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ボバース(Bobath)コミュニティコミュのボバース批判とは?

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べるお先生、トピ立てさせて下さい。
不適切で問題がありそうであれば消して頂いて結構です。
よりボバースを知るために、批判的な人達にきちんと説明ができる様になりたいのです。
そもそもボバースに対する批判ってどういう経緯でどんな内容なんでしょうか?エビデンス?ハンドリング?
私達は、その批判をどう受け止めるべきでしょうか?
良い意見も、悪い意見も節度を持ってお願いします。

コメント(38)

OT3年目のカベと言います。
現在認知運動療法を勉強中ですが、他の考え方がいまいちわかりません。(認知も中途半端ですが)
ボバースの勉強会に行った人の話を聞いても、ハンドリングのやり方や対処法的な事しか聞いておらずいまいちピンとこないという印象です。
ボバースを全く知らない僕ですが、持っているボバースの印象はボバースの名をかたり手技としてうわべだけで行っている人が多いのでは???です。

もしよければ、ボバースでは人が動くということを、どのように考えているのか?どういう視点でとらえているのか?という事を教えてもらえないでしょうか?

生意気な意見ですがよろしくお願いします。
僕が感じる良い点

アプローチではなくコンセプトなので医学の進歩とともにボバースも進歩していける
つまり技術ではなく考え方
そして経験主義ではない


悪い意見

エビデンスがない
CIみたいに対象者を絞れば出来るかもしれないけどやる人によって結果は変わってくる

だからこそやりがいはあると思うけど
<カベェさん
 私なりの答えですが・・・。
 管理人さんが修正してくださることを期待して・・。
 
 私は実際に感じた印象では熟練したセラピストのハンドリングを実際に体験すると驚くほど体の軽さや動かしやすさ、そして人としての優しさを感じることができます。
 ハンドリングがすべてではなく、ボバースコンセプトは如何にハンドリングしない状態で患者さんにより効率よく活動的に動いてもらうかを大事にしています。ほとんどハンドリングしないで治療された講習もありましたよ。
 
 認知運動療法では“運動”というものを、環境との相互作用で成立するものであり、繋がった鎖の最後の輪であるとしていますね。運動の前にある感覚情報の処理過程(認知過程)に視点を置いている訳です。さらに空間課題や触覚課題等の認知課題を用いて、普段意識していない運動感覚を意識し認知過程を活性化させることで適切な運動を導き出そうとしています(実は、認知運動療法研究会員です。)。
 
 ボバースでは、促通を通じて姿勢制御と選択運動を改善することを挙げています。ハンドリングだけがピックアップされがちですが、運動課題や環境に対しての相互関係を適切に維持することを大事にしていますし、運動が起こる前の予測的な姿勢調整(APA)を取り上げています。ハンドリングはより正常なパターンへと運動と姿勢調整を直接的に誘導するための身体接触です。熟練されたハンドリングにより、言語的な課題や道具を使わずとも気づき(認知運動療法で言われる差異)を感じさせることは可能であると思います。
 さらに意識できない無意識の協調パターンについても考えています。

“運動”に関しては、以下の説明がありました。

“ヒューマン・ムーブメント”
●遺伝的・先天的に有した能力が、発達・経験によって重力に抗した活動を続けるために獲得した選択運動である。
●協調性、効率そして機能的目標に関して必要以上に努力しない。
●目標指向的な感覚運動である。

ちなみに私はボバース研究会員ではありませんし、きちんと他のスタッフを納得させられるような技術と知識を持って患者さんをより良い状態にできているとは思いません。
勉強し始めたばかりのセラピストの多くは、どうハンドリングをするかばかりに意識が向いてしまうようです。私もそうです・・・。
インストラクターの先生方の日々の努力や知識や技術は本当にレベルが違うと思いますよ。

<よしちゃんさん
 エビデンスって難しいですよね、やはり量的に説明できるものがエビデンスレベル高くなりますし。
  
“だからこそやりがいはあると思うけど”
本当ですね、だからこそ、勉強し甲斐があるし勉強しようと思いますよね。
 
“「個々の対象者に合わせて行うセラピストの技量や知識に左右されるが高い治療効果を目指すアプローチ」を望ましいとするのであればその「高い治療効果」を証明しなければならない。ボバースセラピストのみならず療法士に課せられた現在の最優先課題である。
 だが経験のあるセラピストは知っている。ボバースに限らずクリニカルリーズニング能力の高い経験者は確実に新採用者よりもより良い結果を出すことを。 

