちらの指導医役は名優レイモンド・マッセイ。最近の『ER』や『シカゴ・ホープ』などを見ていても、医者の置かれている立場が揺れ動いていて、時代がなんという複雑な状況たるかを思い知るばかりとなっている。



<『ゴキブリ刑事』『必殺博奕打ち』『緋牡丹博徒・二代目襲名』>
名画座・新宿昭和館(10/11)

 この新宿昭和館は新作映画1本に旧作2本が組み合わされた任侠・アクション映画を中心に番組を組んでいる有名な名画座だ。しかし今日の『必殺博奕打ち』はいかんせんボロボロすぎる。赤茶けた画面は東映特有の傾向で、東宝ならどことなく青っぽくなるような気がする。


<『ニュールンベルグ裁判』>
名画座・テアトルダイヤ(10/12)

 待望だったスタンリー・クレイマー監督の大傑作とやっと逢えた。3時間の長編で、面白いのはたった1本残ったフィルムなのだろうか、途中の1巻だけが日本語吹き替え版だったことだ。声優が誰かは表記がなかったので定かではないが、声優フリークであるボクはそれでもこの作品でアカデミー主演男優賞に輝いたマキシミリアン・シェルが久米 明、スペンサー・トレイシーが巌 金四郎であることだけはわかった。

★この映画の中でたった7分間の出演であるのに強烈な印象を残しているのがモンゴメリー・クリフトだ。あのきれいなキレイなクリフトが自動車事故によって顔に大怪我をして精神に異状をきたしたことは有名だ。自動車事故とアルコール依存症と薬物中毒が蝕んでいったのだ。

★以前にケーブル・テレビのヒストリー・チャンネルの自叙伝の番組を見たことがある。するとクリフトは家が絶えた貴族の出で、母親からお家再興を命じられて育ったらしい。

事故のあと彼は母親の命令などが影響して精神科医をさまようことになった。そしてシルバーバーグという医師と出会ったことで安息を得ていった。というのも、その頃精神医学の主流であるフロイト派は病気は性格のなかの潜んでいる生まれながらの弱い部分から発症すると考えた。
シルバーバーグ医師は病気は患者が生まれ育った過程に起こった体験からきていると考えたからだ。クリフトは、かれの論理に救われる想いがしたのだろう。

★人間的にも、学問的にもシルバーバーグ医師に傾倒していく。そこにジョン・ヒューストン監督『フロイト』の主演のオファーが来、彼は自らの体験を演技にフロイトを演じた。

この経験が彼の中で発酵して「いつの日にか証明されると思うが、ガンとはこころの中に湧き起こった憎悪なるものから起こる」といった発言をテレビで言うまでに到ったという。
その結果、その後の4年間彼を起用することに危険性が高すぎると保険会社が判断したために結果的に干されることになる。このことは40歳という油ののりきった時期に仕事を剥奪されたに等しい。

★また健康上も白内障に苦しんだ。その他に、転倒しやすくカルシウム異常から顔面のチックという不随意性のけいれんなどが起こり苦しめられる。これは副甲状腺機能異常症であると思われる。4年間のブランクは彼の演技生命を脅かすに到ったのである。

★その後、半引退生活を余儀なくされていたクリフトに救いの手を差し伸べたのは友エイザベス・テイラーであった。彼女は自分が企画した映画『禁じられた情事の森』にクリフトの出演を計画。そのために保険会社に100万ドルの保証金を自己負担してまで完成させようとした。

クリフトも彼女の友情に応えるべく役に取り組んだとのことだが、ある朝ベッドのなかで死亡しているところを発見される。映画はその後リチャード・バートンの共演で完成した。(監督はジョン・ヒューストン、音楽は黛 敏郎であった。)

