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超自然芸術研究所コミュの京都

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2008.4.4  

 

現在京都鴨川付近のウィークリーマンションに滞在しているのだが、ネットがつながるし、安いし、良い暮らしをさせてもらっている。  
  
 それはともかくとして3月29日に関西入りをして以来一日一日が長く刺激的であった。明日は同時代ギャラリーで最終日一日前のパーティーhttp://blog.ifaa.cc/?eid=813030をやるそうで、参加メンバーの大半がそろうのではないかと予想してる。 

 一昨日、外国人三人と八坂神社の夜桜を見に行き、彼らの目を通して見る、その風景は心の井戸に溜まっていくような一つの夢であった。弘前の桜祭りも、何か言葉を超えた、異様な善意にあふれているのだが、違いといえば、あれほど大勢で花見をしながらも不自然なほど京都にはゴミが落ちていないということであろうか。
  
 もし大きな都市に住むのであれば京都は悪くないと思えた、空気が澄んでいて柔らかく、それに対応して人々も愛想が良い。連日天気が良く、今朝も、鴨川で魚の捕獲権をめぐった鷺と烏のケンカを外国人達とぼんやりと眺めていると見知らぬオバちゃんが自転車を降りて話しかけてきた。「ええ、天気ですねえ。ほんまに桜がきれいですわねえ。」と、ご挨拶ていどの彼女の言葉を何気に通訳してレオさんに伝えると、「あら、わたしもそんなふうに英語しゃべりたいですわー。」といいつつまた自転車に乗って風のように去って行った。 

 私が今回の件に関わるようになったきっかけは海外のサイトにあり、その縁もあって、Leo、Anja、Luigiの三者と今日も三十三間堂などを巡った。三人とも絵を描いているのだが、互いに付き合っているときは案外、絵のことは忘れている。所々、記念写真を撮るたびに、なんで彼らは写真映りがいいのだろう、比べて自分はなんで借りてきた地蔵のように無味乾燥なのだろう、などど思いつつ、日本人とはなんなのかも考える。例えば、イタリア人の血をもつオーストリア人のLuigiさんが日本人女性にハグして挨拶してもなんら不自然ではないのに、自分がやったら変態でしかないというのは大きな溝であるとは思う。世界中、人間は人間だというのも事実なのだろうが、日本人は皆、十二一重のようなものを纏っているのでないだろうか、相手に寄っていく手続きが非常に面倒くさいというか。それは前もって予想していたことではあるが。 

 修学旅行がらみで三度、京都に来たことはあるのだが、三十三間堂は今回初めて見ることができた、LeoさんのガールフレンドのAnjaさんは、「クレイジー」だという感想をもらしていたのだが、ほとんど強迫観念的に異様な中世のアミューズメント空間であった。これほど徹底的に仏像で攻撃されたなら、日本人の無意識は仏で埋まらざるを得ない。 
 Anjaさんがガイドブックで知ったことによると人間が人間になるためには33のステップが必要らしくそれに対応して柱も33あり、端から端まで仏像と神々を見ることによって人間としての階梯を進むというカラクリらしい。そういえばフリーメーソンの階梯も33あったなあと思い出し、Anjaさんに言ったのだが、彼女はフリーメーソンがなんなのか知らないようであった。 
 Leoさんは御堂の地震対策ショックアブソーバーも印象的であったようだ。確かに地震が起こればあの無数の仏像達はドミノかボーリングのように倒壊してしまうだろう。英語がよくできないLuigiさんはドイツ語で「シューン。」とか「ズーパ。」くらいでしか表現しないのだが、子供のような好奇心で方々を写真に撮っているうちにメモリと電池がすぐなくなってしまった。
  
一昨日の散策から帰ってきてから足が甚だしく炎症し、昨日はそれが脳まで上がって発熱して風邪のようになり、今日の午後は観光を諦めて、金閣寺へのルートへは外国人のみで行ってもらうことにした。といっても私はガイドとしてはもともと全く無能で、むしろ彼らの後ろをついて来た状態であったから、もう心配は無用という感じであった。午後、近くのラドン銭湯へ行った後に休みをとり、おかげで小走りできるぐらいの脚力がもどってきた。  

 とにかく様々なシンボルと人々が渦巻くこの期間は細部を描写してもきりがない。しかしなるべくリアルタイムで記録する意義はあると思う。

コメント(4)