         (日本ボバース研究会HP 会長コラムより引用<m(__)m>)” 

生意気に語ってすいません。
ちなみに、あるOTから言われたのは、ボバースやってる人が言うほど実際には良くならない。
とのことでした。
あとは、ハンドリングしないと出来ないんでは、駄目だとも言われました。
やはり、きちんと効果を示せる様になりたいですね。
私は今勉強中の身ですが…。感じたこと手(パー)
コースを受けていますが、確かに時間がかかったり(問題点のポイント次第)、疑問をもつことばかりです。しかし、同じ症例さんにアプローチして思うんですが、やっぱかわっちゃうんです電球経験年数が上の受講生も多いんですが、やはりその方達でも対処できないことでもアシスタントの先生方がチョロッと介入するとサラッと変化がでます手(パー)さらにインストラクターの方がチョロッと介入するとさらに×10くらい変化をみることができます手(パー)教えてくれる先生方にも色々やり方はありますが、ポイントが的確で軽く触れるだけでかわっちゃうんです手(パー)
ボバースを批判する方も多いようですが、治療手技をせめるより自分の技術を見直す必要があるのでわ?と思います手(パー)
実際コースをうけると自分の未熟さに衝撃をうけるでしょォ〜げっそり
また、ボバースは一つの考え方としていろんな手技の考え方を勉強していいとこどりして、引き出しにすることが良いと思います手(パー)ボバースは他の手技は批判しないし、むしろ考え方を取り入れるからはば広く学べると思います手(パー)どんな手技にしろ疑問に思い続けることは大切だと思います手(パー)
> kiyoさん

違いますね

まず何で森之宮の人だけが学会で発表しないといけないんですか?

森之宮の若い人達は自分の技術を高めようと精進していましたし上の方達は僕らのような若いセラピストに技術を伝えようと最新の脳生理学を吟味して治療に結びつけています


それ以前に森之宮の先生方は学会や論文も発表されています
ボバースはエビデンスのある治療だということを証明しようとされています

あなたのボバーススピリットは否定しませんが自分も講習でお世話になった病院ですしその病院を否定することは不愉快です
研究会員の方々は、批判そのものに対して学会や論文で証明する努力をされていらっしゃるんですよね。自分の臨床だけでなく他人、しかも批判的な方に対して納得させるような説明をするのは本当に大変なことだと思います。
私は学ぶことも否定されているところがあるので、エビデンスをどう発信するかという、研究会員の皆さんの様な高いレベルの悩みとはまた違うかもしれません。

>kiyoさん
 患者さんがよくなればいい、ということに関しては本当に共感します。
 しかし、今私が直面している悩みには、それではいけないという批判もあります。
 ボバースコンセプトが作業療法になぜ必要なのか?理学療法士と同じことをやるならば理学療法士がやればいいのではないか?という批判です。
 
 嫌いな制度の話になってしまいますが、医療費抑制のための疾患別リハビリテーションの考え方から現在診療報酬には理学療法、作業療法、言語療法という括りはなくなってしまいましたね。脳血管リハビリテーション料等、要するに資格を分ける意味はないというのが厚生労働省の考え方のようです。
 
 国家資格を守るために各協会として、アイデンティティを強く発揮するような動きもあるようです。そういう考え方の強い方からは、作業療法士が生き残るためには作業を用いて患者を良くしないとだめだとか、治療は理学療法士がやればいいとか訴えて、ボバースを批判する方もいます。こちらの都合で患者さんにとって必要なことが本当に作業なのかは不明ですし、それですべての患者さんが幸せになるとは思いませんが・・・。
 
 本当に、患者さんがより良くなるのが一番なんです。しかし現状の診療報酬や介護報酬下(自立支援法やその他公務員の方は違う場合もありますが)で働く以上、職域を守るということもその役目として必要なのかもしれません。

 そういった人たちを排除して制度や協会批判ばかりしてしまうと、閉ざされた集団として、宗教扱いされてしまうのかもしれません。
 
 作業療法士・理学療法士・言語聴覚士なんて分けなくていいよって言うセラピストもいますよね。訪問やってた経験から私も、そういうところはあります。
 時々組織や制度や協会、県士会とか嫌になってしまいますね。
 表面的には患者を大事にしているようなことを言いますが、実際には組織を守っていることが多いと思います。それが社会というものですが・・・。