★しかしシェルのオスカーはどうみても不思議だ。群像ドラマであって突出した主演ぶりではないし、どう巧いのかがボクには解らなかった。

 シェルというとボクが知っているのは凡凡シネラマ大作『ジャワの東』、ドミニク・サンダとジョン・モルダー・ブラウン主演のツルゲーネフ原作の『初恋』くらいだった。フレッド・ジンネマンの大傑作『ジュリア』にも出ていた。

★余談だが『初恋』は1970年の万博映画祭で上映された。この日本最後の成功プロジェクトとも言われる国家的イベントでは多くの世界の未公開作品が公開され、そのお陰で日本公開が成ったものは多い。トーリ・ヤンコビッチ監督の『抵抗の詩』、センセーショナルな話題となった『私は好奇心の強い女』、コスタ・ガブラスの『Z』、ミムジー・ファーマーの『モア』、キャサリン・ヘップバーンの『シャイヨの伯爵夫人』などに加え、『サテリコン』『地獄に堕ちた勇者ども』『いちご白書』『素晴らしき戦争』『野生の少年』など今もなお映画史上に燦然と輝く名作が目白押しだった。ちなみに日本からは篠田正浩の『無頼漢』が出品された。(こちらはいまや思い出すひともない)



<『赤い仔馬』>
試写会・ヤクルト・ホール(10/16)

ジョン・スタインベックの原作をロバート・トッテン監督が映画化した牧場もの。クリント・ハワード少年は父・ヘンリー・フォンダ、母・モーリン・オハラ、祖父・ジャック・イーラムと暮らしている。男らしく育てようとして、フォンダと少年はあまりうまくいっていない。

ハイライトは仔馬の出産シーンで、少年は父に認めてもらいたくて手伝う。自分の馬を得ると同時に、少年は父と心を通じあうことになる。トッテンの演出はソツがないだけで、粘りもなく、画面にスケールがほとんど感じられない。

テレビ・ムーヴィーだと思うが、それにしたらベン・ジョンスン。リチャード・ジェッケルとキャストは豪華だ。しんどい映画であることは、否めない。

このクリント・ハワード少年は、あのロン・ハワードの弟である。肥満体質らしく見事に太っていく。もう1本『デビルズピーク』というイジメにあった陸軍幼年学校の生徒が超能力で復讐、全員を血祭りにあげるという、こう書くだけで『キャリー』のイタダキみたいな凡作に主演するが、いつしか只の脇役になった。


<『ウエスト・ワールド』>
試写会・久保講堂(10/19)

 ロバート・ワイズの『アンドロメダ』の原作者であるマイケル・クライトンが自作を脚色・監督した近未来アクション。巨大な西部劇遊園地を訪れた観光客であるリチャード・ベンジャミンとジェームズ・ブローリンの2人が、『荒野の七人』のクリスそっくりのガンマン・ロボットに追い掛け回される。

ここでは昔の西部のように、何かというと喧嘩になり、すぐに拳銃で決着(カタ)をつけようということになる。あらかじめロボットは絶対に客には勝てないように設定されているものだから、どんなにノロマの客でも決闘に勝てるわけで、人間そっくりのロボットを撃ち殺す快感を味わえることであり、盛況も納得できる。

だがコンピューターの狂いから、ブローリンは死に、ベンジャミンが命からがら助かることを描いている。ユル・ブリンナーが自分のパロディを演じているわけで、これでもっと面白ければ万歳なんだが、演出は平凡だ。

しかしマイケル・クライトンはこのあと『コーマ』で医学サスペンスを、『大列車強盗』では時代劇ロマンとなかなかの腕前を見せるに到る。だが両作品ともにキャストの魅力が大いに点数を稼いでいると言わねばならない。

『コーマ』ではジュヌヴィエーヴ・ビジョルドと新人扱いだったマイケル・ダグラスとリチャード・ウイドマーク。『大列車強盗』ではショーン・コネリーとドナルド・サザーランドとレスリー・アン=ダウン。

