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新古今和歌集私撰:百人の歌人コミュの伊勢

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1049難波潟みじかき葦のふしのまも
         あはでこの世をすぐしてよとや(恋歌1)

「難波潟に茂る葦の節の間のようなほんの短い間も会わずに
生きていけとおっしゃるのでしょうか」という歌だろう。
伊勢の特徴はその視覚的な想像力の豊かさであろう。
この百人一首に採られた一首も「難波潟みじかき葦の
ふしのまも」という比喩の視覚的な鮮明さで読む者に
迫ってくる。

 伊勢の歌を便宜的に三つのグループに分けて
みたい。実証は出来ないが、この区分けは年齢に
沿ったものと見てよいかと思う。
その意味で前期、中期、後期と言うことが
出来るだろう。歌の姿の違いはその年齢に
ほぼ重なっていると思われる。

 前期はその才能に奔放にまかせた歌作りで
伊勢の色彩に富んだ華やかな歌の多くは
この時期のものとおもわれる。
若い女性の作る夢とあこがれの世界が
美しく歌に結実している。
これほど色彩のある歌を詠む歌人は新古今の
数多い歌人でも稀である。

水のおもにあやおりみだる春雨や
      山のみどりをなべてそむらむ(新古65)
山桜ちりてみ雪にまがひなば
      いづれか花と春にとはなむ(新古107)
見る人もなき山里の桜花
      ほかのちりなむのちぞ咲かまし(古今68)

「水のおも」の歌は「寛平御時后宮の歌合歌」という
前書きがある。寛平年間は889年から897年であり、その生年が
貞観十六年(874)、同十四年(872)説のある伊勢は20歳前後で
あっただろう。

 伊勢の恋の歌は中期に作られた。
中期の歌が三つのグループでは一番多いと思われる。
むろんいつからいつまでを中期とすることは
出来ないが、恋の歌は、その才能だけで歌を
作った時期とは重なっていないと思う。
その恋の歌には前期にみられる色彩感が消えて
いるのが特徴と言っていい。
視覚的な想像力は生きているが、華やかさは
見られない。
 伊勢の恋歌の特徴はその現実意識である。
現実が作者の意識と拮抗する中で歌が作られている。
その恋の歌は実際の恋の中で作られたもので、
空想的な恋の歌はないのではと思われるが、
歌の題材を現実から採ったというだけでなく、
伊勢の詩意識は現実を受け止めている。
例えば「難波潟」の歌もその鮮明なイメージは
作者が現実を鮮明に意識していることの反映である。
詩作上の修辞を超えた力強さがそこにある。
伊勢をほぼ同時代?の和泉式部と分かつのは
この点だ。
良い悪いということではなく、和泉式部は
もっと自分のこころのなかで歌を詠んでいる。
伊勢は歌つくりの初期の段階で独自の世界を
作り上げただけに、やがて成長につれ、
その才能だけでは表現できないものを
見つけ、意識的に取り込んでいったのだろう。
いずれも歌の基調に現実を見つめる
しっかりとした視線があり、
その詩意識は現実から浮き上がって
いないところで歌を詠んでいる。
恋を経験することで伊勢は
もはや若い頃の夢とあこがれの
世界には戻れないと覚悟したのだろう。
その恋の歌には自分の人生が
現実と衝突する痛みが感じられるのだ。

ことのはのうつろふだにもあるものを
       いとど時雨のふりまさるらむ(伊勢集)
わたつみとあれにし床を今更に
       はらはば袖やあわとうきなむ(古今733)
あひにあひて物思ふころのわが袖に
       やどる月さへぬるる顔なる(古今756)
みくまのの浦よりをちに漕ぐ舟の
       我をばよそにへだてつるかな(新古1048)
わが恋はありその海の風をいたみ
       しきりによする浪のまもなし(新古1064)

伊勢は容貌の美しい女性であったというのが
緒家の見るところだ。
容貌の美しい女に寄り添おうとする
男の多いことは世の常であり、
恋人・忠平との間が頓挫したあとに
兄の時平が近づいている。
現代とは倫理観も人間関係のあり方も
違うにせよ、伊勢の胸中には
複雑なものがあり、女であることが
時に重荷であったのだろう。
「わが恋は」の歌に伊勢の苦い現実意識を
見るべきだろう。

個人的には次の歌が好きだ。

思ひいづや美濃のを山のひとつ松
        ちぎりしことはいつも忘れず(新古1408)

「美濃のを山のひとつ松」には伊勢のもつ現実意識とは
そぐわないものがある。その牧歌的で伝説的な響きは
この歌人本来の歌の詠み方ではないだけに、
その言葉使いに一層せつないものが加わっている。

 後期は人生を諦観視する気持ちや
むかしを懐かしむ気持ちを詠んだ歌が
中心である。
そこに視覚的な想像力はあまり見られない。
後期の歌にも良い歌が多い。
ここでは「難波なるながらの橋もつくるなり今は
我が身をなににたとへむ(古今1051)」を挙げておこう。
「難波なるながらの橋もつくるなり」とする言葉つかいに
往年の現実意識が息づいているのが感じられる。


 伊勢は新古今に15首採られ、古今集に22首採られている
(小野小町は16首)。
「八代集抄」では23首が採られている。
定家自身は16種だから、高い評価である。

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