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超自然芸術研究所コミュの八太郎幻想

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 私は八太郎という名の地域に小学生の頃住んでいた。もと米軍用のアメリカ風の自衛隊官舎が当時の家で、良い遊び場だった広い芝生には木登りに手頃な松が点在していた。裏玄関を出ると給水塔の頭を見上げることになり、それは「宇宙戦争」の火星人の乗物のように長い脚が付いていた。その向こう側は断崖になっていて、八戸市の平野から突如一段隆起した高台に官舎はあったわけである。官舎も人々も既に消え去ったが、今でも機会があればこの崖の縁の上から平野を望みたくなる。
 
 南方の地平の先には角張った名久井岳、そしてその手前には丸い階上岳が太平洋に向かって寝そべっている。この景観の気分は単なる郷愁だろうか。あるいはここに地形を利用した要塞が大昔あったかもしれないと空想したりもする。ここに立てば平野に潜む敵の気配を察知できる気がしてくるし、この高台も侵略者を阻むには好都合だろう。この地の名が龍の八太郎に由来するものかは分からない。熊野から来た南祖坊との死闘を経て十和田湖を追放され、八郎潟の主になった八太郎は、後に田沢湖の辰子姫と一緒になる。

 この三湖伝説は西暦九一五年八月一七日に起こった恐るべき十和田湖の大噴火に関する伝承であるともされている。その未曾有の大震撼が日本史に及ぼした影響を耳にすることは不思議と無いし、実際、当時の文書記録はほとんど残っていないらしい。

 様々な色合いをもつ龍という存在を抽象化するならば、まずそれは川と雨と虹に関連しているようだ。そしてアジアではその長い体は蛇と相互に入れ替わる。蛇=龍は人間にとって悠久な神話的爬虫類なのだろう。この空想の生き物は、実在した恐竜よりも遥かに人間と身近である。実在と空想の狭間に居る龍は境界線ではないだろうか。此岸と彼岸を分つのが三途の川ならば、それは龍の表象だし、また稲作の北上とともに人間と川が戦うようになり、それが縄文と弥生との葛藤となり、あるいは龍と人間との葛藤として伝説化したのかもしれない。龍は戦いの最前線であり、あるいは逆に交渉と和解を可能にする媒体だとも言えるだろう。壮絶な嵐が輝く虹をもたらす時、自然界との和解、束の間の平安を我々は感ずるのではないだろうか。

 敗戦後の賠償行為でもあった秋田の八郎潟干拓事業は伝説と時代的にかけ離れているのに、伝説をなぞっているかのように暗示的である。肥沃な湖を潰して人工農村が誕生したことは、今となっては敗北か勝利か判然としない。以後続くダム湖開発に明らかなように、無理を重ねた不毛な大外科手術であったとも言えるからだ。
 
 人間界から自然界へ追放された八太郎と辰子姫、対して旧約のアダムとイブは蛇のせいで楽園の自然界から人間界へと追放された。これは反転鏡像の関係ではないだろうか。これらの神話はさらに不思議な道筋で今後の日本と世界の宿命に関与してゆくような気もしている。

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