それに続く、得意なはずの近未来もの『未来警察』ではトム・セレックという二線級のキャストであったためか弾まなかった。確かヴィデオ発売だけだったと思うが、『ルッカー』という映画も月並みな作品だった。

これはアルバート・フィニー主演だったが、これから敷衍するにマイケル・クライトンの監督としての技量は、凡庸ではないものの華はないのだろう。演技者が演技者というだけではケレンも輝かない。しかし、ひとたび演技者がスターであったなら・・・、自分の作品を商品として輝かせる感覚を嗅ぎとる能力は持っていたと考える。どちらにしろ、最近は自分の小説のシナリオや製作に止まっているのは賢明といえよう。



<『花と龍 青雲篇・愛憎篇・怒涛篇』『必殺仕掛人・梅安蟻地獄』>
名画座・登戸銀映(10/25)

 山田洋次と渥美 清の大人気に依存している松竹が、このままではイケナイと企画した(もしも彼らの身の上に変事あらばどうなるのか、という危機感から)昨年夏の加藤 泰監督『人生劇場』がスマッシュ・ヒット。

その第2弾として製作された任侠超大作だ。役者は高橋英樹が抜けて石坂浩二に交替して弱くなったが、ボクはこっちのほうが好きだ。『必殺仕掛人』も前作の田宮二郎からテレビの緒形 拳に交代。抜群にいい。やはりテレビで人気が出たものはキャストを替えない方がいい。

 
この辺りの映画事情については、友人の松村 晃くんが書いた『山口組三代目』に如実に見て取れるので全文紹介しておこう。



『 山口組三代目 』松村 晃(キネマ旬報10月下旬号読者の映画評より)

深作『仁義なき戦い』の出現によってマキノ雅弘、山下耕作、プログラム・ピクチャーの巨匠小沢茂弘、そして異端児加藤 泰らが10年かかって大成させた東映任侠映画の世界はブッ潰れてしまった。“ローマは一日にして成らず”と言うが如く築き上げるのは大変だが壊れるとなうと早いものだ。

 残侠の人、マキノ老は見るのが耐えられずTV界に移り(※1)加藤 泰は盃を返し敵側に回る。(※2)東京の深作と並ぶエース佐藤も老侠客鶴田と絶縁、一家を持たぬ流れ者安藤 昇と組み、任侠の縄張りを荒らし回っている。(※3)

『総長賭博』で一大金字塔を打建て“花と長脇差、山下美学”と言われる程多くの名作を作り出した山下耕作にとってこの現象は寂しいことだろう。そこで同じ壊れてしまうなら自分の手でと、ブチ潰しにかかったのがこの作品である。

 全盛期“親の血をひく兄弟よりも・・・。”と血縁関係よりも義兄弟、盃の世界を賛美した『兄弟仁義』シリーズ。パロディ化した『極道』シリーズなどに見られた盃の世界をブチ潰しにかかった。実父であろうと、兄弟であろうと盃ひとつのために殺し合い、盃ひとつのためにジッとガマンし涙を流し、盃ひとつのために死んで行った神話の世界は、又しても与太者文太によって崩れ去った。

実兄の言葉だけを信じ切ってしまい、女を張り合ったときも、腹を減らして水ばかり飲んでいたときも、指をつめようとした時付き合ってくれた兄弟分、そして親分に刃を向ける文太。

ヤクザ渡世脱出映画『いのち札』で割れてしまった盃は二度と再び帰ってくることはないのだ。そして清次郎・静江の道案内は大スター高倉 健ではなく、役者菅原文太がつとめるのだ。(大阪府東大阪市友井・無職・23歳)

(※1)昨年のNET(現テレビ朝日)の『長谷川伸シリーズ』から顕著となるマキノ雅弘のテレビ移行。この『長谷川伸』シリーズ第1回は山下耕作監督。鶴田浩二・菅原文太・松尾嘉代共演の『沓掛時次郎』前・後篇であった。そして再びマキノ老は銀幕に還ってくることはなかったのだ。