話がそれましたが、ボバースコンセプトはPOSTに共通した概念ですね。
そしてそれがまた批判を受ける要因の一つでもあるのかもしれません。難しいです(>_<)。
 色々意見を下さってみなさんありがとうございます。
>やしのみさん
 ありがとうございます。特別誌ではありませんが、『環境適応』読み返しました。
 「中枢神経系障害への治療的アプローチ-その概念と歴史」の中で1970年代からの作業療法の流れが柏木先生の経験をもとに書かれていて、先生の悩みやボバース概念を学んだときの衝撃など共感できる部分がすごくありました。
 一度読んだはずなのに、久しぶりに読み返すとまた違った印象を受けますね。
 『環境適応』での治療的アプローチは、作業療法らしさだと感じますね。
 
 でもでも私の印象だと片麻痺は治らない、と代償手段や健側強化、利き手交換によって社会適応を図るというハルシュバーグ法の考え方の人にはなかなか理解してもらえないのが現状です。結果を出すことが全てですよね。
 
>kiyoさん  
 ありがとございます。自分のボバースやってる方の印象は、とても寛大で穏やかな印象の方が多くて、他の手技や人のハンドリングを否定する様な人は少ない印象でした。
 人当たりとか自分の性格とかって、治療するときの言葉やハンドリングにかなり影響しますよね。
 “目の前の患者と向き合って、悩み、苦労して、喜んで、発見して、学んで、を若手がどんどん発信すればええんちゃうん?って思うのですよ。”
 ほんとそうですね、文献や勉強会に行くことでどんどん頭でっかちになって臨床に患者さんにしっかり目が向けられていない自分に言われているような感じで心に響きました。

>ダンディライオンさん
 難しい立場の中でご意見を頂きありがとうございます。
 姿勢運動パターンとか、本人の意欲や情動面に関するエビデンスになりにくい部分は本当にあると思います。でもそれによって患者さんは大きく動きが変わりますよね。どうやって証明すればいいのでしょう?
 ハンドリングや姿勢調整によっても、注意力が改善したり、こころの落ち着きや意欲の向上につながることもあると思います。しかし、それを証明することは非常に難しいですね。一回の治療や一週間、一か月の治療での変化を精神面での評価バッテリーを用いて経過を追って行くのでしょうか?そこには他の人の介入やリハビリの以外の時間の影響もありますし、ボバースアプローチで良くなったと証明することは難しいですよね。
しかし、認知症や精神障害の作業療法ではそういった質の評価が多いような気がします。患者さんの言葉や行動観察とか、そういった生の声や映像を提示していく方法では科学的には認められにくいですかね。
 私の恩師の認知症を研究しておられる先生は、認知症の周辺症状の改善が作業療法の結果であるというのは仮説であげることしかできず、それを他者に批判された時は逆に作業療法の結果でないという証明ができるか?と相手に聞くそうです。確かにそうだなって思うのですが、本当に難しい課題です。
 
お久しぶりです。
このコミュ書き込み少なくなってますかね(^O^)。

ボバースではないですが、先日、時期別OT勉強会で山梨にいきました。
知覚-運動アプローチです。
道具、環境や雰囲気を利用し、その中で患者さんを変えることができるのは、自信を持って作業療法士としての仕事だと言えるのではないかと、感じました。
OTだけの勉強会でしたから、OTの仲間と関わりあうことでまた力をもらいました。

エビデンスについて、今年のボバースジャーナルに、S先生の教育論文の中で
『臨床的実証は複雑なものから単純化していく。標準化や普遍化するということは共通の何かを集めてこなければならない。そのようなことをすればするほどボバースではなくなっていくことに気がつきました。
ボバースの特徴は患者さんの個別性を考えた治療をするからです。』とありました。まさにその通りだと思いますが、その中で如何に周囲の方をに認めてもらうかですね。

科学的であるということは、CI療法のように(言い方は悪いですが)作られたようなエビデンスを作ることなのかもしれませんが、人を治療する効果があるということはそれだけではないと思います。
科学とはある現象を、ヒトが評価しやすい数値的な概念を用いて証明し積み上げられるものであって、数値化できる科学的であることだけが全て正解であることではないと感じている方は多いでしょう。