2008.4.5 


 今朝は、やや頭痛がしたのだが、夢を覚えていた。大学の講堂でシュタイナーに関する討論会があり、会場は学生のような人達で埋め尽くされている。司会者は女性で、いきなり前置きもなくシュタイナーについて討論、および意見はないでしょうかとしゃべっていた。 
 私は、「皆、それが誰でなんなのかも分からないのに、段取りが全然なってないじゃないか。」と思って、挙手をして、まずシュタイナーとはなんなのか説明が必要だということを主張しようとした。 
 しかし司会者は私を無視し続け、会が終ったあと、外で鉢合わせになったその司会者の顔を私は畳んだパンフレットか何かでピシャリと叩いたのち、自信をもってこういった。「私を無視した正当な理由はあるのでしょうか、あるのなら、今叩いたことを謝りましょう。」すると彼女は、「理由はありません。」と答えた。今思えば、全く自分らしくないキザな言い方で、「よろしいでしょう。理由なき理由というものを私は理解しております。」と言うと、横にいた男がきょとんとしてニヤニヤしていたので、「あんたには分かりませんよ、しいていえば、女性にしか、その理由なき理由は理解できないのです。」という旨の言葉を投げつけていた。 

 とここまで書いてなんのことか分からないのだが、あのキザな言い方は、たまたま昨日、京都テレビで宝塚の映像を見たせいかもしれない。 

 足はだいぶ癒えて、予定通り、5時からのIFAAのレセプションパーティーに参加することができた。もうここ数日、殆ど毎晩のように飲み会をしている。ネット上の知り合いでしかなかった人々とも会うことができた。「これからの時代は幻想絵画だぜ!!」というふうに意気込む気は起こらないのだが、そこに集まった人達を見ながら、何が起こっているのか見極めようとしていた。しかしそれも数年前の私が関わったグループ展のように、ただ一回の非回帰性の出来事であったのかもしれない。 
 しかし先日、日本の宗教美術を見たことは、芸術の枠組み、というと語弊があるが、20世紀初頭に議論されてきた領域の超克問題に近しい独特の視野をもたらしてくれた。例えば、「私がやっていることは宗教絵画であります。」と断言できる立場を想定してみる。「では、あなたの宗教はなんでしょうか?」という問いが当然でてくる。すると、「私の宗教は????????であります。」というような無限のクエスチョンが出てきてしまう。このクエスチョンを埋めるものははっきりいうと社会状況と既成文脈の変化と平行したものである。 
 これらのことは、いわゆる初めて会ったマイミクさんとの会話の中でなんとなく出てきたものである。 
 
  今回幻想絵画展というものに参加してみて、逆に自分の方向性は幻想では絶対ありえないという、これまたまだ仮説でしかないのだが、そんな意識を膨らませてしまった。 

 それでパーティー会場にはLuigiさんのためにドイツ語通訳者がきてくれていたので、あえて彼が受けたシュタイナー教育で一番嫌だったものはなんだったのかを通訳を通して聞いてみることにした。彼が言うには、実は神秘舞踏のオイリュトミーを生徒全員が嫌っていて、もっと最悪なことには、彼が描いた奇妙で独創的な絵をシュタイナー教師達は小さい子供が怖がるからといって、非公開扱いにしてしまったという。 
 もう既に、シュタイナー教育も偽善に染まっていることが想像できるのだが、ここまで書いてきて今朝の夢と符号していることに気づいてしまった。
008.4.9 
  
 大阪を一人で歩いたのは初めてであった。大阪では道を訊いても喜んで教えてくれるようなところがある。それでも人情という仮面をつけているのではないかという疑いももったりする。 
 カプセルホテルは阪急東通商店街に面しているのだが、ホテル内は迷路のように複雑で、内部をさ迷っているうちに自然と金を吸引していくというカラクリなのではないかと思った。そういえばIFAAの田中さんとカーナビで最初のホテルに向かう時も、カーナビは複雑極まりない糸が絡まったような立体交差ハイウェーへと誘導ばかりし、そのたびにまた迷って、料金所を何度も通らなければならなかった。「オオキニー、ロッピャク ゴジュー エン デスー。」という関西弁が皆ロボットのように聞こえた。ああいう、一見面白げな迷路と人情とを連携プレーさせて商売をする場所には住みたくないなと思った。勿論、良い面もたくさんあるのだろう。
  
 今朝、久しぶりに自分の部屋の臭いを嗅いだ。昨日は大阪から東京へ行って、新しい画材などを見つけようとしたのだが、この最後の一人の一日は蛇足であった。ただ、ここ数日のことについて回想する時間として一人になれたことは良かったのかもしれない。新幹線の中でもひたすらタバコを吸いながら本も読まずに物思いにふけっていた。 
  
 一昨日7日にLeoさんとAnjaさんと一緒に大阪梅田に近いところにある、温泉御隆クラブhttp://www.mitaka-club.co.jp/salon/index.htmへ行った。当初は東大寺にまで足を伸ばすべきだろうかと考えていたのだが、雨天でもあったし、この日に三人でゆっくり風呂に浸かって、ディマシオの作品だけをポイントを絞って見てもらったことは大正解であった。 