(※2)加藤 泰は1972年夏『人生劇場』、1973年春『花と龍』1973年夏『宮本武蔵』と大作を松竹で撮ったあと、準大作『江戸川乱歩の陰獣』で松竹とも袂を分かち、東宝で最後の仇花『日本侠花伝』を残し黄泉路の旅人となった。

(※3)東映東京の深作とならぶ現代やくざもののエース佐藤純弥はコンビの鶴田浩二と離れ、一時的に安藤 昇の『実録・安藤組』シリーズに移行。その後角川映画の『人間の証明』『野生の証明』を経て、文字通りバブル期大作映画の旗手となっていく。『敦煌』『おろしあ国酔夢談譚』とスケールだけは大きくドラマは薄い作り手となっていくことは、パイオニア性を充分に理解したとはいえ残念と思う。



<『110番街交差点』『サンタマリア特命隊』>
名画座・渋谷全線座(10/25)

アンソニー・クインがハーレム担当の汚職警部で、マフィアの金を奪われ逆上したボスの娘の婿アントニー・フランシオサが金を奪い返し、犯人を殺すように命じられてハーレムにやってくる。そこに捜査を命じられた理知的黒人警部ヤッフェト・コットーが派遣されてきて、犯人を捕まえることで三つ巴の様相を呈する。

このフランシオサが何かというと残忍極まりない行動をとる。最後はコットー以外はほとんど死ぬ。クインは中でも、どこからか狙撃されてワルのまま無念の死を遂げるので印象的だが、なんでいまさらクインのようなビッグ・スターがチャチな映画にでなくちゃあならんのか、理解に苦しむ。

ただひとつ、この映画が特筆すべきは全編をシネモビル方式という、大型バスに撮影所システムをすべて備えた新撮影によるものが取り入れられており、ハーレムのロケによる臨場感はなかなかのものである。

簡便化された機材で撮影出来ることは、セットを組まず、予算を縮小できるのだから、こういうアクションには恰好のシステムといえるが、あとは才能だけだ。監督はバリー・シャー。

『サンタマリア特命隊』はラルフ・ネルソン監督。じゃらじゃらして、弾むところがない。ロバート・ミッチャムが神父の格好で金に汚い悪党で、カネのためにフランク・ランジェラを殺すように仕組まれる。

ラストは大爆発シーンだが、ランジェラをおびき寄せるために教会を建てたり、ランジェラの母親リタ・ヘイワースが絡んだり、交通整理が必要だ。キャストはジョン・コリコス、ビクター・ブオノなど曲者が出ていて、決して悪くはないのだが・・・。

『110番街交差点』のバリー・シャー監督にはもう1本珍作がある。それはリチャード・ハリスとロッド・テイラーが共演した西部劇『死の追跡』だ。

メキシコを舞台にした復讐と血と汗にまみれたダーティな作品で、こういう映画をあまり知らない観客なら結構面白いと思われる。なにが珍作であるのかというと、あの西部劇史上の屈指の傑作『ワイルドバンチ』の音楽を全編にわたって使用していることである。

いったい如何なる理由なのかは知らないが、公開4年目で、しかもあれだけ評判になった『ワイルドバンチ』をどうして?!
開いた口が塞がらない、経験だった。そんな監督だったということで、すぐに消えてしまいました。



<『よさこい旅行』『喜劇・黄綬褒章』『夕日くん・サラリーマン仁義』>
名画座・新宿名画座(10/26)

 この3本のなかでいちばんジンッときたのは森繁久弥主演の『喜劇・黄綬褒章』だ。汲み取りを仕事とする森繁は(妻は市原悦子)子供たちにも自分の仕事が汲み取りと言えず、建設会社に勤めていると嘘をついている。