いわゆる、“エビデンスの一歩先”は確実に存在すると思うのです。

色々悩みますが、言語的に科学性を議論することを臨床の職場で行っていても、科学者でない私には限界な感じがします。日々の臨床の中でいかに個別性を重視したアプローチを行って結果を出すかにもっと力を入れるべきですね。
科学者の方々に丸投げするというわけではありません、自分なりに出来る範囲での発信は続けさせていただきます。

みなさん共に頑張っていきましょう。
みなさん書き込みありがとうございます。うれしいです。

>轟さん
 私も6年目ですが、2年前にはじめて勉強会に参加したばかりです。
 私の学生時代には一切ボバースコンセプトに関わる機会はありませんでしたし、回復期が出来たてで、ADL最重視の時代でしたからね。
 臨床に出て、先輩セラピストに出会ってからです。自分自身も周囲に作られた印象に染まっていたように思います。今思うと、怖いですね。

>やしのみさん
 とても考えさせられるコメントありがとうございます。
 ふがいない私(T_T)とても同じ6年目とは思えないですね。

 現象も要因も、個人の性格、生活スタイルや環境、文化、疾患等によってとても個別性のあるものであって、数値化しにくいものですね。

 本当にボバースを知って、追求し続けている先生方には、医療経済論に基づいたボバース批判という言葉はあまり深刻に受け止める必要はないのかもしれませんね。
 きちんと結果を残せていれば患者さんが示してくれますものね。
 柏木先生のように保険外でも確実に結果を残せるようなセラピストが出てくることもある意味、医療を経済的に見て効率化しようとする制度を改革するには必要なのかもしれません。
 
 今の私は、正直病院という組織と医療保険に守られているとしか思えません。
 だからこそ保険制度にこだわってしまいがちなのかもしれません。
 実力をつけないとですね。
 
 しかし難しいですね、国というルールのある中で動いている以上、医療保険という傘の下で働かないと、国民に理解されにくかったり、宗教扱いされてしまうこともあるでしょう。
 ただ、かなりしっかり自分の体のことを追求し、情報を自ら探していける患者さんの中には、今の制度や(大多数の)リハに対する失望感を持っていらっしゃる患者さんもいると思います。
 
 止まらずに前に進み続けたいものです。
> kiyoさん

最初の頃のコメントと感じが違うのは気のせいですか!?10代の若者かと思いましたよ
心境の変化でしょうか?


エビデンスに基づく医療という考え方は定着していますがリハビリの分野は他の分野に比べてそれを証明する
ランダム化比較試験を実施することは非常に難しいようです

しかしCIは治療成績を証明したと聞きました…
患者の状態をきっちり定義してその治療に耐えられる患者だけを選んで試験を実施し証明したそうですが、ではその定義に当てはまらない患者の治療はどうすればいいのでしょうか?

20年程前日本であるDrが麻痺側の治療を提唱したところ賛同する人間はほぼ0の状況だったそうです
その頃のリハビリは健側強化の考え方が主流でしたからね

ボバースはそれよりずっと前から麻痺側の治療を実践してきています
その歴史の中で発展してきた治療・考え方は全てが効果的ではなかったかもしれませんが患者にいい影響を与えたことは事実ですよね

時代の流れでエビデンスの証明が必須になっていてボバースセラピストもそれをやっていますがそれをしないというのもベルタ・ボバースの考えでもありますし…難しいですね

批判があるのはしょうがないと思いますが患者本位で治療を続けてきたボバース概念はその歴史を学ぶだけでも技術の向上、患者の満足度向上に繋がると私は思います

こんにちは。まだ成人ベーシックを受講して長くないからなのか。kiyoさんのコメントの真意がよくわからなくなってるのですが、


良ければ教えていただけませんか?
臨床研究の話まででてきて非常に有意義ですね。
皆さんありがとうございます。
私も以前、患者さんのBOSの変化、BOSの機能性を体圧測定で記録出来ないかと同僚と議論したことありますが、機械が上手く用意できず、実施できてません。

一回の介入とまた、長期的な介入後に評価することで変化を示すことはできないのでしょうか?
例えば、重心動揺計とか三次元動作解析?とか。
昨年の全研では床反力の発表ありましたね。