 あのディマシオの大作を初めて見たのは1992年の夏で、当時のことは過去日記で記述してはある。http://mixi.jp/view_diary.pl?id=112516784&owner_id=3671570 16年ぶりにディマシオの絵を見たとたんに何か胸がつまるような思いがした。16年まえ、ディマシオへの巨大な強迫観念のせいで、逆に実物の作品を目にしたとたん幻滅に変わってしまったのだが、その微妙な心境をどう整理つけていいものやら分からず、もう一度ディマシオ作品を見たいと思い続けてきた。 
  
Anjaさんは女性であるし、とても素直にディマシオの描写力に感心していているのだが、Leoさんはディマシオの軽く浮ついた表現のせいで、共感しきれないものを私同様に抱いていたようだ。しかし彼はウィーン幻想派のみならずフランスの幻想芸術とも日本が強いコネクションをもっていたことに興味をもっていた。 
 ディマシオは、どこか奈良美智のように、「なんか分からないけど、好き。」というような無責任な追随者を許す余地をもっている。それは内容を薄めて、空間を膨張水増しさせていくような、無意識的な打算性と言えるだろうか。 
  
 しかし、温泉クラブのサロンでディマシオを再び見たときには、それは安易な作品に見えず、むしろ涙ぐましいほどの労作に思えた。客用のソファーとは数センチの距離しかなく、客がこぼしたコーヒーの染みが絵に残っていた。温泉から来る湿気のせいか、キャンバスの隅に皺が寄り始めている。「なぜ、この、世界の至宝というべきものが、こんなところに放置され続けているのか。」という判官贔屓な情がわきあがってきた。改めてキャンバスに目を近づけて見ると、もの凄い速さで無数の判断をディティールに施してあるのが見えた。基本的に彼は、絵の具を足していくのではなく、削って引いていく作業が顕著で、エアーブラシと紙やすり、そして色鉛筆が道具の多くの部分を占めている。そのせいで極めて薄い絵の具の層になっている。  

 同時に京都で見た仏教美術の印象も重ね合わせていた。ディマシオの絵は、「私の幻想を自由に描いてみました。」というような類のものでは到底ない。「ディマシオの絵画は宗教なき時代に、冥府より命令を受けて描かれた宗教美術である。」というような、嘗ての自分の考えを裏切るものではなかった。 
  
 ついでに京都において仏教について新しく持った印象としては、それは神道と比べると人工的であり、新しく宗教を再規定するための様々な芸術的な工夫が施され、日本のルネッサンスもそれを背景にして可能だったのだろうと思った。 
 銀閣はちょうど修復中で、中の骨組みを見ることができたのだが、それは修復というより建て直しに近いほどで、砂の庭のように、壊れることが最初から前提で管理されているように思えた。だから金閣のほうがいったん消えて、再建されたと言っても、実質はそれも銀閣の砂庭のように最初から仮象だったのかもしれない。 
 神道は古来からの伝統だという言い方ができるかもしれないが、仏教はメソッドであり、日本の中で様々な構造的実験を生み出す上での大前提であったのだろう。
それにしても何故ディマシオの作品は21世紀前後に俗化してしまったのか、その傾向は初期のころから匂ってはいるものの、偉大なるディマシオと卑俗なるディマシオがタブっているのはどういう訳なのか。それが新幹線の中で考えていた事柄の一つでもあった。新幹線が東京に近づくにつれ雲をかぶった富士山が見えてきて、思わず身を乗り出して写真を撮ったのだが、他の人々にとってはそんなものは珍しくもないようだった。自分がディマシオに投影していたのは、あのような富士山のように突き抜けた感覚であったのかもしれない。 

 LeoさんとAnjaさんとは関西国際空港へ直通線のある新今宮駅で別れることにした。もう日が暮れて、通勤帰宅途中の無数の人々に揉まれながら、ようやく関空行き各駅停車を捕まえることができた。 
 もう電車の扉も閉まろうとしている時に、LeoさんとAnjaさんは私に飛び込んできてハグしてくれたのだが、私はその5秒ほどの間に不器用なお返ししかできず、我々は引きちぎられるように別れることになった。さすがに私も感傷的になって目のやり場に困っていたのだが、何故か電車の中にいる彼らに手を振る気にはならず、代わりに左手で輪を作って、OKの合図を出した。ま。これで無事完了したということなのだろう。ほとぼりを冷ますために駅の周りを少し歩いたのだが、上の空でなにをしたらいいのか分からなかった。英語を話す相手が急に居なくなり、どこもかしこも日本人しか居なかった。 

 彼らと引き合わせてくださった、IFAAの設立者、田中章滋さんに感謝するとともに、また9月のIFAA展に向けて、禁欲な生活と貪欲な制作を続けていきたいと思いつつ、今回のレポートは終了したいと思う。
 

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