しかし隠し子という川口 晶の出現で家族に仕事がばれてしまう。そこに勤続25年を黄綬褒章叙勲という知らせがはいり、少し喜んだのも束の間、弟子の黒沢年男を助けるために暴力団と闘い、圧巻はバキューム・カーから糞尿を放出させてばら撒くシーンで、この事件のために叙勲は取り消されてしまうことになるが父親としての誇りを取り戻すというストーリーは、松山善三の原作・脚本で、「いるかの大将」の井上和夫が監督した。

出来栄えといっても傑作というわけではないが、森繁の人脈で豪華なキャストということもあるが、極めて私的なことだが、この森繁の手の甲のアップが堺の親父にそっくりだったことから、心穏やかには見ていられなくなった。

こっちは平日から3本立てを見ている。親父は今日も忙しく仕事をしているのだろうな、そう思うと、こころが少し痛むのだった。(どうせ明日は忘れてしまうにしても・・・だ。)




実は、このコミュニティに参加されていらっしゃる読者のみなさまにはお詫びせねばならない。
こういう映画日記が出てきたために始めたコミュではあるのだが、生来のずぼらのボクには日記を続けられたのは10月までで、この秋から硬式野球部に入部して体育会系学生となったため、鑑賞本数が激減。ついには覚書程度の手帖しか残らなかったのである。

そこで、このコミュの同形式による連載は終了。次回からは投稿文を中心に、あくまでも1970年代にこだわった内容をアーカイヴしていくことにしました。

なにとぞ、ご容赦賜りたく存じます。

コメント(1)

1973年10月〜12月の映画鑑賞記録・侘助の場合

まずは10月篇

10月3日「時よとまれ君は美しい」市川、ペンほか(スカラ座)700円・封切
10月3日「映画が私たちをつくった」ワーナー50周年記念映画(朝日講堂)0円
10月5日「帰ってきたヨッパライ」「絞死刑」ともに大島渚(蠍座)300円
10月6日「自由を我等に」ルネ・クレール(NFC)70円
10月8日「真剣勝負」「宮本武蔵 第一部」ともに内田吐夢(文芸地下)150円
10月9日「吸血鬼」カール・ドライヤー(NFC)70円
10月9日「ミュリエル」アラン・レネ(虎ノ門ホール)芸術祭鑑賞会0円
10月11日「オー!ラッキーマン」リンゼイ・アンダーソン(虎ノ門ホール)〃 0円
10月14日「フレンジー」A・ヒッチコック、「ゲッタウェイ」サム・ペキンパー(文芸坐)150円
10月14日「花心中」斎藤耕一、「化石の森」篠田正浩、「狼の紋章」松本正志(池袋日勝)400円
10月19日「彼岸花」「東京物語」ともに小津安二郎(並木座)200円
10月24日「巴里祭」ルネ・クレール(NFC)70円
10月30日「外人部隊」ジャック・フェデー(NFC)70円
10月31日「最後の億万長者」ルネ・クレール(NFC)70円
10月31日「ナチス追跡」オーソン・ウェルズ(TV)


この中でまず思い出すのは、3日の「映画が私たちをつくった」。これは、ワーナー50周年を記念して作られたアンソロジー映画で、日本ではこれ1回きりの上映でした。キネマ旬報を通して観客を募集し、幸運にもわたくしも当たったのでした。
今は亡き淀川長治先生が、ジェイムズ・キャグニーが歌い踊る「ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディー」が登場すると、昂奮して席から立って踊り始めたという“伝説”が残っていますが、わたくしは目撃していません。わたくし自身、昂奮して周囲に目を奪われている余裕などありませんでした。
ヴィデオもDVDもなかったあの頃、日本で未公開の映画の断片すら観ることが貴重な体験だったわけで、「ヤンキー・ドゥードゥル」など今は訳なく観られますが、当時は夢のような出来事だったのです。