後はやっぱり、患者さんの内観や表情、言葉、効力感もすごく大事だと、いやむしろこちらのほうがメインになるべきで、上はその根拠になるものですね。

CIの話は、インフォで出たことありました。
それで良くなるなら、それで良いけど、やはり上手くいかない場合や大勢の適応外の方をどうするかということで、個別性を重視することが大事と言われていた記憶があります。
私の受けたインフォやヒューマンでは、他の療法を批判する様なインストラクターの方に出会ったことはなく、あるインストラクターのOT先生には、「なんでも勉強にならないことはないよ」と言われてましたし、また他の先生には「ある療法を批判する様な時代はもう終わった」と言われました。
OTは色んな理論やアプローチのコラボレーション企画もはじまりましたよね。
批判は受け止めますがきちんとした自分の理論があるなら「名無し」で発言するのはやめましょう。(^0^)/

 上記につき発言29・30を削除しました。

 異論があるなら発言者として名乗ってからもう一度投稿をお願いいたします。

 いくらでもディベートしますよん。(*^_^*)

 日本ボバース研究会会長 伊藤克浩 beruopt@nifty.com
修正しましたf^_^;
久しぶりに、このコミュに書き込みでしたね。
直接のご批判ありがとうございます。
といっても、私は研究会員でもない、ただのトピ主ですが。
うーん、医療というサービスはサービス業の中で最もはっきりしないものの1つらしいです。
買い物や食事の様には評価できません。

エビデンスが臨床の全てなのか、臨床がエビデンスになるのか?
伝統的リハやを色々経験して、やっぱりボバースという人もいれば、おっしゃる様にただのモノマネの人もいるでしょう。
ただ、やってみて後からわかることもたくさんあります。模倣は有効な学習方法ですよね。
その場だけでなく、生活への般化や本人や周囲の人も納得できる効果を出さないといけないですよね。
作業療法では、その関わり方にエビデンスがないことの方が多いです。だからやらなくていいのであれば、作業療法はもう死に体です。

その人に対して、何ができるのか?
エビデンスを押し付けるのか?
共に支えて、歩んでいくのか?
ただハンドリングを真似るのか?

私もまだまだ、まねごとのレベルです。
失礼な発言お許し下さい。

べるお先生コメントありがとうございます。
<kiyoさん
言葉足らずで、誤解を生んでしまっていたらすいません。エビデンスがないとダメなんだとか、いうつもりは毛頭ありませんし、OTがダメなんだとも、いうつもりもありません。私はOTという仕事に誇りを持ってますし、これからも患者さんのために効果的な作業療法を追求していくつもりです。心身二元論から脱却し、生活や環境、家族、人生、文化等までみながら関われる職種であり、そういった関わりこそが人を動かすと思ってます。
kiyoさんのおっしゃる様に、エビデンスを求めるがうえに、作業療法やリハビリの質はよくわからないものになりつつあり、一般の人にも誤解を生んでしまってるのではと、思います。
世の流れ?だからと、量的に図れる指標でリハビリを評価すると、その本質が浅いものになりそうな気がします。
エビデンスレベルが全てなんて、リハビリ、作業療法がそれでいいのか?ということを言いたいわけです。
OT協会は、30センチOTという言葉で、短くても全てのOTが同じ評価で同じレベルでアプローチできることを目指している様です。経験者も新人も関係なく、同じ質でアプローチするということが、組織や資格を守るということにつながるらしいです。人によって良くなったり、悪くなったりということでは、世の中に何をしている職種なのか認められないということらしいです。
まさに”ガスト“ですね。
ボバースから、話がずれましたが、何故批判を受けるのか、という観点では似ているところもあるかもしれません。
ありがとうございます。
<kiyoさん
 実際、学校が乱立したときに経験のない多くのセラピストがすごい待遇で教育の現場に入って、臨床に戻れなくなっている様な話も聞きました。逆にずーっと臨床経験のない教育者もいる訳ですが、そういった方々が高い給料をもらって学生を指導している訳です。本当に安月給で働く臨床家がどうも下に見られがちですよね。
 学校や教員としての生き残りのために自分の研究や手技、理論を派手に宣伝したり、他の人を批判するという様なパフォーマンス的なことも行っているのではないでしょうか?
 
 ボバースのあるインストラクターの先生は、講師等の活動や臨床の忙しい中でも学校での教育にも携わっているような話も聞いたことがあります。
 大学教授は定年も遅いですし、社会的にもかなり守られている印象あります、学校教育が変わるには、かなり時間がかかるでしょうね。
 
 

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