この月の後半からは、NFCでまたフランス映画の大回顧上映が始まりました。


11月篇

11月1日「ラ・スクムーン」ジョゼ・ジョヴァンニ(銀座文化)150円
11月6日「ラストタンゴ・イン・パリ」B・ベルトルッチ(銀座東急)650円・封切
11月6日「ポリー・マグーお前は誰だ?」ウィリアム・クライン、「ヒットラーなんか知らないよ」ベルトラン・ブリエ(中野公会堂)250円
11月8日「夜汽車の女」「牝猫たちの夜」ともに田中登(文芸地下)150円
11月9日「ミモザ館」ジャック・フェデー(NFC)70円
11月10日「チャップリンの独裁者」C・チャップリン(有楽座)0円=父と同伴
11月15日「女だけの都」ジャック・フェデー(NFC)70円
11月16日「地の果てを行く」ジュリアン・デュヴィヴィエ(NFC)70円
11月18日「妖精たちの森」マイケル・ウィナー、「フォロー・ミー」キャロル・リード(佳作座)200円
11月19日「妻は告白する」増村保造(アテネフランセ)150円
11月25日「どん底」ジャン・ルノワール(NFC)70円
11月21日「卍」増村保造(アテネフランセ)150円
11月21日「兵隊やくざ」増村保造(アテネフランセ)150円
11月22日「我等の仲間」J・デュヴィヴィエ(NFC)70円
11月24日「清作の妻」増村保造(アテネフランセ)150円
11月26日「ジェニィの家」マルセル・カルネ(NFC)70円
11月26日「華岡青洲の妻」増村保造(アテネフランセ)150円
11月26日「痴人の愛」増村保造(アテネフランセ)150円
11月27日「東海道四谷怪談」中川信夫、「網走番外地 望郷篇」石井輝男(並木座)200円
11月30日「昼下りの決闘」サム・ペキンパー(TV)


この月は、NFCでのフランス映画特集に加えて、アテネフランセで増村保造の特集も始まったため、これは行かねばなるまいという義務感に駆られ、また映画の回数が多くなってきました。
だんだん受験が近づいてきたっていうのにね。

「ラストタンゴ・イン・パリ」は、当時大きな話題にもなっていましたが、わたくしは前年に「暗殺の森」を観て、ベルトルッチの映像力に惹かれたので、なんとしても封切で観たいと思ったのでした。


そして12月篇

12月1日「望郷」J・デュヴィヴィエ(NFC)70円
12月5日「チャンピオン」マーク・ロブソン(TV)
12月7日「日本妖怪伝 サトリ」東陽一(アテネフランセ)300円
12月9日「スケアクロウ」ジェリー・シャッツバーグ(銀座東急)550円・封切
12月9日「マリアンの友だち」ジョージ・ロイ=ヒル(TV)
12月11日「シンジケート」マイケル・ウィナー(久保ホール)試写会0円
12月12日「濡れた二人」「遊び」ともに増村保造(文芸地下)150円
12月18日「夜と霧」アラン・レネ、「夜のダイヤモンド」ヤン・ニェメッツ(中野公会堂)300円
12月19日「GOOD−BYE」金井勝、「石の詩」松本俊夫、「狂気が彷徨う」監督名失念、「わが悪魔の兄弟の呪文」ケネス・アンガー、「伝説の午後 いつか見たドラキュラ」大林宣彦ほか実験映画3本(砂防会館ホール)700円
12月20日「津軽じょんがら節」斎藤耕一(日劇文化・完成プレミア)600円
12月25日「やくざ観音 情女仁義」神代辰巳、「昭和おんなみち 裸性門」曽根中生(文芸地下)150円


大学受験リヴェンジを目前にしているわりには、映画漬けになっていますが、結局この翌年、第一志望だった東京大学にはあえなく返り討ちに遭い、私立大学の法学部にもぐりこむことになったのでした。
どうせ国立に落ちるんだったら、あんなに数学や理科を勉強しなけりゃよかった、などという愚痴も出てきますが(といっても、大して勉強してないから落ちたわけですが…)、後悔先に立たず。
それが人生というヤツなのでしょう。

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